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□有終の美を飾る
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ふっと目を覚ました時には、一瞬、自分がどこにいるのかわからなかった。
起き上がる前に気が付くこと。感触。柔らかい。うつ伏せのまま、目だけを動かして自分の真下に何があるのか改めて確認する。
そこはベッドの上だった。真っ白なシーツ。とても心地がよい。
腕に力を込め、体を半分起き上がらせようとしてみるが、頭を上げた瞬間、視界が反転したかのような強い目眩に襲われた。
自分の身に何が起きたのか、はっきりと理解するが出来ないまま、リコは呻き声とともにその場に倒れ込んでしまった。
あまりの痛みに目を閉ざしてみるが、眩みが治まることはなく、むしろ閉ざした瞼の上からは四方八方に様々な光が飛び交うではないか。チカチカと非常事態を発する体の叫びにどうすることもできない。

(な……に、これ……)

寝返りを打ち、うっすらと開けた目に天井が映り込んだ。
それを見て、リコはようやく気が付く。
ここは、自分の部屋ではないということを。
胸の内からじわじわと焦りと不安が押し寄せてきた。慌てて体を起こそうとした、その時だった。

「あれっ、起きた?」

聞き覚えのある声が部屋一帯に響き渡ってくる。 その声は、意識がなくなる直前に聞こえてきた声と同じような、そんな気がした。
横になったまま、声のする方へ目を向ける。
薄暗い部屋の中、彼の黒髪はより色深く見えた。

「た……かお、くん?」
「そーっすよ、相田さん」

にこりと笑った高尾の表情そのものはいつもと変わらない、無邪気で憎めない愛らしいものだ。
それなのに。
自分に近付いてくる高尾に、リコは一種の恐怖を感じとった。
彼は口笛を吹きながら、楽しそうにリコのいるベッドに乗り込んでくる。ぎしり、とベッドのスプリング音が鳴ったとき、"逃げろ"と本能がリコを急かす。咄嗟に逃げようと体を動かしたが、勢いよく体を起き上がらせたばっかりに激しい立ち眩みを覚えた。
顔を顰め、またしてもその場に倒れ込んでしまう。

「あんま無茶しない方がいいっすよー?相田さん、酔っ払ってるんすから」
「酔っ払う……?」
「あれっ?覚えてません?一緒に遊ぶ約束して、さっきまで仲良くお菓子食べてたじゃないですかー」

さっきって言っても、もうすぐ一時間経ちますけど、と高尾は笑う。
リコの真上に馬乗りになる高尾は、未だ状況を把握していないであろうリコに手を伸ばし、色素の薄い彼女の髪に触れ、指に絡ませた。

「みんなでお喋りしてー、食べて飲んでー……ああ、もちろんジュースですよ。俺たちは」
「俺たち……?」

その言葉に、どきりと心臓が跳ね上がる。
脳裏に過った、とある光景。
リビングでみんなと楽しくお喋りをしながらお菓子を食べて、ジュースを飲んで。ほら、と手渡されたコップを受け取ったのは、紛れもなく自分自身で。
口をつけて舌に広がった、今まで味わったことのない、不思議な味がするジュース。甘くて、喉を通ると少しだけヒリヒリして。それがおいしくて、何度も飲んでしまって。
そこまで思い巡らせて、はたと停止する。
自分にそのジュースを渡してくれた、その人物の顔が思い出せないのだ。
高尾ではない、他の人だったのはわかる。
リコは口の端を吊り上げる高尾の姿を見て、とうとう自分に置かれている状況が穏やかでないことを確実に理解した。
それからもう一つ、恐怖に駆られるものの正体。
自分は高尾以外の誰と一緒にいたのか。そのみんなが思い出せないのだ。

「それにしても、相田さんってお酒弱いんすね!ダメじゃないですか、弱いのに一気にたくさん飲んじゃあ。まあ、おかげで早く潰れてくれて好都合だったけど」
「何を……言って、」
「それから、いくら二人きりじゃないからって、そう簡単に男の家に入っちゃダメっすよ?」

そう言って、高尾はリコをまっすぐ見つめた。相田さん、と彼女を呼ぶ。
怯えた表情を浮かべるリコに、にんまりと笑ってみせた。

「今からセックスしますね」



その言葉を理解するまで、リコには少々時間がかかった。しかし、現状と彼の言葉の意味を理解してからのそれからの予想はかなり早いものである。
自分の唇に狙いを定めて身を低くしてくる高尾から顔を逸らし、精一杯力を込めて彼の体を押し返した。
顔を逸らしたものの、高尾が動きを止めることはない。リコの唇に宛がうはずだった彼の唇はそのまま彼女の耳に触れる。

「やっ……!!」
「帰ってくるのが遅いと思ったら何してるのだよ」

聞こえてきた声に、はっと目を開けた。次の瞬間、リコを覆っていた高尾の体が宙に浮く。浮いた、のではなく、誰かによって後ろへ引っ張られたみたいだ。
服の襟首を掴まれたまま、高尾はあららと困ったような笑みを浮かべて視線を斜め上に上げる。

「あっれー真ちゃんなんでここに?」
「白々しいのだよ高尾。俺が傍まで来ていたことなんて、お前の目なら気付いていただろう?」
「あ、バレた?」
「……相田さんの様子を見てくるって行ったきり帰ってくる気配がないと思えば、何してるのだよ」

呆れ気味にため息をついて同じ質問を彼に投げつける。眼鏡を押し上げた緑間は、高尾の服から手を離し、それから上半身を起き上がらせたリコへと目を向けた。

「相田さん、まだ頭はくらくらしますか?」
「緑間くん……」

至って冷静で優しい口調で語りかけてくれる緑間に、リコはほっと胸を撫で下ろす。
異様な雰囲気を漂わせていた高尾から救われたかのような、そんな安堵感。
それは、一瞬にして奪われることになる。

「相田さん」

名前を呼ばれて、顔を上げた。緑間の大きな手の平がリコの頬に添えられる。
リコの方へ身を乗り出すたびに、ぎしりと音が鳴った。
息をするのも忘れていたような錯覚に陥る。
緑間くん、と名前を呼ぶ前に、リコの唇は緑間の唇によって塞がれた。
目を大きく見開いて、呆然としたままその場から身動きがとれなくなる。
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