novel
□I love you
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それは、ある満月の夜のこと。
(……あ。)
俺は、練習が終わって一人でぼんやりしてる椿を見つけた。
「おーい椿ー。もう完全下校過ぎてんぞー。ィメトレもいいが、冷える前にさっさと帰れー。」
……反応がない。いつもなら申し訳なさそうに謝って駆けてくるはずなのに。聞こえてない?
俺は椿の側に歩み寄る。
椿は上を見てボーっとつっ立ってる。つられて上を見ると、そこには、綺麗な満月があった。
「お。満月。」
思わず声がでた。すると、椿は驚いたように跳ね上がった。
「あ、監督!すいません!もう帰りますんで!」
おう、気をつけて帰れよ、と言おうとしたが、口から漏れたのは、別の言葉だった。
「…なぁ、椿。」
「はい…何でしょう…?」
「……月が、綺麗だな。」
それは、隠れた告白。
夏目漱石は、[I love you]を「月が綺麗ですね」と訳したそうだ。
国語の授業で一度、やったことがあるかもしれない。でも、あいつはきっと気づかない。気付くべきじゃない。
でも、気づいて欲しいという気持ちも、心の隅にはあった。
椿の方を見ると、椿も月を見上げていた。
それから、まっすぐこちらを向いて言った。
「……はい。綺麗ですね…とても。」
笑っていた。まっすぐ俺を見て。哀しそうにも見えるそれは、とても、今まで俺が見た中で、一番綺麗だった。
それこそ、月よりも。
え、と思った次の瞬間には、それはもう、いつもの椿で。
「じゃ、失礼します!わざわざすみませんでした!また明日!」
と言って、ご自慢の足の速さで部室へと消えていった。
「ハハッ、あいかわらずはえーなー。」
椿の姿が完全に見えなくなったのを確認してから、俺も職員室に戻った。
しかし、隠していた告白は伝わっていなかったものの、椿も同じことを考えていた、という嬉しい事実がわかるのは、もう少し先のこと。