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□深海魚
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「マミィ、パピィ〜……」
ふすまの向こうから小さな声が聞こえた。
新八はうっすらと目を開ける。目に映ったのは自分の部屋の天井ではない。明日早朝から依頼が入っているため、万事屋に泊まったことを思い出した。
「パピィどこぉ……マミィ、うぇええん」
不安を色濃く滲ませた声は徐々に大きくなり、堰を切ったように泣き声に変わった。新八は布団から体を起こして声のする方を見た。薄い襖の向こうから泣き声は続いているが、隣で寝ている上司は腹を出したまま起きる様子はなかった。
「……ひっく、パピィ、うくっ、……マミィ、おいてかないでぇ、」
またか。慌てることもなく新八は小さくため息をつく。よいしょ、とつぶやいて布団から立ち上がった。音を立てないように襖を開けると、ソファーの上で小さく丸まり、ぐすぐすと鼻をすする神楽がいた。予想のついていた光景だ。
「かぐら、」
昼間呼ぶときよりはゆっくりと、そして丁寧に新八はその名を呼んだ。神楽ははっと顔を上げた。涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔は見慣れたものだ。
「……マミィ!」
「そんな顔してたら、パピィに笑われるよ?」
テーブルの上に置いてあったティッシュ箱を取って、新八は神楽の隣に座った。
「ほら、ちゃんと鼻かんで?」
ティッシュで鼻を抑えてやっても神楽はいやいやと頭を振り、新八の胸に顔を埋める。新八の襦袢の襟を握り締める白い指は冷たくなっていた。
「マミィ、マミィイ……」
新八は神楽の髪を撫でる。お団子のない、指通りのよい髪は頼りなく揺れていた。先日安売りで買ったシャンプーの匂いが鼻をくすぐった。
「大丈夫、……ここにいるから」
確かめるように新八は言葉を紡ぐ。細い肩を抱きしめながら髪を撫で続ける。襦袢に涙がしみ込むのがわかった。
深夜、神楽がこんな風に起き出してしまうことは珍しくなかった。最初に気付いたのは一緒に暮らしている銀時だ。銀時にしては珍しく、決まりの悪い顔でどうしたものかと相談されれば放っておくわけにはいかなかった。最初こそ「ただ寝ぼけちゃってるだけじゃないですかね」とあまり真面目に取り合っていなかったが、初めてこの症状を目の当たりにしたときはさすがに驚いた。
『マミィ、どこにもいかないで』
泣きながら新八の袖に縋る姿はまるで幼児だった。日中、絡んでくるゴロツキ共を一網打尽にする神楽からはまったく想像がつかない。
さらに神楽は、新八を「マミィ」、つまりは母親と認識していたのだ。男である自分を母親と見紛うのは些か腑に落ちなかったが、母親を演じてなだめてやればまた大人しく眠ってくれた。そのことに気づいてからは、渋々ではあるが、こうして母親役を買って出ているのである。
「パピィは……?」
赤くなってしまった目で神楽は新八を見上げる。新八は、神楽の前髪を梳かしながらその丸い額を撫でてやった。
「パピィは向こうで待ってるよ。……今日は一緒に寝ようか」
「……うんっ!」
新八の言葉に、神楽の表情が緩んだ。新八は神楽の手を引いて寝室への襖を開ける。
「シャチョサンイラッシャーイ、今日はサービスするヨー」
襖側に体を向けた銀時が、頬杖をついて布団を開いていた。
「……なにやってんスか」
「風俗のマネ」
「せめて日本人の設定にしろよ」
「いやだってまず地球人じゃねーだろ、神楽」
「だからって誰が風俗スタイルで出迎えろって言った!」
「パピィー!」
そして当然ともいうべきか、この状態の神楽は銀時を父親と認識しているのだ。
新八の予想を裏切り、神楽は一目散に銀時の布団にもぐりこんだ。自分の時よりも嬉しそうな神楽の様子はなんとなく面白くはないが、それでも泣き止んでくれたことには安心した。
