Kurobasu
□策士は笑う。
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リコに近付いてくる人影。振り向いたリコは、あ、と小さく声を上げた。
「諏佐さん」
「もう来てたのか。てか、なに。入んないの?」
諏佐はそう言って、部室の前で佇んでいるリコを不思議そうな目で見つめる。ドアノブに手をかけようとしたとき、部室の中から騒々しい叫び声が飛び交ってきた。諏佐はギョッとし、ドアから一歩後ろへ下がる。
諏佐は自分の後ろにいるリコを振り返り、苦笑いを浮かべた。
「……これは確かに入れないな」
リコは何か言い返そうとしたが、ぴくんと肩を揺らして慌てて口元を押さえた。
そんなリコの行動に諏佐は首を傾げる。
「どうした?」
「えと、その……」
「気持ち悪いのか?」
諏佐の表情から笑みが消え、代わりに不安が浮かび上がる。リコの元へ近付くと、彼女は顔を赤らめ、素早く首を横に振った。
「ち、違うんです!その……さっきからずっと、しゃっくりが止まらなく、」
て、と言う前にしゃっくりをしてしまい、リコはまたしても口元を押さえる。恥ずかしさからか、リコは諏佐から視線を逸らして、自分の足元へと目を向けてしまう。
諏佐はといえば、リコをしばらく眺め、そして、ぶっと吹き出した。
「なっ……!ひどいです、笑うなんて!こっちはずっと辛くてっ、」
「いや、悪い。あまりにも可愛くて」
お腹を抱えて笑っていた諏佐だったが、リコが頬を膨らましているのを見ると、笑いを堪えて顔を上げた。
「相田さん、可愛くて」
「……二回も言わなくていいです」
「いや、大事なことだから……」
「……もう!」
ふいっと顔を逸らすリコだったが、再びぴくんと体が動く。
「いつから止まらないんだ?」
「……今朝からです」
「朝から!?随分長く続いてるな」
「はい。さっきまで今吉さんたちがいろいろ手を尽くしてくれたんですが……」
「効果なし、と?」
「そうなんですけど……だんだん話が逸れていってしまったような」
――何してんだ、あいつら。
聞こえ続ける彼らの怒声に、諏佐は呆れたようなため息をつく。
「桜井くんが驚かしてくれたのは効果がありそうだったんですけどね……ひっく!」
もう何度目のしゃっくりだろうか。もしかしたら、百回は超えているんじゃないか、とリコはぼんやりと思う。
諏佐は思案顔で地面に目を向けていたが、ふいに顔を上げた。
「――相田さん」
諏佐に呼ばれ、リコは顔を上げる。
「なんです、」
すべてを言い終える前に、諏佐の手がリコの頭の後ろに添えられた。
ぐい、と諏佐の方へ引き寄せられたかと思えば、顔を斜めにした諏佐が近付いてくる。
ふわり、と頬に何かが触れた。
「――何してんだよ、お前ら」
部室のドアを開けた諏佐は、掴み合いをしていた今吉と青峰に声をかけた。
「なんや、諏佐。えらく遅かったのう」
今吉は掴んでいた青峰の襟首をぱっと離す。
諏佐は部室の中へ入りながら頭を掻いた。
「せっかく相田さんが来てくれてるんだから、変なことしてんなよ」
「変なことじゃないですよー。リコさんがしゃっくりに苦しんでるから、」
「もう治った」
へ?と桃井がすっとんきょうな声を上げる。
諏佐は仰向けになって倒れている若松を謎に満ちたものでも見るかのような眼差しで見つめてから、ドアの方へ目を向けた。
「そうなんだろ?相田さん」
ドア付近に立っていたリコは、諏佐に声をかけられ、はっとしたように口を開いた。
「そうなんです!諏佐さんとお喋りしてたら知らないうちに治まってて」
ご心配おかけしました、とぺこりとお辞儀をすると、すぐさま桃井がリコの元へ駆け寄り、抱きついた。
「よかったです、リコさん!」
「きゃっ!ちょっと桃井!」
「じゃ、じゃあケーキの準備しますね!」
「おー。桜井頼んだー」
背後で交わされている会話を聞きながら、諏佐は自分専用のロッカーを開いた。
(……あー、やばい)
諏佐は手で顔を覆う。
指の隙間からは顔の赤らみが覗かせていた。
(……なんなの、あの可愛い子)
間近で見てしまったリコの表情。
頬から唇を離した直後の、顔を真っ赤にさせたリコの反応。
(……反則。反則すぎ)
油断をすると、頬が緩んでしまう。周りにバレたら大変だ、と諏佐は人知れず気を引き締めることにした。
「……おい、リコ」
青峰に呼び止められ、リコは怪訝そうに振り返る。自分の名を呼ぶ青峰の口調が明らかに不機嫌だったからだ。
「なに?」
青峰はずいっと身を屈め、リコの顔を覗き込んでは食い入るように見つめる。
あまりの至近距離に、リコは思わず身を退かせてしまった。
「……消毒」
「は?」
先ほどリコの身に何が起きたのか、どうやら野生の勘が働いたらしい。
「消毒させろ!」
「え、ちょっ!?ギャッー!!」
「あー!!大ちゃん何してんのー!?」
リコの腰に手を回した青峰が無理矢理リコの顔に近付こうとし、そんな彼をなんとか押し返して難を逃れるリコに、二人の間を裂こうとする桃井。その近くではびくびくしながらも全員分の皿にケーキを分ける桜井がいて、未だ天に召されたままの若松がいて。
「やれやれ、安定の騒がしさや」
諏佐の元に今吉が肩をすくめながらやってくる。
「本当だな。うるさいったらありゃしない」
「せやなー」
ところで諏佐、と今吉は笑顔を保ったまま諏佐を見やった。
「体育館に何を忘れてきたんや?」
今吉はそう尋ねてきたが、どうせなんとなく察しはついているのだろう。
諏佐はロッカーの扉を閉め、今吉を見つめ返す。
「――さあ?」
そう言って、一人の策士は笑ってみせた。
end