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□赤いあなた
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ある朝、青い鳥が目を覚ますと、赤い獣は眠る様に死んでいました。青い鳥は、その小さな瞳からぽろぽろと涙を流して泣きました。赤い獣のために泣きました。悲しくて悲しくて、獣の亡きがらの隣で、いつまでも泣き続けていました。

そうして涙も尽きたある日、青い鳥は獣に寄りそうようにして眠りにつきました。


それから青い鳥は、二度と目を覚ますことはありませんでした。







































その年の暑さはまるで正気の沙汰ではなかった。もう暦は立秋を過ぎた。だけど太陽はその光を弱める気配はなく残暑を長引かせている。

夏祭りの話を聞きつけてきたのは神楽だった。大きな花火のイラストが描かれたチラシを見ながら三人は真夏の帰り道を歩く。

「コレ、今日なの?」

新八は、となりですでにはしゃいでいる神楽に尋ねる。チラシの上部に大々的に書かれた日付は今日のものだった。

「そーアル!だから三人で屋台を制覇しに行くネ!」

「バカかおめー、夏祭りの目的はそこじゃねーだろィ」

その体に見合わない大食漢の神楽に呆れるのは沖田だ。高校最後となる今年、沖田はインターハイに出場する。登校日の今日、部活はつかの間の休みだった。

「僕行きたいな、沖田くんも行こうよ。今日部活休みでしょ?」

新八がそう誘えば、沖田は「しょーがねーなァ」とあからさまにため息をついた。

「そういえば、沖田くんと神楽ちゃんさぁ、進路どうするの?」

両隣を歩く二人に、新八が尋ねた。もうすぐ進路希望調査書の提出締め切りだ。高校生活も残り少なくなった。

「私は国に帰って、パピーととれじゃーはんたーになるネ!」

神楽はふふんと胸を張って答えた。

「そっか。神楽ちゃん、留学生だもんね」

「つか、お前トレジャーハンターの意味わかってんのかィ?」

「沖田くんは?大学?」

「いや、就職」

棒アイスをかじりながら、三人は家路を歩く。ついさっき買ったアイスはもう溶け始めている。新八は溶けたアイスが垂れてしまわないように、それを舐め取った。

「就職?どっかのコネとかあるの?」

「いや全然。公務員だしなァ」

「公務員!?沖田くんが!?」

あまりにも意外すぎる進路に、新八は目を丸くした。

「…なんだよ、悪ぃかよ」

「だ、だって…」

「まあ、…ケーサツカン、だけどねィ」

沖田は、照れくさいのか、新八から視線を背けた。新八の隣の神楽が噴き出した。

「ぷぷー、お前がケーサツなんて、この国も終わりネ」

「ケンカなら買うぜェ、クソチャイナ」

もう、やめなよ!アイス溶けちゃうよ!と新八が一喝すれば、二人は慌てて残りのアイスにかじりつく。

「…そっかぁ。そうなんだぁ」

すごいねぇ、立派だねぇと、尊敬のまなざしを向ける新八に、沖田は「うるせー」とだけ返してまたアイスをかじった。

「やっぱり土方さんの影響?かっこいいもんね、土方さん。僕あこがれちゃうなぁ」

沖田の親戚である土方には、何度か会ったことがある。土方は優秀な刑事で、会うときはいつでも新八に優しかった。だけどそれを沖田に言うと必ず「お前は騙されてんでィ」と呆れられてしまう。

「ふざけんじゃねーや。あんなマヨと一緒にすんな」

「そんなこと言っちゃって」

へへへっ、と新八は笑った。

「そういうお前はどーすんでィ」

「僕は…大学かな」

「家から通うんで?」

「ううん。家を出て、一人で暮らしてみようかと思って」

そう言った新八に、沖田と神楽は驚いた。しかしすぐにその頬を緩ませて笑った。

「おめーみたいな弱虫が一人暮らしなんて十年早ぇ。まだメガネから卒業してねぇくせによォ」

「そーアル。まずはそのイモくさいメガネをコンタクトにしてシティ派になってこいよコラァ」

「メガネと一人暮らし関係あんの!?」

アスファルトから立ち上る陽炎がゆらめいている。暑い日の昼下がりだった。

「…それにしてもあっついねー…」

新八は、手の甲で額の汗をぬぐった。



























屋敷に戻ると、新八の目の前を坂田があわただしい様子でかけて行った。しかし新八に気付くと、その足を新八の前まで戻した。

「おう、お帰りぃー」

「ただいまもどりました、銀さん」

前当主の様々な不祥事が日の下にさらされ、一時代に栄華を誇った志村グループもおしまいかと囁かれていたのを立て直したのは坂田だった。坂田はその手腕を買われ、すぐに経営陣に迎え入れられた。そしてついこの間、その業績が評価され、代表取締役に昇進したばかりだ。

