企画

□白鬼は嗤う〜第二章〜
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た……す…さ…


…誰だ?


…高杉さん


聞き覚えのある声。
誰だ、俺を呼んでるのは。


「高杉さん」


三度目の呼びかけに重い瞼を持ち上げた。
目の前に広がる光景はいつか見たことがあるような、そんな気がした。
俺を呼んでいた特徴の無い男…黒子野が酒瓶を持ったまま首を傾げた。

「酔ってます?水いりますか?」

「…いや、いい」

悪いな、と声を掛けると笑って他の者の所へと去っていった。
花見と称して始まった酒盛り。
やろうと言い出したのは誰だったか。
おそらく鬼兵隊の奴だったとは思うが。
桜の大木の下で繰り広げられるどんちゃん騒ぎに加わることはせず、外からそれを眺めた。
意識が飛ぶ程に飲んだ記憶は無いのだが、どうも頭の中に靄がかかったような感覚。
元々騒ぐ部類の人間では無いからいつもと変わらなく見えるらしい、誰も俺を気にした風は無かった。
酒があれば箸が転がっただけでも笑える奴等だ、楽しくなってしまえば周りなど目に入るまい。
そんな中いつも一滴も酒を飲まない奴が二人だけいた。
一人は飲みつぶれた奴等を片付けるために、一人は自分の誓いを守る為に、だそうだ。
今も黒子野は潰れて眠りこける奴等を纏めて引き摺り家の中へと突っ込んでいく。
最初のうちは肩を回し一人ずつ運んでいたが最近では扱いがどんどんと荒くなっている。
手際よく片付けていく光景を眺めながら酒を煽った。
花見と銘打った筈だが誰一人上なんざ見ちゃいない。
毎回毎回それに付き合わされる桜に同情しつつ、一人舞い散るそれを肴にする。
桜の樹の下には死体があるとかなんとか。
美しく咲く桜程、人の血を良く吸ったものなのだと。
ならばこの薄紅色も数多くの死体を看取ってきたのだろう。

「高杉さん」

後ろから呼びかけられ振り向くと、もう一人の禁酒している男がいた。
隣いいですか、と律儀に聞いてくるそいつにスペースを作ってやることで答える。
どうやら今日も此奴は飲んでいないらしい。

「毎回毎回ご苦労なこった」

「黒子野ですか?いいんですよ、あいつもあいつなりに楽しんでますから」

「いや、お前の話だ」

「俺ですか?」

はて、と首を傾げる此奴は自分は飲まない癖に、毎回一人で酒を調達してくる。
幕府に見放された俺達には酒などという嗜好品を買える程の財政的余裕は無い。
だが未だ天人の風習に染まりきっていない農村では物々交換という原始的な取引方法が未だにある。
此奴は村へ出かけて行っては、壊れた農具やら何やらを治す代わりに、一時の休息の為の酒を貰ってくる。
自分は一度も口を付けないにも関わらず。

「また飲んでないみてェだな」

「ああ、気にしないでください、勝手に自分でやってるだけなんで」

そう言って苦笑する此奴は江戸に父親を残してきたと以前語った。
喧嘩別れして出てきたが、戦が終わったら笑って酒を酌み交わしたいのだと。
機械油に塗れた両手は父親の機械好きが遺伝した、と笑いながら頬を掻いて、その頬を黒く汚した。
自分は戦をしに来たのでは無い、喧嘩をしに来たんだ。
それが口癖の男だった。

隣で桜を見上げる男に習うように自分も空を仰ぐ。
薄紅色が自分達の上からはらはらと舞い散る。

「綺麗ですね」

「あぁ」

「高杉さんは、桜の下には死人が埋まっているって話知ってます?」

「…お前がその手の話を知ってるとはな」

はは、と乾いた笑いを浮かべた男は自分が座る所の隣の地面を軽く叩き目を伏せた。

「ここにね、俺が埋まってるんですよ」

「……何言ってんだ」

「ずっと前のことですから、忘れてしまっても無理無いですけどね」

寂しげにそう呟く男。
お前は此処にいるだろうと言いかけて口を閉ざした。
この男は誰なのか、俺は知っている。
だが、その名前を呼ぶことが出来なかった。


知らないふりをしていた事に目を向けた。


瞬間、突風が俺達の間を吹き抜ける。
思わず腕を翳して目を閉じた。
冷たい風が突き刺すように俺にぶつかっていく。
それが収まって目を開くと、もうそこに先程の景色は無かった。

「…銀時」

代わりに視界に捕らえたのは、先程まで話していた男が力なく桜に凭れ掛かるのと、それを言葉無く見つめる白装束の幼なじみ。
その名前を呼ぶと、紅い目が俺を映した。

「…よお、高杉」

刀を抜き、振り返った銀時は音もなく俺に歩み寄る。
ふらふらと近づく覚束ない足元。
何があった、と口を開きかけたその時、とん、と地を蹴る音がした。
途端に走った痛み。
自らの腹に突き刺さる刀の先には、表情を失くした銀時がいた。

「忘れさせてなんかやるかよ」

更に深く突き刺さる刀に呻きを漏らす。
体中を走る痛みと共に徐々に鮮明になる記憶。

「三郎がお前を許しても、俺は許せねえよ、高杉…何故三郎を捨てた?何故鬼兵隊を捨てた?」

まるで呪詛のような言葉ばかり吐く銀時の顔に表情は無い。
だがその目は悲嘆と憎悪を映し出す。
なんでどうして。

「何で俺達を捨てた…?」

「銀、時…テメェは知らなくていい」

あれは、俺だけが背負えばいい真実だ。

「…そう」

それを聞くと銀時は目を細め、するりと刀を引き抜いた。


「さよならだ」


飛びそうになる意識の中最後に聞こえたその声が、どこか寂しげだったのは、気のせいか。
その姿を追うことはできないまま、意識は途絶えた。

 
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