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□嫌いじゃないよ、
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一。


キッと目つきを吊り上げて彼女を睨んだ。それと同じくらいに彼女の手が私の首に向かって伸びてくる。

――――はずだった。


「きゃあっ!!」

叫び声を上げたのは、私ではない。美衣さんである。
私の目の前にいたはずの美衣さんの姿が消えた。
それはあっという間の出来事で、私の目には美衣さんが何かに突き飛ばされるように見えた。
私同様に地面に倒れこむ美衣さんと、唖然としたように立ち尽くす女の子たち。
私は美衣さんと入れ替わるように目の前に現れたその人物を、目を大きく見開かせて見上げてしまった。

「……あーだる」

灰崎くんはそう言って、ふわーと欠伸をする。

「灰崎くん……」
「まじ女ってメンドくせーことしてんな」
「祥吾っ!!」

私の元へ歩み寄ってくる彼を、美衣さんが呼び止めた。彼は顔だけ動かし、膝をついている元恋人を見下ろす。
私からは彼の表情は見えなかったけれど、恐ろしい形相でもしていたのだろうというのは感じとることができた。
なぜならば、彼が彼女たちを振り返った瞬間、彼女たちの顔つきが一瞬にして青ざめたから。

灰崎くんは言う。今まで聞いたことのない、男の声で。


「――何見てんの?お前、もういらないけど?」




私と灰崎くんだけになったその場所は、先ほどの出来事なんてなかったかのように静寂に包まれていた。
地面に座り込んだままの私に、らしくもなく彼が手を伸ばす。ふいっと首を横にして手を借りずに立とうとすれば、彼が小さく舌打ちした。
彼の手が引き下がると思いきや、乱暴に私の腕を掴み、そのまま引き上げられた。

「可愛くねー女」
「……悪かったわね。てか、誰のせいでこんな目に遭ったと思ってんのよ」
「別に俺はアンタに庇ってくれとは頼んでねーだろうが」
「……は?え、まさか私たちの会話聞いてたの!?」
「声でけーんだよ。嫌でも聞こえてくるっつーの」
「最悪。ありえない」
「へーへー」

適当にあしらう彼に更なる怒りが込み上げてくるが、それは脱力へと変わる。
……今日はなんて最悪な一日の終わりだったのだろうか。

「ていうか、見てたのなら早く助けに来なさいよ」
「それじゃあ意味ねーだろ。美衣がお前に手を加えてから出てった方が効果あるし」
「……何よ、効果って」
「大好きな大好きな彼氏に、自分の怒り狂う姿見られたら失望すんだろ?おまけに他人に手ぇ出してるなら尚更によ」

……つまり、なんだ。私はやられ損ってことか。そうなのか?

複雑な表情を浮かべた私に、彼はにいっと笑った。

「お疲れ、ちょー助かりました」

なんて、心のこもってないお礼を述べられても嬉しくない。私は深いため息をついた。

「さーて、次はどの女にすっかなー」

反省の色もない。よし、帰ろう。

「あーちょっと待てよ」

背を向けて歩き出そうとすれば引き止められる。

「……なに?」

皮肉と憎しみを込めた目で彼を見れば、彼はそんな私の態度など気に留めることなく視線を動かした。

「どっち?」
「なにが」
「家」
「……なんでよ」
「いいから」
「結構です」

ぴしゃりと言い放って顔を逸らせば、彼のがっしりとした腕が伸びてきた。その素早い動作に反応することができず、彼の手は私の肩に掛けていた通学鞄を引っ手繰った。

「……え?」

訳がわからず立ち尽くす私に、彼は私の鞄を肩に掛けてから、もう一度言う。

「どっち?」

横目で灰崎くんに見つめられる。
間を少し空けてから、あっち、と指差してしまうと、彼はすぐさまその方向へと歩き出した。
その背中を、私は長い間見つめてしまったような、そんな気がした。




「いい女いねーかなー」

私の前を歩く彼はそんなことを呟いてはしきりに携帯をいじっている。
彼の頭には女という文字しかないのだろうか。

「おい、誠凛の可愛い女紹介しろよ」

私はひたすら無言を貫き通した。
何分か過ぎて、さすがに彼も諦めたのか、それ以上彼が私に何か話しかけてくることはない。
私が無言でいたのはもちろん彼のくだらない頼みごとを引き受けるつもりがないっていうのもあったのだが、何よりも彼の歩くスピードに追いつくのに必死だった、というのが一番の決め手だった。
彼は自分のペースで歩く。後ろにいる私など気にする様子はない。私の方へ振り向こうともしない。
美衣さんは本当にこの男のどこを好きになったのだろう、と疑問が過ったが、私はなんとなくわかってしまった。
わかってしまったのが、なんだか腑に落ちない。

「……灰崎くんって、」
「あン?」
「彼女のこと、自分の物のように扱うでしょ?」

彼の肩に掛けられた私の鞄を見つめながら、私はそう言った。
……あんなことされたら、少し揺らいじゃうかもだし、大事にされてるって勘違いしちゃうかもしれないけど。

「知らねーよ、んなこと」

彼はそう答えた。私の方へ、目も向けることなく。
そっか、と呟いて、空いてしまった彼との距離を埋めようと自然と小走りになった。
そこでようやく彼が振り返る。
視線が交差し、不覚にもどきりと心臓が跳ね上がってしまう。

「アンタ、歩き方イヌみてーだな」
「なっ!?」

ははっと彼が面白がって笑う。
一気に頬が上気していくのを感じた。頬が、熱い。
それから彼はまた手元の携帯に目を落として歩き出してしまうんだけど、その歩く速さはさっきとまったく変わらない。

なによ、と思わずつぶやいた。
それなのに、楽しそうに笑った彼の笑顔が脳裏にちらついて、ちょっとだけ、足取りが軽くなってしまったのが、悔しい。


縮まらない距離。
合わない歩幅。
所詮そんなものだ、と私は思う。


彼のことをすべて知っているわけでもないし、知りたいとも思わない。
乱暴で、すぐに暴力を振って、女にも容赦のない彼に、もっと近づきたいなんて、考えるはずがない。
明日になれば、彼との関わりもなくなるんだ。


縮めない距離。
合わせない歩幅。
私も彼も、所詮そんなもの。



でも。


「――アンタ、名前何ていうの?」

彼が振り返る。
視線がぶつかって、そのまま彼の瞳を見つめ返す。




――君に"アンタ"って言われるのは、まあ悪くないかな。





「……教えてあげない」


彼の肩に掛けられた私の鞄を見つめてそう呟けば、彼はあっそ、と口にした。
少しだけ拗ねたような口調に思わず笑みを零してしまったのだが、私が初めて彼の前で笑ったということに気が付くのは、なんだ笑えるじゃん、と何気なく彼に呟かれたからなんだけど。




嫌いじゃないよ、君のそーいうとこ。









end
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