「お前まーた寝ぼけてんのかよ、こんな若い銀さんにこんなデカい娘いるわけねーだろ、銀さんみんなの銀さんだからね子供なんか作ってねーからね」
「パピィくさいアル」
「くさい?くさいって言った?違うよ銀さんまだそんな加齢臭とかする歳じゃないからねェェェェ!!?」
近頃は銀時も慣れたようで、こうして協力もしてくれるようになった。新八は小さく微笑んで自分の布団に戻る。
「……マミィ、」
銀時の布団にもぐりこんだ神楽がこちらを向いて、手を差し出してきた。新八も手を伸ばす。その手は小さな手にしっかりと握られた。
「マミィも、一緒」
「え?」
「一緒に、寝るアル」
「え、で、でも、」
「しゃーねぇ、今日は特別に銀さんのところで眠ることを許してやろう。ホレ、」
そういうと銀時は体をずらし、新八の分のスペースを無理矢理に空けた。しかしもともとが一人用の布団だ。すでに二人が寝ているところに入るのは躊躇われる。
「…どー考えたって狭いじゃないですか、僕蹴り出されるの目に見えてますよ」
「娘の頼みだ、しょうがねーだろ」
銀時はにやりと意地の悪い笑みを浮かべる。そう言われれば、新八に断るすべはなかった。
「……今日は特別ですからねっ!」
銀時の布団の空いたスペースに、おずおずと体を滑り込ませる。間に神楽を挟むようにして、布団の中で銀時と向き合った。
「…………せめーな」
「だから言ったじゃないですか」
「つーかなんで神楽、俺らをパピィとマミィと思ってるわけ?お前はいいよ?なんてったってマミィだからな、宇宙一の戦闘民族にマミィ認定されるほどオカンってことだからな。けどさぁ、俺あんなハゲ散らかしたオヤジと一緒にされたくないんだけど、俺の頭確かにちょっと散らかり気味だけどハゲてはないからねハゲては。そりゃあ人間は心はハゲであるべきだとは思うよ?毛一本もないありのままの姿で……」
「銀さん、しぃーっ……」
ぶちぶちと文句を垂らす銀時に目配せをして、新八は口に人差し指を立てる。さっきまで新八の腕の中で泣いていた幼子はかすかな微笑を浮かべながらすうすうと寝息を立てていた。
「……なんだよ、ぴーぴー泣いてたくせによ」
ぶっきらぼうな口ぶりは照れ隠しだとわかる。銀時のその表情は、幼い頃父が新八に向けてくれたものと重なった。
新八は、繋がれたままの手を握り直した。
「やっぱり……淋しいんですかね、神楽ちゃん」
「あ?」
「だって、夜兎族とはいえまだ十四歳の女の子ですよ?家族と離れ離れになって淋しいに決まってますよね」
「……オヤジは生きてんだから、帰りたきゃ帰ればいいだろ。俺はここにいてくれなんて頼んだ覚えはねえ」
この天邪鬼が素直に「いてくれ」なんて言うわけはないから、新八はあえて何も言わなかった。今更、この男の神楽への情を、新八は疑ったりしない。
「この間、お医者さんに相談したんです。……神楽ちゃんのこと」
「まーたお前はそう勝手な……」
「心配だったんですよ。神楽ちゃん、起きたときには何も覚えてないし、それに僕らの対処法が正しいとは限らないし……おそらく夢遊病の一種だろうって」
「……ふーん」
「でも、症状からするに子供がえりも併発してるって……そっちはたぶん精神的なものらしいですけど、たぶん不安感からくるものだから、その不安を取り除いてあげるようにしなさいって」
「不安感?……神楽があ?」
「僕らが思ってるよりもずっと、神楽ちゃんは幼いんですよ」
眠る神楽の髪を梳いてやりながら、新八は言った。
「だから……神楽ちゃんがもうちょっと大きくなるまで、不安なんて感じないようになるまで、もう少しだけ、『パピィ』でいてくれませんか?銀さん」
所詮寄せ集めの三人だ。本当の家族にはなれない。そんなことは銀時も新八もわかっている。
だけどいずれ来る別れの時まで、万事屋を「家族」と呼ぶことを止めはしないだろう。
「…言っとくけどハゲにはならねーぞ、俺は」
「わかりましたって」
例え誰かが、欠けたとしても。
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