05/24の日記

00:49
やっぱりね、
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やっぱり京極夏彦はいいな……

あの人はホンットに独創的って言葉がよく似合うよ。特殊とか独特とか、言いようによっては偏見とも言われかねない。

あの人の書く文章は硬いし漢字は多いし、その漢字の読み方がまた難し過ぎるし、内容は言わずもがな分かり難い。
読みづらい上に解りづらい作品であるにも関わらず、それさえぐいっと引き込む魅力に成ってる。あの人は“自分の作品を自分の世界”で書き、且つ押し付けないんだ。

これはあくまでオレの偏見だけど、小説家ってのは“自分の作品を他人の世界”で書き、それを押し付けて感化するもんだと思うのね。
…別に小説家を否定したり批判してる訳じゃないよ。それにオレ自身小説家目指してるし。自分の仕事にしたいもんを貶すほどオレひねくれでもツンデレでもないし。
ただ、文を書いてお金を貰う仕事って小説家以外にも諸々あるけど、それらひっくるめてその通りだと思うんだ。最近流行りのケータイ小説もそう。
“ああ、これは素晴らしい作品なんだな”って、そう思わせることでその作品の価値を決めてる。だから流行りとか他人の趣味・嗜好に合わせてイロイロと手を加えるんだ。
自分の作品なのに“自分の世界”では書かず、“他人の世界”を軸に書いてるんだよ。近頃世に溢れる書籍はそれが強く出てるんだな。

別にそれが全部悪い訳ない。だってあくまで書き手の世界だけで書いてたら売れないもん、読み手の事を考えて書かなきゃ本は売れない。利益が出なきゃそんな本売る必要ないし。てか出せねえし。まあ所詮商売ですから仕方ない。

でもさ、本来自分の作品を他人の世界で書く小説を、京極さんは自分の作品を自分の世界で書いてるんだ。
あ、他の作家さんがそうじゃないのかと問われれば、いえ全くそんな事はないんですね。自分の作品を自分の世界で書く作家さんは大勢いらっしゃいますし、ええ。

では何が違うのか?何が言いたいのか?

…要は押し付けないんですよ。京極さんは自分の世界で書いた作品を、あくまで自分の世界の作品だと言ってるんです。そして時々語りかけてくるんです、
「あくまでこれは僕の世界ですから、貴方がどう解釈しようと勝手ですよ。あくまで僕は僕の世界をお見せしているだけですから。」って。

周りで騒がれる作品に、こんな風に語りかけてくる作品はありますか?残念ながらオレはしりません。最近流行った小説に、こうやって語りかけてくるものはないです。
あ、書ききらねぇ

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