坂田は、秘書から正式な志村グループの幹部になっても、この屋敷を出て行こうとはしなかった。そればかりかその頭を下げ、新八にこの屋敷に住まわせてほしいと、頼みこんできたのだ。

「今日はなんか…きっちりしたカッコしてますね」

「仕方ねーだろ。なんか役員パーティがあんだと。堅苦しいったらねぇよ」

はあーと大きく息をついて、坂田は締めたネクタイを緩めようとする。

「ああ駄目ですよ。…ホラ、ネクタイ曲がっちゃったじゃないですか」

新八は鞄を置き、坂田のネクタイを直す。派手な色のネクタイは、パーティ会場で映えるに違いない。

「はい、できた」

「サーンキュ、新八。お礼はこの俺のあっついキスで…」

「しませんってば」

「ちぇー。新ちゃんてば相変わらずガード堅いんだからぁー。俺はいつでも養子縁組の準備はできてるのにぃ」

と、坂田は子供のように口をとがらせた。

「どーせ今の後見人も俺なんだし、どう?ホントに考えてみねぇ?」

「また冗談ばっかり」

新八は笑ってその誘いをかわした。坂田の言うことは真に受けないほうがいい、ということは、坂田と一緒に暮らし初めて得た教訓だ。

「はーあ、つれないねぇ…そういや学校どうだった?登校日だったんだろ?」

「ああ、まあ…」

「ダチは元気だったか?夏休みだし、会うの久しぶりだったんじゃね?」

「まあ、はい」

「なんだよその気のねー返事はよ、わけーんだからもっとガツガツいかねーと。俺みたいに!」

「銀さんもう三十路でしょ」

「まだ二十九ですぅ!」

新八は志村家を相続しなかった。相続したくなかった。だから、坂田をはじめ、前当主の下実際に志村を動かしていた幹部たちにすべて任せた。そもそもこの時代、世襲制など流行らない。

「あ、そういやお前、明日ヒマ?」

「明日ですか?予備校あるから夕方からなら…」

「じゃあさ、夜、飯でも食いにいこーぜ。なんかウマいもん食わせてやる」

「…なんでですか、なんか企んでませんか?」

「ちげーっつの!なんでそんなに俺信用ないわけ?」

坂田は新八の頭に手を乗せて、ぐしゃぐしゃと撫ぜた。

「明日、誕生日だろ。十八歳」

「…あ」

自分でも忘れていた誕生日を、新八はようやく思い出した。最近は受験や将来のことばかりで忙しくしていたから。

「あ、…ありがとう、ございます…」

「おう、なんか食いたいもん考えとけよー」

坂田は手を離し、にかっと笑って玄関から出て行った。新八は撫でられてぐしゃぐしゃになってしまった髪を手で梳いて直した。そのまま廊下を歩いて自室まで戻る。

部屋に入り、鞄をベッドに放ると、机の上に置いてある白い封筒が目に入った。女中が置いておいてくれたのだ。達筆な字で「志村新八様」と書かれたそれを見るのは何度目になるだろうか。裏を見れば、これまた同じ字で「妙」とだけあった。あの事件以降、彼女とはこうして手紙のやりとりを続けている。

すると、部屋をノックする音が聞こえた。

「はい、どうぞ」

「失礼します、新八さま」

入ってきたのは若い女中の一人だった。その腕の中には何やらたくさんのガラクタやら本やらが詰め込まれた段ボール箱があった。段ボールに隠れて、女中の顔は見えなかった。その足元がおぼつかなくふらついてるのを見て、新八はすぐさま反対側から段ボールを抱えた。

「いいですよ、僕が持ちます」

新八が箱を持つ手が女中のそれと触れる。女中は、頬を赤らめてその手を離す。新八はそれを抱え直すと、女中に尋ねた。

「どうしたんですか、コレ」

「あ、あの、今物置を片づけていて、出てきたものなんです。他の方にお聞きしたら、新八さまのものだということだったので…」

新八は抱えた段ボールの中身を見る。確かにどれもこれも見覚えのあるものばかりだった。幼いころ使っていたものだ。

「無断で捨ててしまうのもどうかと思いまして、一度新八さまに確認してもらってから…」

「そうですか、わかりました。じゃあ後は僕がやっときますから、大丈夫ですよ」

新八がそういうと、女中はぺこりと頭を下げ、足早に部屋を出て行った。新八は段ボール箱を床におろす。

「懐かしいなあ」

一つ一つの手触りを確認しながら、箱から取り出していく。くたびれたクマのぬいぐるみ、車のミニチュア、ラジコンの飛行機。どれも大切にしていた。おもちゃだけでなく、何冊かの絵本も入っていた。

