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□溺れてしまえ
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――相田さん、キスはこうやるんだよ。

耳元で囁かれた彼の声。
くらりと眩暈を感じてしまうほどに。
彼の声は私の耳を脳を心を。



すべて奪っていくの。













走って走って、ただひたすらに走った。
どうしてもあの場所から逃げ出したくて、彼を振り切りたくて。行くあてなんかなかったけれど、それでも走った。
外に出れば、練習場でもある体育館からボールの跳ねる音、バッシュの擦れる音が鳴り響いてきた。
それだけのことが、なぜだかリコを安心させていく。
部員たちはいま、各校の監督たちの指導の下で他校の部員たちと練習に励んでいるころだろう。バスケ界で有名な各校の監督に指導を受けてもらえるなんて滅多にない、貴重なことである。
――貪欲に行ってこい!!
合宿が始まる前、彼女はそう言って彼らの背中を押した。
とても安心する。彼らのバスケをしている音を聞くだけで、優しくて温かいものに包まれるような気がした。
じわり、と涙が滲んで、慌てて拭う。
上手く状況を理解できずにいた。宮地のことも、諏佐のことも。
唇を強く拭った。何度も何度も、手の甲を擦りつける。何度も何度も拭うのに、一度零れてきてしまった涙はとどまることを知らなかった。
頬を伝っていく涙が、彼女から大切なモノが奪われたことを物語っていた。
何度目かのしゃくりを上げたとき、リコは先ほどまで辺りに響いていた彼らの音が止んでいたことに気が付いた。はっとして、その場から離れようとしたが、その判断は遅かった。

「――あれっ、カントク?」

耳に馴染んだ日向の声が聞こえてくる。思わずびくりと肩を震わして顔を上げれば、休憩に入ったのだろうか。誠凛バスケ部の面々が思い思いに汗を拭い、談笑しながら歩いているのが目に入る。
慌てて視線を逸らそうとするも、日向たちがリコを――ましてや泣いているリコを見逃すわけがなかった。

「カントク!?」

日向の叫び声は見る見るうちに誠凛バスケ部の間を駆け抜けては伝わっていく。リコはあっという間に彼らによって囲まれてしまった。

「どうしたんすかカントク!!」
「火神くん、落ち着いてください。それでカントク、誰を抹消すればいいんですか?」
「お前が一番落ち着け!!……で、カントク、どうしたんだ?」
「日向くん……」
「何かあった?顔色悪いけど」

伊月の手がリコの頬に触れる。
――何かあった?
彼の一言が、先ほどの出来事を思い出させてしまう。またしてもじわりと滲んでしまった涙に彼らのどよめきが大きくなった。

「ちょ、カントク本当に大丈夫!?」
「こがっ、ねいくん……」
「リーコ。俺らがいなくて寂しかったのか?」

場に合わない笑顔とどこかずれた台詞。しかし、木吉の穏やかな声色はリコを落ち着かせていった。
――彼らに心配をかけさせたくない。
リコはぐっと喉元に力を入れ、顔を覆っていた手を離す。

「……えへへ、実はちょっと寂しかったんだー」

無理矢理作った笑顔に気付けた者と気付けなかった者。それでも何事もなかったかのようにする彼女の姿を見てしまえば、笑顔の正体に気付けた者は言い返す言葉が見つからなかった。

「ええっ、カントクってそんなに寂しがり屋だったっけ!?」
「何よ小金井くんー。やっぱりみんながいないと寂しいなって私だって思っちゃうわよ」
「あ、あのカントク!それじゃあもうすぐ練習終わるんで、そしたら俺のフォーム見てくれませんか!?」
「あ、福田ずりい!」

リコは声を立てて笑いながら目に溜まった涙を拭うと、腑に落ちない顔をする日向たちと目が合った。

「……大丈夫よ」

小さな声で、彼らにしか聞こえないような声で呟く。
自分に言い聞かせるように、力強く言葉を紡いだ。

「私なら、大丈夫よ」

嘘吐き、と日向の口元が動いたような気がしたが、所詮それはそんな気がしただけだ。
日向も木吉も伊月も黒子も火神も、そんな目で自分を見ないでほしい。
私は可哀想な子なんかじゃない、リコは赤くなった目元をもう一度擦って、それ以上彼らに目を向けようとはしなかった。







「なに泣いてんの?」

誰もいなくなった場所で、背後から声がかかった。
やけに心配性を発揮させる日向たちを体育館に向かわせたばかりの出来事である。
リコはその声に体を震わせるが、すぐに平静を取り戻す。少しだけ顔を後ろに向けて、その人物を見やった。

「……もうすぐ練習始まりますよ」
「知ってる」
「じゃあなんでここにいるんですか?」
「相田さんがいたから。つーか、なんか刺々しくね?怒ってんの?」
「……別に、怒ってませんよ」

