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□たぶん、それは愛
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今さらそんなことを言う気にもなれなくて、僕はほとほと困り果ててしまった。

「それ、…言わなきゃダメなんですか?」

「だぁめ」

だけど銀さんはそれを許さず、

「言わなきゃ休みやらねー」

と、自分の座る椅子をくるりと回して背を向けてしまった。割烹着を脱ぎながら、僕はため息をつく。

ことの発端は、僕が「お通ちゃんのライブに行きたいので休みをください」と頼んだことにあった。

「べっつに銀さん難しいこと言ってるんじゃないのよ?一言言えば休みやるって言ってんじゃん」

子供みたいに口を尖らす銀さんの機嫌は悪い。その理由もわかってる。

「それとも何?新八は俺のこと好きじゃないんだ」

「誰もそんなこと言ってないでしょ」

「じゃあ言えるだろうがよ。『好き』の一言くらい」

銀さんの言い分は「お前は俺と付き合ってんのに、お通のほうが大事なのか!」という、仕事の忙しい彼氏に構ってもらいたい女の人みたいなものだ。もちろん、これがカワイイ女の子だったら僕は喜んで彼女を取るだろう。

だけど銀さんなんて毎日顔を合わせているわけだし、顔を合わせるどころか、付き合い始めてからはあれよあれよと言う間に、その、ちょっと、人に言えないような、そーゆーコト、するようになっちゃったし。

とにかく、そこまで許してる僕としては、そんなことをわざわざ口にしなくとももう十分に気持ちは伝わっていると思うんだけど。

「あーんなに『お通ちゃんラブ!!』とか言ってるくせして、俺には好きの一言も言えないんだ?新八くんは。あー傷つくなあ、銀さんのガラスの心は粉々よ?粉砕骨折よ?」

「防弾ガラスの間違いじゃないですか」

「お前の弾丸ツッコミは防弾ガラスをも粉砕するんだバカヤロー!!」

そう叫んで振り向いた銀さんはうっすら涙目だ。めんどくさい。正直めんどくさすぎる。もともとめんどくさい人だったけど、付き合うようになって輪をかけてめんどくさくなった。

「大体ねぇ、それを強制的に言わせて嬉しいですか?言いたくなったら言いますから、そのうち、ね?」

僕はなんとか逃れようと、あいまいに笑顔を作って会話を終わらせようとした。だけど銀さんは懲りないで、椅子から立ち上がって僕に詰め寄る。

「そのうちっていつだよ」

「そのうちは、………そのうちですよ」

なるべく銀さんと視線を合わさないよう、僕はわざとらしく顔を背けた。

「じゃあ今でもいいじゃねーかよ。ホラ言ってみ?『銀さん、大好き!!』って!恥ずかしいなら俺かけ声かけてやるから!ハイ、さん、はい!」

と、やたらと必死な銀さんに辟易し、

「とにかく、休みはいただきますからね!」

僕はこれ以上長引かせるのが嫌で、無理やりに会話を終わらせて台所に戻った。休みをくれないなら、無断欠勤するまでだ。どーせさっ引かれる給料なんて初めからないんだから、銀さんに文句を言われる筋合いはない。ワガママ言うならたまには真っ当に給料払いやがれ!と僕は半ば八つ当たり気味に水道の蛇口を勢いよくひねった。













そのまま夕飯の準備をしていたら、卵が切れていることに気づいた。

「あちゃー…今日は親子丼なのに…」

卵がなければ鳥だけの「親丼」になってしまう。やっぱり親には子が必要だ。今日は確か駅前のスーパーのタイムセールで卵1パック70円のはずだ。壁の時計を確認するとタイムセールまでにはまだ30分もあったけど、僕は出かけることにした。さっきの様子じゃ銀さんはへそを曲げてバイクを出してくれないだろうから、歩いて行くなら早く行かないと時間に間に合わない。

引き出しから財布を取り出し、居間の引き戸を開く。銀さんはソファに寝転がって愛読の週刊誌を読んでたけど、僕の顔を見るとこれみよがしにプイッと顔をそらした。三十路手前にそんなことされてもちっとも可愛くない。

「銀さん、僕ちょっと卵買いに行ってきますね」

「勝手に行けばぁ?いちいち銀さんに言わなくたっていいしぃ」

こうなってしまうと銀さんの機嫌はなかなか直らない。このまま拗ね続けられるのも厄介だ。なら一言、「好きです」くらい言えばいい。簡単なことだ。

だけどやっぱり、僕は言わされて「好きです」なんて、言いたくない。

「…銀さん、」

僕は銀さんに呼びかける。

「僕は、銀さんが好きじゃありません」

銀さんが、まるでこの世の終わりみたいなものすごい顔でこっちを向いた。


「好きじゃなくて、愛してるんです」


じゃあ行ってきますね、と引き戸を閉めて、僕は玄関に向かう。玄関で草履を履いて、外に出る。

階段を降りきったところで、僕を追いかけてくる足音が聞こえてきた。

「まままま待った待った新八!!今の何!?今なんて言ったの!?もっかい言って!!」

さっきとは打って変わって、口元のニヤケが抑えられてない。なんて単純な大人なんだ。


だけどそんな大人を、可愛いなんて思ってしまう僕も、大概単純なことには違いない。


「二度は言いません」

「んなこと言わないで!お願い!!」

「じゃあ休みくれますか」

「あげるあげる!好きなだけやるからァァァ!!」

「………やっぱり言いません」

「なんでだよォォんなこと言わずにさあもう一回!プリーズワンモア!」


そんな銀さんを見てたら、お通ちゃんのライブはやっぱりまたの機会でもいいかな、なんて。そんなことを思うくらいには、僕は銀さんにやられてるらしい。

ああこれが、愛ってヤツなのだ。



…………たぶん。




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