第13本棚
□はつこい
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「…っいい加減にどけよ!」
「うわ、つーめたーい」
そいつは名残惜しむように再びのしかかって来たがなんとかそれをはね除ける。不服そうに唇を尖らせた姿に沸々と怒りが沸いてくる。アリスを追いかけねば。そう思って起き上がろうとする俺をそいつは懲りずに引き留めた。
「連絡もせずノックもなしに他人の部屋に入るなんて不作法なやつ追い掛けてどうするの?」
「風呂上がりにいきなり襲いかかってくる様な常識知らず泊めてやる義理はない!」
「ひどいナー」
ぎゅむ、と抱き着かれてもちっとも嬉しくない。行かせまいとしているのがわかり癪に障る。
「きっともう居ないよ」
「お前、本当に出ていけよ」
「野宿しろってこと?」
こいつは、数年前にあった研究会で知り合った云わばご同業者だ。海外で、一ヶ月近く泊まり込みで缶詰に近い状態で研究、および資料作りに追われて居た俺と同じ境遇かつ同じ研究会のメンバーだったこの男とは一月同じ宿に暮らし何度も飯を食い何度も討論を繰り返した。
その研究会が終わってからも定期的に連絡を取り合い、今こいつは海外研究所に居るらしい。京都に行くから泊めてくれと頼まれたのは三日前だった。久しぶりだったし、特に用事も無かったのでそれを許した。だが、それが間違いだった。
会うなりの抱擁に海外生活に毒されたな、程度しか思わなかったのだが、接触が多い。まさか、と思ったがそのまさかだった。飯を食い立て続けに風呂に入り、また一杯やりながら話をしていた時、いきなりだった。まさかそうなるとは思わないし、ことの次第に気付いたのはキスされてからだったのだ。マウントを取られ抵抗を試みた瞬間開いたドアの先にいたのは―――――――
ああ、考えたくない。
「おい、聞いてんの?」
「何だよ」
「だから、」
ちゅ、と臀部に降りたキスに思わずそいつの頭を張り飛ばす。
「痛いっつーの!」
「いい加減にしろよ…勘弁してくれ」
「今更なんだよ、同族の癖に………あっまさか、今部屋にきたやつが……」
にやり、と嫌な笑みを見せた。
「修羅場?」
仕事の話、研究の話をしているときはあんなに頭がキレるのにこいつどこまで馬鹿なんだ。いや、違うか。頭が切れるから、こそ、こんなにも面倒なのだ。
「…おい、本当に追い出されたくなかったら喋るな」
「おー、怖い」
俺の顔つきに肩を上下させたやつは、仕方がないとでも言うようにシャツに袖を通した。そんな姿をぼけっと見つめながら、俺の頭の中はアリスへの弁明で一杯だ。ああ、どうしてくれよう。
「……本気で修羅場?」
「…少なくとも俺の脳内はな」
こいつ相手に隠しても仕方がない。聞いた話だと、そういう空気はそういう人種はわかるらしい。そういう、とは何かと問われれば俺は肩を竦めねばならないだろう。
「俺があんなにアプローチして見向きもしなかったのに?」
「アプローチ?」
「三年前、一つ屋根の下、」
「無駄話なら寝る」
「……あいっかわらず」
冷たいな、と、小さく笑ったそいつに既視感を覚える。濡れた髪をわしわしと撫で付け、そいつは隣の間に用意した布団へと向かう。
ふと、目を下ろした先には見覚えのない封筒。それに手を伸ばし、封筒の会社名を見て今日のアリスの突然の来訪に納得する。
別に、俺に会いたくて連日来たわけではないのだ。来ざるを得ず来たにすぎない。それなのに、あんな所を見られて。いいことなしだな。
ぽろり、吐き出したのは溜め息なんかじゃなく、表情を凍らせて何も言わず部屋を去っていった、大切な大切な彼の名だった。
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(これ以上好きにさせないで)
20130117