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□眠れぬ夜
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死ぬってのは、どんなモンなんだろうな。







男はそう言った。意外だった。いつ死んでもおかしくはない戦場に身を置いているくせに、呑気に「死とは何か」なんて。

「………突然どうしたんですか」

新八は思わず尋ねていた。男の言葉の意図をくみ取ることはそう容易くはない。しかし新八にはわかっていた。

「哲学者にでも、……なったつもりですか」

わかっていたからこそ、はぐらかそうとした。無理矢理に繕った口元の笑みが歪む。



それは高杉が、『死』を覚悟しているということ。
























目を瞑っても、眠りはやってこなかった。

新八は仕方なく両の目を薄く開く。その二つの瞳に映ったのは自宅の天井ではない。

今日も来ないか、と新八は思った。

高杉との逢瀬に使っているあばら家の天井はところどころ腐って穴が空いていた。息を吐き出せば白く、張りつめるほどに冷たい空気は気温の低下を知らしめる。

やけに静かな夜だった。人の声や生活音はもちろん、風や、木の葉のざわめく音でさえ、ひっそりと鳴りを静めている。自分一人だけが世界の外に放られてしまった気にすらなる。

もしかして、と新八は布団から起き上がる。自らの体温で温まった布団から一歩外へ出れば、細い針を刺されるような寒さが身に染みた。そんなことには構うことなく立ち上がり、部屋に一つだけある窓に近づく。

「……――雪、だ」

寒さを凌ぐにはまったく頼りないガラス窓に手をひたりと置いた。指先から霜が降りてくるような冷たさだった。

粉雪は降り始めたばかりのようだ。窓から見える眺めはまだ白に支配されていない。しかしうっすらと、確実に白はあたりを侵食し始めている。積もるのは時間の問題だろう。





あれ以来高杉はこの部屋に現れていない。

そして新八はあの日からずっと、この部屋に通い続け、一人夜を過ごしている。もう二週間は過ぎただろうか、姉が夜の仕事をしているのは幸いだった。

攘夷志士が不穏な動きをしていることも知っている。それを新選組が追っていることも。新八の雇い主の友人である、長髪の穏健派筆頭に密かに教えてもらったのだ。








「攘夷志士の情報を教えてくれ?」

「……はい」

暖かい冬の日差しを受けながら、彼は茶屋で団子を頬張っていた。

「……理由が要るな。志士でも新選組でもない君が、なぜそんなことを知りたがる。攘夷志士になりたいのなら話は別だが。もちろん、新八君なら大歓迎だよ」

「と……、ともだちが、……攘夷志士になりたがってて、ぼっ、僕は止めてるんですけど、でもなりたいって聞かなくて、」

聞かれるであろう質問を想定し、準備しておいた回答を舌に乗せた。もともと嘘は苦手だ。目が泳いでしまっているのを悟られないよう、新八は下を向いた。

「だから、今、攘夷志士がどんな危ないことをしてるかって知れば、かっ彼も諦めて、くれる……と思うんです」

ふうむ、と長髪は腕を組んだ。新八の心臓は今にも止まりそうだった。嘘を吐くのは性に合わない。

「攘夷志士は危ない奴らばかりではないよ、新八君。……まあ、高杉のような者たちもいるのは確かだが」


止まりそうだった心臓は、今度は大きく拍動した。


「……たっ、……高杉さんたちは、今は何を、」

「それは俺にもわからんが……近く、幕府に大きな戦を仕掛けるという噂は聞いた」

「いくさ……」

「ま、それも彼奴らの手の内かもしれん。わざと噂を流して相手の出方を見る。戦場では常套手段さ」

「戦が始まったら……どうなるんでしょうか。その、誰かが……」

新八は怖くて、その先を紡げなかった。


「死ぬだろうな」


その言葉は重く新八の心を締め付けた。














体はすっかり冷えてしまった。それでも新八は窓から離れようとはしなかった。雪はしんしんと降り続け、窓枠に切り取られた風景を白で染め上げた。

あの男がそう簡単に死ぬとは思えない。数多の戦場をくぐり抜けてきた経験は、新八とは比べ物にもならないのだ。それでも常に「死」を引き連れて歩いているような彼の生き方は見ていて痛々しかった。


