Kurobasu
□世界の果てまで
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ぎゅっと体を引き寄せられた。顔を上げようとすれば、青峰に制される。頭を胸元に押さえつけられて、リコは仕方なくその胸元に身を寄せた。
「……青峰くんって、結構乙女なのね」
「はあ?」
「私、てっきりおっぱいだけな子なのかと」
「……シバくぞ」
「勘弁。でも、案外脆いのね」
リコは青峰の背中に手を回した。一瞬、青峰の体が震えた気がしたが、彼はすぐにリコを受け入れる。
「要するに、私が青峰くんよりも先に世界を知ったり、青峰くんの知らないところで、私が日向くんたちに出会ったりしてたのが嫌だった、ってことでしょ?」
返事はない。ただ、リコの背中に回っていた彼の腕には一層力がこめられた。
「……子供ねえ」
「うるせー。なんか嫌だったんだよ」
「なんか嫌だ、っていう時点で子供なのよ」
青峰な何か言いかけようとしたが、その言葉を飲み込んで口を閉ざしてしまう。
彼が口を開けたのは、それからしばらくしてからだった。
「……俺はただ、アンタと同じ時間を生きたかっただけだよ」
思いがけない言葉に、リコはえっ、と声を漏らした。
――半年の差。
それすらも惜しく感じてしまうほどに。
自分はただ、リコと同じ世界を見たかっただけなのだ。
「リコ」
名前を呼ばれ、リコははっとしたように顔を上げる。
すぐ傍に青峰の顔があった。それは徐々に自分の方へ迫ってきて。
「っ!?」
思わず青峰の胸元を押し返し、顔を逸らしてしまった。
おそるおそる彼を見やれば、不機嫌そうな表情を浮かべる彼がいた。残念そうな表情にならないところが彼らしい。
「あ、あのね、青峰くん」
何か言おうとするリコのことなど気にすることなく、青峰は胸元に置かれたリコの右手を掴んだ。
そして、リコの綺麗な指を自分の口元に持っていく。
ちゅっ、とわざとらしくリップ音を立てると、リコの頬に熱が帯びた。
彼女の指を口元に這わせたままリコを見下ろすと、リコは青峰から視線を逸らせなくなる。
彼のまっすぐな瞳が、リコを捉えて離さなかったのだ。
「や、青峰く、」
「なあ、気付いた?」
「な、なにが?」
リコの顔を覗き込んだ青峰は、彼女の反応にため息をつく。
なぜ、彼がリコにこんな話をしたのか。どうして同じ世界を見たかった、と自分には似合うはずもない言葉を投げかけたのか。
それらはすべて彼女に向けた告白でもあったのだが、どうやらこちらも残念なことに彼女には伝わらなかったようである。
「やっぱ、直球が一番いいのか」
「だ、だから何が……」
突然、リコの視界がぐるりと反転した。
背中から伝わる床の冷たさと自分の上に馬乗りになる青峰が目に入ると、彼に組み敷かれたのだと理解する。
「青峰くん?」
彼の指先が、リコの頬に触れた。思わず目を瞑ると、その反応に青峰の頬が紅潮する。
「……リコ」
「な、に?」
潤んだ視界に青峰が映った。
どこか切なそうに顔を歪める彼の表情から目が離せなくなる。
「――好きなんだけど」
青峰の口から紡がれた言葉。
たった二文字で伝わる、簡単で、まっすぐな言葉。最初から、こう言えばよかったのか、と青峰はぼんやりと思い耽る。
わざわざ遠回りなんかしなくったってよかったのだ。
「好き、なんだけど」
「……うん。二回も言われればよく分かるから」
「じゃあ何とか言えよ」
「なっ、だ、だって心の準備っていうやつが……!」
「じゃあ、待つ」
――――この状況で!?
