‡A la carte‡
□行方不明の恋心
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今日は近日珍しい快晴で、雲一つない真っ青の空を仰ぎ、俺は一つの決断をした。
叡樹はどこか憑き物が落ちたかの様に自分と向き合えていた。
「父さん、お話があります」
正樹を家に送ると、会社にいる父を訪ねた。
「珍しいな。お前が会社にくるなど」
職務中の父は書き物の手を止め、こちらに顔を向けた。
「家を…出たいんです」
叡樹のその声は緊張から来るものなのか、少し震え上ずっていたが、ハッキリと静かなものだった。
父は俺の言葉に小さく眉を寄せ、不機嫌な顔を作った。
「家を出て一人で生活したいんです。……学費は出来ればお願いしたいですが、生活は迷惑かけません」
一度にまくし立てると、父は小さなため息を零した。
「お前がそう決めたなら、そうすれば良い…」
「あ、ありがとうございます」
天にも登る気持ちだ。
初めて父に認められた気分だった。
一人暮らし位と。周りの人たちは思うかもしれないが、俺からしたら『家を出る』という行為自体が許されない事だったからだ。
俺は軽い足取りで会社を後にした。
「宜しいので?」
「ああ。アイツが決めた事だ」
「しかし、悠樹様は…」
「…反対…するだろうな」
帰りに不動産に寄り良さそうな物件を物色してから家路を急いだ。
「こんなにすんなり認めて貰えるなら、もっと早く言えば良かった」
すぐに引っ越せる様に荷物をまとめておこう。
「叡兄。帰ってる?」
ドアを叩く音と正樹の呼びかける声に俺の手はピタリと止まった。
正樹をこんな家に残していく。
ソレはやはり気掛かりだった。
「ああ、いるよ。入っておいで」
「……何?コレ」
「一人暮らししようと思って」
「叡兄。家、出てくの?」
「ゴメンな。でも、ココから近い所探すし、勉強も向こうでならゆっくり教えてやれるし」
「謝んないでよ。…そっかぁ、一人暮らし良いなぁ」
始めは驚いた顔だった正樹も、部屋を見渡し、羨ましげに持ってきた教科書を抱きしめていた。
「高校に入ったら、俺も頼もう」
「生意気ぃ」
この家で最後に正樹と笑って話が出来て、本当に嬉しい。
たとえ血は繋がっていなくても、何か絆がある様で…
「叡樹!何処だ!!」
怒声と共に乱暴な足取りが、近づいて来る。
―兄だ―
「…正樹…お前部屋に戻ってろ!」
悠樹は狂気にも似た瞳で、正樹を睨み付けると、乱雑に正樹の腕を掴み廊下へ叩きつけた。
「っ!!」
「正樹!」
突然の事に足を取られ、正樹の身体はそのまま壁へと強打した。
「ってんめぇっ!!」
理不尽な扱いに正樹はギラギラと怒りを瞳に宿し、臨戦態勢をとった。
「やるのか?駄犬が…」
実弟であるにも関わらず侮蔑にも似た眼差しで正樹を見下ろすと、追い打ちと言わんばかりに足を振り上げる。刹那、叡樹が反射的に正樹に覆い被さった。
…この人はあの頃と変わっていない…
何処の世界に血を分けた中学の弟に殺意にも似た暴力を振るう兄がいると謂うのか…
兄はあの頃と同じ…狂ったままなのかもしれない…
「俺に用があるんでしょう?兄さん!」
正直、恐い…でも…
「正樹、後で部屋に行くから、だから…な?」
「…無理…するなよ…」
「ああ、大丈夫だよ」
俺は精一杯口角を上げ、にっこり笑う。
笑えていただろうか?
正樹は尋常でない兄に後ろ髪を引かれながらも、部屋へ戻ってくれたのだから、俺は笑えていたのだろう。
「うわっ!!」
突然腕を掴まれ、ベットになぎ倒される。
「…出ていく…だと…」
低く凄味を孕んだ声が不気味に響く。
「…それ…は……」
「忘れたのか?お前は俺のモノだと言ったハズだ」
兄の第一人称が『俺』に変わるのは素の時だ。
こうなれば誰も止められない。
父にだって止める事は難しいだろう。
「俺は…物じゃなっ」
兄は俺の言葉を奪い飲み込み、唇を塞ぐ。
「…ンむっ…やめっ…っ…!」
「喋るな…その舌噛みちぎるぞ…」
言葉通り、『口づけ』なんてそんなかわいいモノじゃない、貪りつき深く激しく…呼吸する息さえ許さない。
喰らいつくす──正にそんな言葉が相応しい。