死に場所を求めて生きているようなあの背中を見送ることは、もう、したくなかった。





雪が作り出す白と静寂が破られたのはその時だった。

「……?」

ざく、ざく、と、雪を踏む音が聴こえる。こんな寒い雪の、しかも真夜中に出歩く物好きもいるんだな、と、新八は耳を澄ませた。規則的だった足音は、徐々にその規律を乱して近づいてくる。何かを引きずっているようだ。他の音は何も聞こえないから、その足音の持ち主であろう人間の息遣いまで聞こえてきた。

突然、新八は裸足のまま玄関先に飛び出した。地面の冷たさ以上に新八を驚かせる光景が目の前にあった。


「……よォ、」

「た……」

「まさかいるたァ……思って、なかったな」


足を引きずり、肩からは血を流し、立っているのもやっとの高杉が、玄関の門にもたれかかっていた。

「たかすぎさん!」

新八の呼ぶ声と共に、高杉は雪の地面に崩れ落ちた。新八はすぐそばに駆け寄る。肩口から流れる血が、白を赤に変えていく。

「あっ、ああ……なっなんで、こんな……高杉さん!しっかりしてください!」

倒れ込んだ高杉を抱き起し、その息を確かめる。高杉の口元で白く染まる空気が、今にも切れてしまいそうな生を新八に伝える。冷えた新八の手よりもさらに冷たい体。


「高杉さん!!」
















しゅんしゅんとやかんの先から蒸気が湧き出る。新八はやかんをコンロから下ろし、お湯を桶に注いだ。そこに水を少しずつ足しながら温度を調整する。お湯の入った桶を持ち、高杉が寝ている居間へと運ぶ。

高杉はまだ目を覚まさない。新八の腕の中で意識を失ってから、その隻眼は閉じられたままだ。

新八は桶を畳に置き、その中に手拭いを浸した。良くお湯を吸わせて両手でぎゅっと絞る。一度開いて綺麗にたたみ、寝ている高杉の上半身を丁寧に拭いた。応急処置はすでにしたが、血の流れた跡がまだ残っている。

右肩口の傷は刀傷だろう。この角度だと振り向きざまに斬られたのだろうか。しかしこちらの傷は出血がひどいだけで、止血さえしっかりすれば致命傷までには至らないように思えた。右足首も腫れてはいるが、捻挫だろう。問題は左下腹部から左大腿部の広範囲に広がる爛れだ。おそらく火傷だろうが、小さな破片のようなものもところどころ刺さっていた。察するに爆風でも浴びたのか。新八は目を凝らし、寒さに震える手を気休めに火を灯した七輪で暖めながら慎重に抜き取って行った。

全ての破片を取り除いたあと、外に出て布袋に雪を詰め込んだ。そしてまた中に戻り、それを火傷の部分に押し当て、長めの帯で上からぐるぐると高杉の体と共に巻いた。そこまですると、新八はふうと一息つき、改めて高杉の顔を見た。

これだけ新八に体を弄られても、その間高杉が目を開けることはなかった。
















丑三つ時はもうとうに過ぎているだろう。しかし新八は不思議と眠くはならなかった。目の前で眠る、時折苦しそうに呻く男を見ていた。

外では変わらず雪が降り続いている。明日は相当な積雪量になるはずだ。何もかもすべて覆い隠してくれればいい。新八はそう思った。足跡も、血で汚した地面も。


高杉が生きていてくれて、心底安堵した、この心も。


この心は、一生誰にも明かすつもりはない。無論高杉にも。否、むしろ一番知られたくない相手だった。知られてはいけない。知られたら、この幽かなつながりさえも失う。なのに今、どうしても伝えたい。さらけ出してしまいたい。あなたに知ってほしい。

だってもしあなたが死んでしまったら、僕らの間には何も残らない。


だからせめて、想いだけでも。
眠っているあなたになら。


「高杉さん……僕ね、」



これで眠れぬ夜は終わるのだろうか。
新八は、高杉の手をそっと離した。












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フジ/ファブ/リック:眠れぬ夜

2015.01.06 月見 梅
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