ううー、とリコが涙目で唸り声を上げる。
「……やめろ、その顔」
「悪かったわね、不細工で!」
「んなこと言ってねーし」
疼くんだよ、とは言えなかった。
あーあ、と声を漏らしながらリコを見下ろす。
少ししてから、リコがようやく顔を上げた。ちょいちょいと手招きされ、青峰はリコの方へ身を乗り出す。
「準備はできたか?」
「ちょっ、アンタは何をする気でいるのよ!」
リコはむうと頬を膨らましながら、青峰の髪に手を伸ばした。
「……アンタ、さっき言ってたわよね?私と同じ時間を生きたかったって。私と同じ世界を見たかったって」
「……なんだそのクサイ台詞。虫酸が走った」
「誰が言ったと思ってる、誰が」
髪に伸ばした手を頬へと移動させ、軽く引っ張ってみた。思っていた以上の頬の柔らかさに驚いてしまったのは、彼には内緒にしておこう。
「……まだ間に合うと思うの」
青峰が顔を上げた。
「私と、同じ時間を生きることも、同じ世界を見ることも、今からでも十分間に合うと思う。ううん、間に合ってほしい。私も……青峰くんと同じ世界を見たい、から」
青峰は指先でリコの唇をなぞった。
艶やかな唇を、指先で感じる。
「……世界の始まりを一緒に見れなくても、青峰くんの世界が終わるときまで一緒にいたいの」
意味分かる?と尋ねられ、青峰は首を横に振る。
ああもう、とリコはもどかしそうに声を荒げた。
「だからね、」
「あーもう別にいいよ、なんでも」
じれったそうな声を上げたのは青峰だった。
リコに覆いかぶさり、首元に顔を埋める。
「……つまり、俺が死ぬときまで一緒にいてくれるってことだろ?」
彼の言葉にリコの頬が赤くなっていく。
「……分かってるんじゃない」
微かに聞こえてきたリコの声に、青峰の口元が緩んだ。
顔を上げると、リコと目が合う。彼女の髪に触れようとすると、一瞬彼女がびくりと体を震わした。
「そんな怯えんなよ」
「や、その……ごめんなさい」
「すーなお」
そう言って、青峰はどこか楽しそうに笑う。
無邪気な笑顔にどきりと胸を弾ませれば、今度こそ青峰の手がリコの髪に触れた。二、三回撫でるその手はとても優しく、温かい。
「リコ」
名前を呼ばれると、青峰の顔が近付いてきた。
目を逸らすことができないまま、ただ見つめ合う。
髪に触れていた手がリコの頭を固定した。そんなことしなくても逃げないのに、とリコは心の中で笑う。
互いの吐く息が顔にかかる距離。
青峰の唇がリコの唇に触れようとした、まさにその瞬間だった。
「――青峰サン大変ですっ!体育館にクワガタがっ……!!」
バタンッと部室のドアを勢いよく開けて入ってきた桜井は、すぐさま口を閉ざし、目をぱちくりさせる。
床に押し倒されているリコと、彼女に馬乗りになる青峰の視線が呆然と立ちすくむ桜井に向けられた。
桜井ははっとしたように肩を震わせると、みるみるうちに顔を真っ赤にさせていく。そして、何も発さないまま、部室から勢いよく飛び出しては思いきりドアを閉めた。
静寂が訪れたかと思えば、ドアの向こうからは賑やかな話し声が響いてくる。
「どや、青峰の奴クワガタで釣れそうか?」
「あっ、あの、スイマセン!」
「や、なんで桜井が謝罪すんねん」
「スイマセン!自分、スイマセン!」
「もおー、青峰くんってばリコさん来るといっつも部活抜け出すんだからー」
「ああ!ダメです、桃井サン開けちゃダメです!!」
――なんていうタイミングだ。
青峰は軽く舌打ちをすると、がしがしと頭を掻きながら起き上がる。
リコは顔を真っ赤にしたまま放心状態だ。そんなリコの様子を見た青峰は、口角をにやりと上へ持ち上げる。
「これじゃあ、おあずけだな」
「なっ……!べ、別に残念とか思ってないんだから!アホ峰のバーカ!」
「はあ!?意味分かんねえ。お前なんかに一生してやんねーよ!」
「……勝手にすれば!?」
ふんっ、と顔を背けながら起き上がり、互いに座ったまま体ごとそっぽ向かせる。
しかし、少しもしないうちに、くいっとリコの袖が引っ張られた。不機嫌な雰囲気を漂わせながら振り向けば、頬を赤らめた青峰がリコの方へ身を乗り出しているではないか。
彼は視線を泳がせながら、ゆっくりと口を開く。
「……今のナシ。俺が我慢できない」
あまりにも素直すぎる言動に、不機嫌な顔をしていたリコから笑みが零れ始める。
お腹を抱えて笑いだせば、彼は怒ったような口調で何か言ってきたのだが、彼女の耳には届くことはなく。
そんな中で、ふいに彼の柔らかな声が聞こえたような気がした。
――今日、一緒に帰んぞ。
いまだ笑い続けている彼女に果たして届いたのかどうかは分からないが、彼女の答えはきっとYesに決まっているのだろう。
世界の果てまで
(一緒にいたい)
(愛したい)
(――愛されたい)
end