第K本棚

□寄せた、額に
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ガチャン、と言う音に目を覚ます。火村先生は講義のために出ていったらしい。彼が戻ってきたらまた大阪への遠征だ。気を使って起こさなかったのだろう。

すり、と足元にすりよる毛むくじゃらのかたまりに仕方なく起き上がった。瓜だ。どこに行っていたのかと問えば、にゃーん、とかえってくる。誰かさんよりよっぽど愛想がいい。

しかし隣の茶の間に行けば私の朝御飯が用意されていて、火村も可愛いな、と猫相手に弁解めいたことを言えば、主人が褒められて嬉しいのか再び体をすりよせてくる。ああかわいい。

講義には早い時間に出ていったが、忙しくて準備があまり捗らなかったのだろう。きっと今頃研究室で慌てているに違いない。また講義に顔を出してやろうかと思ったが、毎日茶々を入れてはかわいそうだろうと控えることにしよう。

そんなとき、携帯電話がぶるぶると鳴り出した。火村かと確認もせずとれば、予想に反して電話の向こうは廣瀬であった。

『あれ?おはようございます。こんな朝早くから起きてるんですねぇ』

「そんな朝早くから何の用やねん」

『刺々しいなぁ、もしかして起こしちゃいましたぁ?それとも僕に会いたくてイライラしてます?』

「切るで」

うそうそうそですよー、と上機嫌な廣瀬に朝から疲れる。

『会いたいのは僕の方でしてね、有栖川さん』

「生憎いま愛人の家や」

『愛人?火村さん以外の家に居るんですか?』

急に廣瀬の声色が真剣になる。しかし言っている内容が不可解すぎてその真剣な声色もふざけているようにしか聞こえなかった。はぁあ!?というと、あ、僕が本妻って意味ですかね?と言う頓珍漢な返事がくるのだからたまったもんじゃない。

「もうわけわからん。切るで」

『切る切る言わないでくださいよ〜。いつ都合がつきますかね』

「事件終わらな……あー、用事が済むまでは…」

私としたことが口を滑らせた。しかし廣瀬は片桐から聞いてます、名探偵なんですってねぇ、と軽く言って、じゃあそれがすんだら連絡ください、と言って切った。もう本当にわからない。廣瀬は私と関わってどうしたいのだろうか。ぎゅる、と腹が痛む。最近何やら調子が悪く、生まれてこの方知らなかった便秘と言うものと戦っている。女性の病気だと思っていたのに。

さすさすと腹をさすっているとどこから来たのか小次郎がひとのあぐらの上にどっかりと陣取った。しかし暖かいから許してやろう。

火村が唇を寄せないであろう小次郎の額は、瓜太郎とかわらず柔らかく細い毛並みで心地よかった。













二時間程して火村先生が帰ってきた。二匹の猫がにゃあにゃあと火村の足元にすりよる。せっかくなので私も刷りよってみたが冷蔵庫の中より冷たい目で見られてしまい撤退を余儀なくされた。

「まだ寝てたらどうしてやろうかと思ったぜ、アリス」

「繊細やから人んちじゃよう眠れんのや」

私のざれ言に興味は無いのだろう。はいはい、と言うように小さく歪められた唇に黙るしかない。猫よりも扱いが低い。二匹の猫はごろごろと喉をならして火村に撫でられ気持ち良さそうだ。

「瓜にちゅーでもしたったらええやん」

「するかよそんなこと」

火村の返事は予想外のものであった。

「ようしてんやないの?」

「しないだろ」

な?と瓜に声をかける火村に眉が寄る。ついつい自分の額を撫でていた。よくわからないが、火村は猫にキスをすることはないようだ。そりゃ、稀にするのはあっても習慣ではない。

あの、躊躇いなく伸ばされた腕は、猫に対するものではないと言うことだろうか?

火村の手から離れ、私の膝の上に乗り上げてきた瓜太郎と目が合い、私は取り敢えず彼の毛並みのよいちいさなちいさな額に、火村の代わりに、唇を寄せるのだった。
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