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□SMOKER
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『SMOKER』





PM23:47

ウィンドウズは
シャットダウンを
始めた。

明日のプレゼンの資料は、完成。

大音量のブラームスを
ぶち切る。
まるで指揮者が
いきなり倒れてしまったかのように。

クラシックが好きな訳ではなかった。

ただ俺の仕事の相手というのは、
クラシックやら
英文学やら
絵画収拾やら
ナルシスティックな
趣味をもつ奴らばかりだ。

話を合わせるため、
俺は普段からその点に気をつかっている。

あるいは、
オーケストラのコンサートに付き合わされた折りに、居眠りをしないための
訓練かもしれない。

どちらにしろ、
ブラームスは俺の
仕事のパートナーだった。

ヘッセやゴーギャンと同じように。

俺はおっさん臭く
椅子の上で伸びをする
身体じゅうが
コキコキとなる。
錆付いたぶらんこが
風にゆすられてるみたいだ。

伸びる所まで伸びると、
一気に脱力。
どっと眠気に襲われる。

目を軽くマッサージしながら、左側の引き出しを引く。

半分くらいが空のタバコの箱を取り出す。
ついでにおまけでもらった携帯灰皿もとる。

しんとしたオフィスで
1人きりだ。

がらんどうだ。

携帯灰皿を指先でいじって、パチパチ音をたてる。

自分の指先の出来ごとなのに、遠くの音を聞いてるようだった。









屋上を吹き抜ける風は冷たい。

俺のことなんて
お構いなしに。

喫煙という行為は、
相手に悪印象を与える。

もちろん、
接待には要らない。

避けるべき行為だ。

だから俺が喫煙者だということは、誰も知らない。

俺はこの時間に、
この場所でしか吸わないからだ。

喫煙後には、
消臭のスプレーをかける。
夜空の月以外に知られるはずもなかった。

タバコの先は
オレンジ色に光っている。

その光は居酒屋の赤提灯の色に似ている気がした。

煙が月の光に露にされる。月に還って行くのかもしれない。









いつから吸い始めたのか、不思議と自分でも分からない。

気がついたら、
屋上で吸うことになっていた。

愛煙家なつもりでもない。
吸いたいという衝動を感じることがある訳ではないが、もし据えない状況になったら困るとは思っていた。

俺にとって喫煙は、
一種の定期的な儀式の
ようなものかもしれない。
そこに何か真意があるわけではなかった。

ただ、理由はあると思う。

そのきっかけは、
数年前の俺が研修生だった頃に、
彼女が与えてくれた。










研修と言っても、
おやじの会社に就職する事は生まれた時から決まっていたようなものだ。

そこら辺の
平社員が
やっているような雑務は、小学生の頃からおやじにたたきこまれてきた。

俺の研修はすなわち、
上司になるための研修
と言える。

それは
大学3年くらいから始まったことだと思う。

俺の教育係は
階 紀子(きざはし のりこ)という、
社長直属の部下だった。

当時、20代後半に見えた。
美人な人で、
それを隠さず、又誇張もしない清楚なファッションで身を包んでいた。

テレビなどで出て来る
敏腕秘書というのは、
黒ぶちの眼鏡が似合いそうな、カチカチした女だが、階さんはそれと異なる。

話したことをなんでも
受け入れてくれそうな、
不思議な包容力を
醸していた。

それでいて、
仕事が出来そうだ
と思わせる
話し方や些細な所作を
身につけていた。

欠点と呼べるものが
なかった。
誰も探そうとも思わなかった。
しかし、それを
見せつけたり、押しつけられてる感じは全くなかった。

彼女の完璧さは
アンドロイドというよりかは、
ギリシャの彫刻の黄金比のようなものだ。

俺は1日に、
たくさんのことを彼女から教わる。
人外的な情報量を押しつけられるのだ。
しかしそれは、
俺が1日に覚えられる
ギリギリの量だった。

彼女が俺の能力を、
いつ見極めたのか見当もつかない。

しかし俺は彼女が好きだった。
恋愛的なことではなく、
人間の種類として。

彼女の周りの仕事が、
天体のごとく
あるべき位置に納まること、
彼女の時間が一秒たりとも
彼女の無駄になってないこと。
それらを見ているこちらとしても、
気持ちのいい
仕事のしかただった。

優秀なマラソン選手が、
計画的なペースで
走っているのと
似ているかもしれない。

しかし、俺は彼女に違和感を感じていた。
それは時々訪れる
些細なことなのだが、
彼女に対する第一印象が、その違和感だったため、
俺の中に
モヤモヤと渦巻く何かになった。





