第13本棚

□猫の手も借りたい
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とん、と肘が当たりばさばさばさ、と資料が崩れた。火村の横顔が歪む。本当に忙しいらしい。音に驚いた猫達が火村のそばを離れ私によってきた。

「……ちっ…〜猫の手も借りたい位だよ」

なんでも、急に海外の文献の翻訳を頼まれたらしい。久々に会いに来たと言うのに構ってもらえず、しかしそそくさと帰るのもつまらないので仕方がなく文献と向き合う火村の背中を見ながら私も本を読んでいた。

こちらまで飛んできた資料を渡せばそっけなく引き抜かれる。これはやはり早々に退散した方がいいのかもしれない、と考える。

「…何か手伝おうか?」

掃除とか。

本当に三日間缶詰に近いらしく、部屋は……きれいと呼べる状態には程遠い。ゴミくらい分別してやろうかと言う良心からの申し出だったのだが、火村はにべも無く断った。

「いい」

猫の手も借りたいくせに、私の手は必要ないらしい。夏のじわりとした暑さも手伝ってか、少し苛立っている。彼も――私も。こんなつまらないことでいさかいを起こすのも馬鹿みたいだ。頭を冷やそうと、彼の背中を見て静かに部屋を出た。

外は幾らか風があり涼しく感じた。熱帯夜ばかり続いていた最近にしたら、過ごしやすい夜である。少し歩いた先にある公園にいけば、誰もいないそのがらんどうの空間は些か怖くもあった。

虫が集る誘蛾灯を避けるように反対側の遊具に近寄った。ジャングルジムと言われるそれは、子供の頃あそんだそれよりずいぶんと小さい。せっかくだからよじ登り、天辺に腰かけた。昔は、ここがとんでもなく高い場所だったはずなのに。近くなった筈の空は、以前よりも遠く感じる。

「……あほらし」

帰ろうかな、なんて思う。愛車、ブルーバードで来たので帰るチャンスはいくらでもあるのだ。あの頃のように、電車がない、なんて可愛いげのある言い訳は通用しない。生暖かい風が頬を撫でる。じっとりと暑い湿気に、うっすらと全身に汗がわく。

クーラーを着けて、アイスを食べホットコーヒーでも飲みながら、積み上げてある本を読む。そんな選択肢も、あったのだけれど。暑くて狭い、君の家に来てしまった私はどうしようもない馬鹿なのかもしれない。

うじうじと考えた後、コンビニでアイスクリームを買って、それを土産に火村のもとに帰る。私達が学生の時分はこんな時間までコンビニは開いていなかった。便利な世の中になったものだ。

ただいま、と扉を開ければ、靴を履きかけた火村が居た。

「どっか行くん?」

「…コンビニ」

「財布も持たんと?」

「…止めた」

ぐる、と向き直り、彼はずかずかと二階への階段を登る。あれ?もしかして?ちいさくちいさく笑いが漏れた。私が居なかったから、迎えになんて行こうとしたのか?にまにまとしながら後ろに続けば、睨むように一瞥された。

「アイス、喰う?」

「喰う」

そう言って伸ばされた手は、アイスクリームを握る私の手に重ねるように、握られた。じわ、と染みてくる火村の体温と、甘いアイスが触れる筈だった唇に重なる苦いタバコの味に、私の小さな小さな器は簡単に満たされてしまった。

猫より、君に、必要とされたい。

そんな、小さな小さな、器。












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・Д・
20130115転載

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