Museum
□「誘って、」
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胸がどきどきする。
開け放たれた廊下の窓から聞こえてくる部活動の音が鼓動で聞こえないくらい。
(まずは深呼吸して、落ち着いて……)
瞼を閉じ、数回深呼吸を繰り返した螢は瞼を開き、辺りの様子を窺った。そして、誰もいないことを確認するとまるで戦に赴く兵士のごとく、キッと前を見上げた。
『数学準備室』のプレートが掲げられた部屋の引き戸に手をかける。
いつもなら約束の合図をかけるのだけれど、今日は無理だ。私にとっては、この間のバレー部の試合以上の大勝負だもの。
螢はもう一度深呼吸をして、がらりと引き戸を引いた。
「失礼します!」
すぐさま後ろ手でぴしゃりと扉を閉めると、螢はホッと息をついた。
「−−どうしました?藍さん」
その声に螢が顔を上げると、静蘭は机に数学の教科書やいくつもの紙を広げ、ノートパソコンを開いていた。
これはまずったかな、と螢は思った。
「もしかして……テスト、作ってたの……?」
「ええ、明日の小テストのね。まさか、あなたが来るとは思わなかったもので」
「……ごめんなさい。今日は帰るわ。また出直します」
いくら恋人同士でも、教師と生徒だ。テスト作成などに関わってはいけない。
しょんぼりと螢が踵を返すとパタンとノートパソコンを閉じる音が聞こえ、静蘭がため息をついたのがわかった。
「仕方ありませんね。教師として、あるまじき行為ですが……テストよりもあなたのほうが優先です」
「え……?」
静蘭を振り返ると、彼は教科書や紙を片付けていた。すべて鞄にしまい終えると、静蘭は立ち上がって、向かいの椅子を引いた。
その視線が螢に座りなさいと言っていたので、彼女は思わず呟いた。
「……先生が紳士的だと、気味悪いわ」
「私はいつでも紳士ですよ。それはあなたが一番知っているはずですが?」
「う……」
にっこりと静蘭が微笑む。
螢はおずおずと、素直に礼を言って椅子に座った。
「それで、どうしたんですか?『連絡』も取らずに、ノックもしないで」
「だって、今日は数学、なかったじゃないの……」
螢はうつむいたまま答える。そのらしくない彼女の様子に、静蘭はわずかに眉を寄せた。
バレー部の試合は先日終わった。まだ何かあっただろうか。
考える静蘭をよそに、螢は自分を勇気づけていた。
(何しにここに来たのよ、螢。言ってみるだけじゃない、言ってみるだけ。だめでもともと、勇気出しなさい)
うん、と螢は頷いた。先ほど数学準備室のプレートを見たように、キッと静蘭を見つめた。
「あのね、だめでもともとだと思って言うわ。私と、デ、デートしてほしいの!」
言った、と螢は思った。
教師と生徒という関係であるからして、外でデートするのは常に控えている。バレればどうなるか、いやでもわかる。