Kurobasu

□月に栗鼠
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――カントク、今日は眼鏡なんだな。

それは今日、学校でカントクに会ったときの俺の第一声だった。




月に栗鼠




「伊月くん」

教室のドアに手をかけようとしていた俺は、ふいに聞こえてきた自分の名前に振り返る。

「こんな遅くにどうしたの?」

そこにいたのは、俺と同じクラスの女子生徒だった。

「部活終わったの?」
「うん。教室にちょっと忘れ物しちゃってさ」

そうなんだー、と彼女は笑う。ふわりとした、女の子らしい笑い方だ。

「森下さんこそ、こんな遅くにどうしたの?部活は?」
「実は私も部活帰り。いま友達を待ってて……」

と、彼女が口にしたとき、隣のクラスから一人の女子生徒が慌ただしく飛び出してきた。

「ごめんー!お待たせ!」
「全然大丈夫だよ!……それじゃあ、伊月くん。また明日」
「お疲れ。帰り気を付けてね」

彼女に手を振り返して別れを告げば、二人きりになった彼女たちからキャッキャッと黄色い歓声が上がった。

「頑張って話しかけちゃった!」
「いい雰囲気だったよ!」

俺は横目で彼女たちを見つめ、彼女たちの後ろ姿が小さくなったころに、ようやく教室のドアを開けた。
すぐ目に入ったのは、小さな背中だった。
カントクは熱心に机に向かっている。四つほど並べられた机の上にはたくさんの書類が所狭しと置いてあった。

「部活、もう終わったの?」

俺の気配に気付いたカントクがゆっくりと振り返った。
振り返ったカントクを見て、あれ、と思う。

「カントク、今日は眼鏡なんだな」
「コンタクトきらしちゃったのよ」
「ふーん。案外似合ってる」

そういうと、眼鏡姿のカントクの眉間に皺が寄った。

「……で、部活はもう終わったの?」
「随分前に終わった。今、何時だと思う?」

カントクは壁に掛けてある時計に目を向ける。時刻はもうすぐで9時30分になる頃だった。
この時間帯にもなると、どの部活の生徒も家路へと向かっている。
今日の部活に、カントクは一度も顔を出さなかった。出さなかった、というよりかは出れなかったのだと思う。生徒会の書類のまとめが終わらないらしい、と日向から聞いていたし、現にカントクの今の状況を見れば今までずっと書類のまとめをしていたのだろうと察しがつく。
もちろん、今日の練習メニューはしっかりと日向に伝えていたらしく、練習に支障をきたすことはなかった。
でも。

「やっぱりカントクがいないと部活って感じがしないな」

教室のドアに寄りかかりながらカントクに目をやる。カントクは俺から視線を逸らすように、ふいっとそっぽ向いては再び机に向き直った。
そこでようやく違和感が確信へと変わる。

「……何怒ってんの?」
「怒ってないわ」

ツンとしたカントクの口調に、今度は俺が眉間に皺を寄せる番だ。
教室に入って、カントクと目が合った瞬間、俺はカントクの違和感に気が付いた。ああ、怒ってるな、って。

「……日向にカントクは教室にいるって聞いたから来てみた」
「忘れ物を取りに来たんでしょ?」
「……あ、会話聞こえてたんだ?」

ぴくり、とカントクの肩が揺れた。

「……用がないなら早く帰りなさい」
「カントクは?帰んないの?」
「これが終わったら帰るわ」

ふーん、と振り向くことのないカントクの後ろ姿を眺める。

(……背中、ちっさ)

俺はため息をついた。

「ねえ、さっきから冷たくない?なんで俺のこと見てくれないの?」
「伊月くんを見て話さなきゃいけないこと?」

……は、何それ。

「人と話すときは目を合わせなさいって言われなかった?」

カントクから漂うピリピリとした雰囲気を感じとりながらも、俺は口を閉ざすことはしなかった。

「それ、いつ終わるの?」

殺伐とした雰囲気の中へ足を踏み入れる。

「手伝うよ。これ終わんなきゃ帰れないんでしょ」
「一人でやるからいい」

ぴしゃりと言われ、俺は思わず足を止めた。
明らかにカントクの様子がおかしい。
カントクはわざとらしく、俺の癇に障るような、盛大なため息をついた。

「……邪魔なの。帰って」

カントクに伸ばしかけていた腕がだらりと下がった。
結局、カントクは俺を見ようとさえしない。

「……ああそうですか!」

気付けば、感情任せに自分でも驚くほど声を荒げてしまった。
突然のことに、カントクの肩がびくりと震えたのが目に入る。

(……ガキだな、俺も)


――カントクも。


「じゃーねカントク」

踵を返し、教室のドアへと向かう。
ドアの向こうは明かりの消えた廊下が俺を待ち構えていた。ひどく不気味だ。どうやら、まだ明かりがついているのはここの教室だけらしい。

「……せいぜい頑張りな」

そういって、俺は何の躊躇いもなく、教室の電気を消した。

「伊月く、」

悲鳴に近い声を上げたカントクの言葉を遮るように、教室のドアを勢いよく閉める。
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