短篇
□ある男の懺悔
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モブ視点の完結編の話
冷たい部屋で白い息を吐きながら、壁の正の字に一本書き足した。
一日一回これを刻み続け、今日でもう十個目が完成してしまった。
牢屋というのは、どうにも息苦しい。
恐ろしい病気が地球で流行りだしさえしなければこんな所にはこなかっただろうに。
白詛とかいう奇病に娘がかかった。
どうしても治療費が必要だった。
到底足りない金に悩み抜いて、自分は罪を犯してしまった。
それで牢屋に突っ込まれてしまったのが随分と昔のことのようだ。
生活に必要最低限の物しかない此所ではただただ時間がゆっくりと進んでいくだけで、何一つ変化が無い。
娯楽などあるはずもなく、一日中病院にいる娘の安否を気にするぐらいしかできない。
だがそんな何もない場所に、数日前からある男が入ってきた。
名前は忘れてしまったが、何度か街中に貼られた手配書で見かけたことのある顔だった。
だが実際に自分の目で見てみるとどうだろう、清潔そうな見た目でなんだか犯罪者らしくないなというのが第一印象。
ここ数日彼の事を観察していたが、その印象が変わることは無かった。
そんな彼に興味が沸いたのはすぐのこと。
「あの…」
「どうした?俺に何か用でも…?」
「ここにいても特にすることが無くてつい」
苦笑しながらそう言うと彼も小さく笑った。
やっぱり、危険な人には見えない。
「そうだな、ここは静かすぎるかもしれんな」
「ええ…もし良かったら、少しお話しませんか?」
「俺で良ければ付き合おう」
腕を組んだまま壁に背を預けて座っていた彼は少しだけこちらへと向き直り座った。
自分も慌てて彼に向き直る。
そのままで構わないと言ってくれたが自分に誠実に対応してくれる彼に、自分も同じ物を返したかった。
正面から見る彼の顔の左半分は白い包帯で覆われていたが、今まで見てきた彼は怪我を負った風では無かった。
しかし毎晩包帯を外すときの顔は見ていて痛ましく思うもので。
薄い布団に包まりながら盗み見ては、ちくちくと心に刺さるような何かがあった。
今日話しかけたばかりの自分が聞いていいことではないだろう。
いきなり話しかけた自分にこうして対応してくれる彼なら答えてくれるかもしれないが、心にしまっておくことにした。
「私は外に娘がいるんです」
「そうか…なら此所からは早いうちに出なければならんな」
「そんな、出られる保証なんてありませんよ」
「大きな罪を犯した訳ではないだろう」
確信したような声音で聞いてくる彼に苦笑いを浮かべて頬を掻いた。
そんなことは無いと言ったものの、取り合ってはもらえず。
大方他の者のことを思ってのことなのだろう?と見事に突かれ、曖昧に笑って返すと彼は頬を緩ませながら目を閉じた。
「家族のことを言い訳にするつもりは無いですし、自分が悪いんです。盗みなんてするべきじゃ無かった。ただ…」
「ただ?」
「一つだけ恨み言を言うのだとしたら…白詛が無かったらとは、ここに来てから何度も思いました」
そう言った途端、一瞬だけ彼の表情が強張った。
彼の大切な人も白詛で失ってしまったのか、それとも他の何かがあるのか。
「大丈夫ですか…?」
「気にしないでくれ。そうか…俺も今になって悔いる事が多くてな」
「…僕もです」
「後悔とはよく言ったものだ」
自嘲するようにそう呟いて目を伏せる彼。
彼は何故そんなにも悲しそうな顔をするのか、知りたいと思った。
自分だけが不幸だと思っている訳じゃない。
けれどここにいる間、ずっと白詛を恨んできた。
他の人の話を聞けば少しは何か違ってくるんじゃないか、なんて思ってしまった。
「あなたはどうしてここへ…?」
「どうして、か」
視線を空に彷徨わせながら考え込む。
犯罪者には見えない彼がどうしてここに来たのか、純粋に知りたかった。
「そうだな…以前の俺ならこの薄暗い汚れた場所を変えに来た…と言っただろうが」
「大きなことを言うんですね」
「俺は革命家だからな。この国を変える為に、いろいろと罪を犯した」
「革命家、ですか」
「沢山の罪を背負ったことに後悔は無い。だが俺は国を変えて救うどころか、友を変えることも救うことすらもできなんだ」
顔の左半分を手で覆った彼。
包帯の巻かれていない所だけが露になった彼の表情はいつも以上に悲しげで、こちらまで複雑な気持ちになる。
「あの時俺が気づいていれば。あいつだけに全ての重荷を負わせなければ。きっと何か変わっただろうに俺は何もできなかった…俺はまた友に何もしてやれなかった」
それが俺の一番の罪だろうな。
そう言って顔を覆っていた手を外し、みっともなかっただろうと苦笑した。
何も言えずに首を横に振った。
「自分なんかでよければ、いくらでも」
「やはり犯罪者という柄ではないな貴殿は。なら…どうにもならない後悔をしても構わないか?」
無言で頷くと、彼は一つずつ語り始める。
一滴、また一滴と零れるように、ぽつぽつと。
昔から大事なことを見過ごしてきた。
支え合おうと思いながらもいつのまにか助けられるばかりになっていた。
隣にいたはずだった彼らの背がいつの間にか遠く離れていた。
あの日何も出来なかった自分。
彼は自分に何かを望んだ訳では無いだろうが、何一つ気づけなかった自分が恨めしい。
ありはしない事だと分かっているが、もう一度叶うなら。
「今度こそ、あいつの歩む道を…奴が笑える未来を」
その先は言葉になることは無かった。
最後まで聞くことは叶わなかったが、彼はどうやらそれ以上話す気は無いようだった。
黙って聞いていた彼の声は震えることはなかったが、言葉の端々に隠しきれない悲しみと悔しさとが見え隠れしていた。
何も知らない自分が言えることなんて無いだろう。
彼は慰めを望んだ訳でもなく、自分のように傷の舐め合いをしたかった訳でも無い。
それでも彼に何も伝えないではいられなかった。
「ありますよ…きっと。あなたは優しい人のようだから」
周りの囚人達が寝静まり、消灯となった頃。
布団を敷いた場所のすぐ横が小さく音を立てたと思うと床の一部分が崩れた。
「エリザベスか」
『助けに来ました桂さん』
そのプラカードに首を振ると何故だとばかりに詰め寄られた。
こうまでして助けようとしてくれているエリザベスを一人外に残すのは心が痛んだが、もう決めたこと。
こんなことで釣り合うとは思っていないが、これが自分の業だ。
「俺はここを出ることはできん」
『桂さん、』
「心配するな、俺はそう簡単に死なないさ。お前は外で好きに生きてくれて構わない、今まで本当に世話になったな」
『…どうかお元気で』
「ああ、お前も。…最後に一つ頼んでいいか?」
先ほどまで話していた男に視線を向け、エリザベスを呼ぶ。
彼はここにいるべき人間ではない。
「彼を代わりに外へ出してやってくれ。彼も白詛の被害者だ」
全てはあの時完全に白詛を断ち切ることができなかった自分達が引き起こしたことだ。
娘を残してきたという彼は、罰されるべき人間ではないだろう。
眠る彼を背負ったエリザベスは一度振り返ったが、首を振ると名残惜しげにしながら去っていった。
「銀時…お前は今どうしているのだろうな」
姿を消した友に思いを馳せながら目を伏せた。
お前が背負っていったものを、すこしでも俺が引き受けることができていたら。
何度となく自分に問うてきたことにまた答えを見つけられないまま、眠りに落ちた。