乱華・藤

□織田信長
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【生没】
1534(天文3)〜1582(天正10)
【別称】
上総介・尾張守・弾正忠・右大臣・吉法師・三郎
【本拠】
尾張那古野城→尾張清洲城→尾張小牧城→美濃岐阜城→近江安土城


「戦国の覇王」「第六天魔王」の異名で知られる第一の天下人。
尾張の小大名にすぎない生まれながら、その後の活躍は目覚ましいものがある。一族内部の争いに勝ち抜くと、今川義元の大軍を打ち破り、上洛して天下に号令をかける。将軍義昭との不和から包囲網を作られるもそれを破り、ついに天下統一まであと一歩へ駆け上がったのである。
先見性に大変優れた人物で、長槍・鉄砲などの新兵器開発や、楽市・楽座・南蛮との交流などの新しい政策を積極的に施行して勢力を拡大した。
また、それまで戦力であるとともに農民でもあった兵士たちを城下町に住まわせて専業の兵士にすることで、いつでも出兵できる体制を作ってもいた。
一方で敵対者や逆らった相手、従わない部下たちに対して過酷な仕打ちをする人物でもあり、比叡山焼き討ちや長島一向一揆の皆殺しなどを行う。その結果、部下の明智光秀に謀反を起こされ、本能寺で死ぬ。

・本能寺というのは当時、信長の火薬を扱っていた武器商人。本能寺と同系の寺が火薬商のネットワークみたいなものを築いてた。そのうちの一つが本能寺。火薬はほぼ無尽蔵。光秀は500人の鉄砲隊を連れ、火薬庫をめがけて撃ちまくった。当然撃ちまくれば爆発するでしょう。
宣教師はちょうど近くのセミナリオに居合わせていてその時の様子を書き残している。部屋の端から端まで吹き飛ばされたそうだ。秀吉は信長の死体を探そうとしたが肉片すら見つからなかったそうだ。葬儀は10日も遅れてしまい、信長の死体の代わりに信長の本造りを二体用意して葬儀わ行った。

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