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□ハイビスカスを添える
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他校のバスケ部の情報を知ることは、試合において最大の武器になる。
偵察――――端から聞けば、あまりいい言葉、いい響きはしない。
それでも、偵察をすることで有力な情報を得ることができるならば、誠凛高校バスケ部の監督として、私は偵察をすることも大事な役割なんじゃないかと思うのだ。

(……だからって、まさかこんなことになるなんて思ってなかったわよ!)

桐皇学園の校門前。
珍しく眼鏡をかけている相田リコは、桐皇の制服に身を包み、さらに長い黒髪を靡かせながら、深いため息をつくのだった。




それは、先日の出来事まで遡る。

「……桐皇の偵察にでも行こうかしら」

何気なく呟いたリコだったが、周りにいた友人の耳にはしっかりと届いていたようだ。

「桐皇?それって桐皇学園のこと?」
「偵察とか漫画みたーい!!」
「げ、あんたら聞いてたの?」

目をきらきらさせながら自分に視線を向けてくる友人たちに気付いたリコは、眉間に皺を寄せて少々困ったような表情を浮かべる。
そんなリコに、後の事の発端となってしまうある一人の友人から思わぬ言葉が返ってきた。

「私、桐皇の制服持ってるけど使う?」


――そう。何気なく呟いたリコの言葉に、これまた何気なく返ってきた友人の言葉。
これこそが今の状況を生んでしまったんだ、とリコは思わずにはいられない。
彼女になぜ持っているのかと尋ねれば、どうやら彼女の姉は桐皇学園に通っていたという。
なんたる偶然。驚くリコよりも、周りにいた他の友人たちを刺激してしまった方が大きかったようだ。
偵察といえば変装じゃん!リコ、これは行くしか!など、謎のエールを受けつつ、とうとう本日、リコは友人の姉から借りた桐皇の制服を着て桐皇学園までやってきてしまったというわけである。

(……偵察に行きたいだなんて、言うんじゃなかったわ)

感想よろしくね!と明らかに楽しんでいる友人の笑顔を思い出してはため息が出てしまうものの、せっかく来たんだから、と前向きに事を考えればやる気は出てくるものだ。
変装が学校側にバレたら一大事だが、他校の制服のまま堂々と入るよりかはだいぶマシである。
というより、他校生をすんなり学校の敷地内に入れてくれるとは思わないし、仮に桐皇バスケ部の監督である原澤に特別な許可を貰うことができても、それは偵察の意味がなくなってしまう。ここはやはり、制服を貸してくれた友人に感謝すべきなのかもしれない。

(……ど、堂々としていれば案外気付かれないものなのね)

平静を装いながら、内心は爆発しそうなほど鳴り響く心臓を押さえつけながら、当初の目的である体育館へと向かう。
制服効果があるためか、リコが他校生だと気付くものはいなかった。すれ違う教師でさえ、気を付けて帰れよー、と声をかけてくる始末だ。誠凛高校は今日の午後から教師たちの会議があるらしく、全校生徒は午前授業で、すべての部活動に活動禁止令が出ていた。
制服にも、学校の諸事情にも感謝しつつ、リコは体育館の入り口に辿り着く。
扉は閉まっているが、中からはボールが跳ねる音やバッシュ音が聞こえてきた。

(……問題はここからよ。ここで桃井や青峰くんにでも見つかったら変装の意味がなくなっちゃう。桃井はともかく、青峰くんは変に鋭いところがあるから……)

おそるおそる扉に手をかけ、音を立てないように扉を開けた。ほんの少し開いた扉を覗き込めば、ボールを追ってコートを行き来する部員の姿を捉えることができた。
すごい迫力だった。思わず息を飲んでしまうほどに。
――もっと近くで見たい。リコはうずうずしてくるのを感じた。ここからでは自慢の目をフルに使うことはできない。

(体育館の二階に行くにはどうすればいいのかしら?)

辺りを見渡そうと扉の隙間から顔を上げた直後だった。

「――自分、何しとるん?」
「うきゃあっ!?」

背後から聞こえてきた声に思わず悲鳴を上げてしまった。大きく肩を跳ね上がらせたまま振り向けば、さらにぎょっと肩を震わせてしまう。
リコの背後にいたのは、桐皇学園のバスケ部主将、今吉翔一だったからである。

(うわああ最悪!関西弁で気付くべきだった……!)

リコは変な汗をかきながら、大きな背丈を屈ませて顔を覗き込んでくる今吉から慌てて顔を逸らした。

「す、すみません……!あ、あの特に用事はないんですけど……!!」
「ふーん?」

ちょ、顔近い!!と焦るリコは、今すぐにでも彼の前から走って逃げ出したかった。しかし、それができないのはリコの顔の横の壁に今吉が手をついているからである。

「あ、あの……私はこれで、」

今吉から顔を逸らしたまま、なんとか彼の手から逃れようと身じろいだときだった。リコの顔をじっと眺めていた今吉が、手を伸ばしてリコの前髪を掻き分けたのは。
リコの体がびくりと跳ね上がると、今吉は口の両端を吊り上げる。

「で、どないしたんその恰好。誠凛の監督さん?」
「なっ……!?」

嘘、ばれた!?と勢いよく顔を上げれば、今吉は意外そうな顔をした。

「なんや、ほんまに監督さんやったん?」

彼のその言葉で気が付く。自分は嵌められたんだと。
青ざめるリコを余所に、彼は桐皇の制服を着る彼女を興味深そうに見つめては楽しそうに笑っていた。

「よう似合っとる。どないしたんそれ」
「あ、な、その……!」

突然の出来事に上手い返しが見つからない。
今吉は狼狽える彼女に感嘆のため息をついた。

「制服に着替えてまで偵察するとか……アンタ根性あるわ」
「ほ、ほっといてください!」
「そんな怖い顔せんといて。可愛い顔が台無しやで?」

今吉の口から可愛いという言葉が飛び出し、リコははあ!?と盛大に声を荒げてしまった。

「か、からかうのはやめてください!だ、だいたい今吉さんはなんで私に気付いたんですか!?」
「そんな逆ギレされてもなあ……や、最初後ろ姿はわからんかったよ。体育館覗いてるのが怪しかったんで、つい声かけてしもたんやけど。顔見たら眼鏡かけてるし髪長いしで、てっきり部活を覗きにきた女の子かと思ってな。でもやけに挙動不審やから、不思議に思ってじっくり顔見たらなんとなく監督さんかなあと」
「……」
「それにボロ出してくれたしな」

今吉の満面な笑顔が憎い。
リコは深いため息をつき、観念したように彼から逃げることを諦めた。結局は自分が原因なのだ。彼の当てずっぽうに反応してしまった自分が悪い。
はあ、とため息をついてがっくり項垂れるリコに、でも、と今吉は付け足した。

「一番の決め手は、これやけど」

そう言って、彼の手がリコの首元に伸びてくる。
一瞬の出来事だった。
首に下げていた愛用のホイッスルが彼の手によってひゅるりと取り出される。

「ホイッスルといえば、監督さんやし」

制服の下に隠していたというのに、なんて目敏い人なのだろうか。
ホイッスルを手にした今吉が何か企んでいそうな笑みを浮かべる。嫌な予感がした。
返してください、と彼の手の中にあるホイッスルを取り返そうとした、その瞬間だった。
今吉はリコのホイッスルに口をつけ――――思いっきり吹き出したのだ。
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