彼女から時々、
タバコの匂いがした。





彼女が俺の前で初めて
タバコを吸ったのは、
研修期間が二週間ほど過ぎた
頃だったと思う。

俺は7時くらいで、
今日はこれで終わりにしましょうと
告げられ、
素直に帰った。

その後、家に帰ってから食事を作るのも
面倒なので、
駅近くのファミレスで夕飯を食べた。

食べ終わって一息つき、
ケータイのメールをチェックしている時、
忘れ物にきずいた。

家の鍵やら、
定期やらをいれた
パスケースを
オフィスに忘れたらしい。

俺は、会社に戻ることになった。

10時くらいだったので、
社員はほとんどいない。
残業で残っていた人も、
帰り仕度を始めているころだった。

「あれ、和奏君。どうしたの?
忘れ物?」

階さんはまだオフィスにいて、
俺は彼女と又顔をあわせることになった。
気まずい。

こんな気まずさは、
小学校の時宿題を忘れたことを、
告白しなければ、ならないみたいだった。

「ええ、パスケースをわすれっちゃって。
そこに鍵も一緒なんで、家に入れないんです。」

「これのことでしょう?」

俺のパスケースは、
彼女のポケットから出てきた。

「明日渡そうかと思って。
でも鍵がないんじゃ、
大変だね。」

俺は彼女の白くてきれいな手から
パスケースを受け取った。

「ありがとうございます。」

「いえいえ。」

「もう、あがりですよね。」

「うん、もう終わりにしようかと。」

彼女はパソコンからUSBを外した。

「駅まで送りますよ。」

「ありがとう。じゃあ、コーヒーでもおごるよ。」

彼女は鞄と上着をとって立ち上がった。
俺は、上着のポケットにパスケースを
押し込んで彼女について行った。

彼女は屋上へつづく階段を昇り始めた。

「どこへ行くんですか?」

「秘密基地。」

彼女は階段を昇り終わったところで
自動販売機でコーヒーを買った。

ひとつだけ買った。

屋上に着くと、
二人で適当なところに座る。

「はい。」

「あ、ごちそうさまです。」

彼女のコーヒーを受け取った。
まだ熱くて飲む気にはなれない。
ハンカチでくるんで、
冷たい指先をあたためる。

階さんは、タバコを取り出して
吸い始めた。
カチっと音がして、
夜を切り取ったみたいに
ライターの火の周りだけ一瞬明るくなる。

彼女のため息と共に、
煙は夜に消えていく。

俺は彼女の喫煙をみていた。
みとれていた。
グロテスクでどこかエロティックで、
俺はそれをずっと見ていたかった。

初めて彼女がきたなく見えた。

コーヒーが温くなるといけないので、
俺は飲み始めた。

不思議と彼女の匂いはそれほど
気にならなかった。
第一印象の匂いのように、
脳裏に焼き付いて
ざらくつ臭いじゃない。

俺はその匂いを
吸いこんでみたかった。

「なんでタバコ吸うんですか?」

我ながら、
いきなり訳のわからない
ことを訊いたものだ。

ただ、そう訊いても
返してくれる自信があった。

「なんでだろう。」

彼女は大きくため息をつく。
そして続ける。

「汚いことを覚えていくの。
自分のきれい部分とひきかえに、
大人になるの。
だから、私は汚くなるのと
引き換えに、
きれいな自分に戻る。
でも本当は戻れない。
自分がどれだけ汚くなったか、
確認することしかできない。」

月明かりに煙が露わになる。

時々彼女からタバコの匂いがするのは、
彼女が気付いて欲しいのかもしれない。
汚くなっていく自分を、
誰かに。
そして、止めて欲しいんだ。

タバコに肺が体が、
侵される前に。

彼女の一服の間、
俺はひたすらに、
月の光と、タバコの煙に
包まれていた。







その三か月後おれの研修は終わった。
そして半年後、彼女は
ことぶき退社した。

最近彼女に会った時、
彼女の右手は小さな男の子の手を
握っていて。
彼女からは、ホットケーキの
あまったるい匂いがした。

階さんはきれいになった。








タバコの火が消えて
そこには臭いだけになった。
消臭スプレーをまんべんなく
自分にふりかける。

自分を浄化しているような
気分だった。
汚いことを、必死に隠そうとしている
のかもしれない。

俺は自分に戻りたかったのかもしれない。

「寒くねえのか。」

後ろをむくと、斎藤がちじこまっていた。

「おい、どした。(笑)」

俺はコンパクトサイズの斎藤がおかしくて
笑ってしまった。

「遅いから、迎えに来た。」

「あーそう。」

俺は斎藤を立たせて抱き寄せた。
確かに冷たい。

「もっと感謝しろよ。
って、またタバコ吸ったな。」

「うるさい。」

こいつの前で吸ったことはなかったが、
こいつは異様な消臭スプレーに
前から気付いているようだった。

そして汚い俺を、いちいち咎めてくれる。

「帰るぞ。」

「そうだな。」

きっとおまえだって汚いんだ。

それだって俺は、
斎藤を愛するのに。

大人ってきたない。
いつの間にか、俺たちは
少年じゃなくなっていくのに。

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