Kurobasu

□断る術など何処に在ろうか
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――なんて、勢いで来たものの。
私ははあ、と息を吐く。吐き出された白い息は外の寒さを際立たせているようだ。
結局、私は笠松さんに会いに行く、なんて言えずにいた。しかし、私が今現在立っている場所は間違いなく神奈川県でありまして。
とりあえず、今何してますか?と遠慮がちにメールを送ってみたら、数分後に、図書館で勉強してる、と返事が来た。
途端に押し寄せる罪悪感。彼は今、受験勉強に勤しんでいるのだ。それなのに私ときたら、自分勝手に彼のいる場所にやってきてしまうなんて。
図々しくないだろうか。迷惑じゃないだろうか。
友人が言ってくれた、会いに来てくれたら彼氏さん、すっごく喜ぶと思うよ、という言葉だけが、唯一の救いだった。
携帯で図書館を調べ、彼の通う学校から一番近い図書館に向かってみた。
彼の学校には練習試合で来たことがあるものの、その土地の図書館を訪れるのは初めてだった。
自動に開くドアを緊張しながら通り抜け、きょろきょろと辺りを見渡す。いくつかの本棚を抜けると、勉強スペースらしい、机と椅子がたくさん並んでいる場所を見つけた。
すぐに笠松さんも見つけた。私に気付くことなく、熱心に参考書を見つめ、ペンを動かしている。
その姿を見た瞬間、久々に会えた喜びと、来てしまったという申し訳なさが私を襲った。
申し訳ない、というより、笠松さんを信じられなかった自分に嫌気が差した。
笠松さんは、他の女の人と会ってるわけでもなく、ただ純粋に勉強をしていたのだ。それだというのに、私は勝手に変な思い込みをしてしまっていた。もしかしたら、とほんの少し笠松さんを疑ってしまった自分もいた。
私は静かにその場を後にする。受付の人に閉館は何時ですか、と尋ねると、六時です、と答えが返ってきた。
時計を見れば、針はちょうど五時を回ったころだ。約一時間。おそらく、笠松さんは閉館までここで勉強するに違いない。
少し考え、私は笠松さんを外で待つことにした。
笠松さんを信じきれなかった罰、というわけじゃないけれど。あそこに居てはいけないと思った。
私が彼と同じ場所にいるだけで、彼の勉強の邪魔をしているような、そんな錯覚に陥っていたからかもしれない。



六時近くになれば、辺りはすでに暗闇に包まれてしまう。夏はこの時間帯でもまだ明るかったのに、と思い耽りながら、携帯の時計を確認する。
もうすぐ、彼がやってくる頃だ。
自動式のドアから疎らに人が出ていく。どきどきと胸の高鳴りを抑えながら、笠松さんの姿を探した。
人がいなくなって、しばらくしてから笠松さんが図書館から出てきた。
彼は携帯と睨めっこをしていた。その姿が可愛らしくて思わずにやけてしまいそうになるが、ふと思う。
――彼は何をそんなに真剣に携帯を見ているのだろう。
自分の携帯を見てみるが、彼からの連絡はなかった。
誰かとメールでもしているのだろうか。
では、誰と?

「――笠松さん!」

気付けば、笠松さんに駆け寄っていた。
急に声をかけられ、驚いた表情の彼が私を見る。そして、その表情はさらに驚きを強調させた。

「あ、相田!?」

笠松さんが慌てて携帯をポケットにしまった。そのぎこちない動作に嫌な予感が過る。そんな心情とは裏腹に、私は笑顔を作ってみせた。

「来ちゃいました」
「おまっ、いつから……!」

笠松さんは言葉を飲み込み、私を唖然としたように眺める。
会いに来てくれたら喜ぶよ――――……
友人の言葉が甦っては、消えた。

「……あの、」
「まじでびっくりした」

笠松さんは私を見ても、笑ってはくれなかった。それどころか、眉間に皺を寄せているではないか。やはり、突撃訪問がまずかったのだろうか。それとも、他に特別な理由が?

「……あの、笠松さん」
「とりあえず、歩くか」

そういって、笠松さんは歩きだす。その背中に向かって、はい、と小さく呟いた。




お互いの間に会話はなかった。
ずっと会いたかった。話したいことがたくさんあった。聞きたいこともたくさんあった。だからこうして私は彼の元へ来たのに。
前を歩く笠松さんは一度も振り返らない。
どうして?私のことが嫌いになったの?
なんて、聞ける勇気はなかった。ただ、彼との距離ができてしまわぬように私は必死に歩いていた。
彼との間に距離ができてしまう。それだけが怖かったから。

ふいに彼の手に目がいく。太くて、がっしりした手。
あの手に触れられたら、どれほど嬉しいことだろうか。
そっと、手を伸ばす。
私の指先が彼の手に触れたときだった。

「っ!?」

私の手は振り払われ、勢いよく笠松さんが振り返る。
どこか焦っているかのような表情が、とてつもなくショックだった。

「あ……悪い……」

なに、これ。

「すみません!あの、私っ……」

彼の手に触れた指を、もう片方の手で握りしめる。

「そんなつもりじゃ……」

ぽろぽろと温かいものが頬を伝う。
歪んだ視界から、凍りついた笠松さんが見えた気がした。
どうしよう。止めないと。泣き顔なんて見られたくない。
勝手に来てごめんなさい。
勝手に触れようとしてごめんなさい。
喉まで出かけているのに、上手く言葉にならなかった。
笠松さんの気持ちはよく分かる。私が急に来て動揺しているのだろう。急に手を触ろうとされて焦ってしまったのだろう。だって、彼は女子が苦手な人だから。
半年付き合っても、手を繋ぐことも、キスをすることもないような関係だから。
ちゃんと、分かっているのに。

「すみ、ません……」

拭っても拭っても、涙は止まらない。
信じているけど、不安だった。
私は彼に求められていないんだ、と。
私ばかりがこんなに好きでいるんだ、と。
そう思わずにはいられなかったのだ。

「相田……俺、」

――やだ。何も、言わないで。

しゃくり上げながら、私はたどたどしくも言葉を紡ぐ。
どうしても確かめたかった。笠松さんに、どうしても聞きたかったこと。

「……笠松さんは……私のこと、嫌いになっちゃった……?」

そう告げれば、彼の瞳が大きく見開かれた。
そして、突然、両肩を強く掴まれた。あまりの勢いに後ろへよろめく。唐突な出来事に驚きながら顔を上げた瞬間、ちゅ、と唇で音がした。
目を瞑っている笠松さんの顔がすぐ傍にある。
依然として、私の唇は彼の唇と重なり合っていた。
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