「そういえばこんなの読んだっけ…」

押入れにいるお化けのおはなし。聞かされた時は一人で眠れず父親のベッドにもぐりこんだ。そんな新八を、父親は抱きしめて眠ってくれた。

その絵本の下に、もう一冊、古ぼけた絵本があった。新八はそれを取り出す。ほこりをかぶっていた本の表紙を手で払うと、鮮やかな色合いの表紙が見えた。

『赤い獣と青い鳥の旅』

そう題された絵本を、新八は開いた。それは閉じ込められてしまった鳥と、鳥を助け出した獣が、二匹で旅をする話だった。幼いころ父がよく読んでくれたものだ。内容は知っているはずなのに何故か引きこまれ、新八はページをめくる。

最後、二匹は死んでしまう、悲しい物語だった。

新八は絵本を閉じた。その表紙に描かれた獣の姿は、子供の恐怖を煽るような恐ろしい表情をしたものだった。だけど、どこか淋しそうに空を見上げている。その空には、鳥が美しい青い羽を広げて舞っていた。

新八は、この絵本の中の獣のように優しい人を知っている。

絵本を持ったまま、窓の外を眺めた。


あれからもう、二年が経つ。






















屋敷の裏手から、あの庭園へ続く小道はすでに雑草に埋もれてしまっていた。新八はそれを踏み分けて進んでいく。

夕暮れの暗い草道を抜けた先、夏の日差しから逃れるように、庭園はひっそりとそこにあった。

手入れのされていない花壇にはたくさんの雑草が生い茂っている。整然と並んで咲いていたはずの花達は跡形もない。

そこはかつての庭園ではなかった。

新八は、そこに足を踏みいれる。雑草は花壇の外までにその範囲を拡大し、好き放題に庭園を荒らしていた。あの美しい庭園は失われてしまった。

高杉が去ってからここへ来るのは初めてだった。あれからここへ来ることができなくなっていたからだ。ここへ来れば、高杉に会えるような気がしてしまう。

花達の香りの中で、高杉と初めて抱きしめ合ったこの場所で。

高杉はもういないと認めるのには長い時間がかかってしまった。だけど新八には、たくさんの支えてくれる人たちがいた。失ったことを嘆いているばかりでは、彼らの想いを無碍にしてしまう。

「もう、…二年も経つんだもんね…」

新八はしゃがみこんで、雑草の一本を抜いた。またちゃんと手入れをして、綺麗な花を咲かせてあげよう。ここは大切な場所だ。荒れ放題のままでは思い出もすさんでしまう。思い出くらいは、綺麗にしまっておきたかった。

雑草を除けて行くと、その一番下に花が咲いていた。草の陰に隠れて最初は分からなかった。

花は上を向いて咲いていた。力強く手を伸ばすように、逞しく、強く。夕日と同じ色の花は燃えるような橙だ。

薄い花弁にぽたりと滴が落ちた。

頬を伝うのは温かい涙。

ぽたぽたと落ちる涙は花弁を濡らしていく。涙とともに、一気に思い出が溢れだす。忘れることなんてできない。逃げて逃げて逃げ続けて、一緒に死のうと約束した高杉は、その手を離し、新八を置いて去って行った。新八のために。

新八が、前を向いて生きていけるように。

木々の葉の間をすり抜けてきた光が、新八の頬を刺す。新八は顔を上げる。真っ赤な空が、黙って新八を見つめている。

今になってわかる。僕は子供過ぎた。妙さんがどんな気持ちで僕を逃がしたか、沖田くんと神楽ちゃんがどれほど心配してくれていたか。

そして、晋助がどれだけ僕を大切に想って、愛してくれていたか。だからこそ僕の前から姿を消したこと。あのときの僕にはわからなかった。

だけどね、晋助。

確かに僕は子供だったけど、僕もあなたを愛してた。


そして今も愛してる。


こんなこと言ったらあなたはきっと、皮肉交じりに笑うだろうけど。

何度も新八に微笑んでくれた男の顔は、まだ鮮明に思い出せた。かつての庭園を駆け抜ける風が体を優しく包むから、また涙が溢れそうになってしまった。






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