ふいっと顔を前に向けてしまうと、宮地が大きくため息をついたのがわかった。

「……悪かったよ」
「え?」
「いきなりキスして」

その言葉にリコの頬が熱くなっていく。今度は勢いよく体ごと宮地の方へ向けた。

「ほ、本当です!宮地さんがあんなことしなければ……!」

――諏佐さんにキスされることもなかったのに。

言葉にできず、ただ唇を噛み締めるリコに、宮地は自分はやりすぎてしまったようだと思い込む。
彼はがしがしと頭を掻いた。

「わりい」
「……謝ったからって、き、キスのことをなしにするなんてできないんですからね!」

頬を赤く染め、宮地を睨みつけるように顔を上げるリコであったが、彼から見たら涙目で上目遣いをする、欲情を掻き立ててしまう姿にしか過ぎない。
宮地はリコの元へさらに距離を縮めたかと思えば、彼女の細い腕を掴み、自分の方へ引き寄せた。
きゃっ、と声を上げたリコはそのまま彼の胸元に向かって体が傾く。倒れかかってくる彼女を支えたその矢先の出来事だった。
リコの顔を下から覗き込むように身を屈めた宮地が、彼女の淡い桃色の唇に自分の唇を重ね合わせたのだ。
目を大きく見開かせてその場に佇む。振り払う、という選択肢が思いつかないほど、リコは彼の行動をすぐに飲み込むことができずにいた。
彼女の体を支えるため、彼女の肩に置かれていた彼の手に力がこもる。ぎゅっと肩を掴まれる感覚に、リコはようやく我に返ることができた。それは宮地が唇を離したのとほぼ同じタイミングだった。
ゆっくりと離れていく宮地と視線を交わしながら、リコは口元を手で覆う。

「……なんで、また、」
「アンタが可愛い顔して俺のこと見てくるから」
「わ、私のせい!?」
「わりい……おい、その顔やめろ。またキスすんぞ」

なっ!?と真っ赤な顔で宮地を見やって、リコは動きを止めた。宮地はリコから顔を逸らし、ジャージの袖で口元を隠していたのだ。そこから覗かせる頬がほんのりと赤く染まっていることに気が付かないわけがないほどに。

「……なんで」
「なんでって……いい加減気付けよ!俺はお前が好きなんだよ!」

ふいに声を荒げられ、リコはぎょっとしたように肩を跳ね上がらせた。直後に速さを増す鼓動。――彼は今、なんて言った?
宮地はああもうと呟いて頭を掻く。

「……こんな風に伝えるつもりはなかったのによ」
「え……と、」
「さっきも今も、キスしたのは悪いって思ってるよ。でも、もう無理。俺、アンタが好きすぎてダメだわ」

鈍感女、と宮地はぶっきらぼうに呟く。
リコは彼からの突然の告白に頭が回らなく、上手く言葉が出てこなくて、ただ宮地の前に立ちつくしていた。
だんだんと状況を理解しはじめたときには、今すぐにでもその場から逃げ出したい思いでいっぱいになった。リコは無意識に一歩後ろへと下がる。

「み、宮地さん……練習、始まるから、」

リコが異様に自分を避けている理由なんて、わかっていた。すべては自分の行動の所為。でも、ここで引き下がってしまったら。彼女を手放してしまったら。
宮地はリコに気付かれぬように拳を握りしめる。そして、大きな足取りで彼女の横を通り過ぎようとした。
すれ違う寸前、彼女が反射的にぎゅっと目を瞑ったのがわかった。その瞬間に、宮地は小さな声でささやく。

「……夜、ミーティングが終わった後、ここで待ってる」

えっ、と振り返ったときには、体育館に向かって駆けていく宮地の後ろ姿を捉えた。
宮地さん、とその背中に向かって声をかけてしまったことに自分自身ですら気付くことができなかった。








「――あ、見つけました!諏佐先輩!」

声のする方へ顔を向ければ、後輩の桜井が駆けてくるのが見えた。

「練習もう始まりますよ!今吉先輩が……ってあれ?」

桜井の瞳が諏佐の後ろに向けられた。が、彼の視線の先を遮るように諏佐がさり気なく立ちはだかる。

「悪い、今行くよ」

にこりと笑みを浮かべる諏佐に気をとられ、桜井は彼が何を見ていたのかを知る術を逃してしまった。

「は、はい」

桜井は不思議そうな顔をしながら諏佐と共に歩き出そうとする。歩き出した彼を見計らい、先ほどまで彼が食い入るように見つめていた場所へと視線を向けてみるも、そこにはすでに誰もいなく、疑問だけが桜井の中に残った。
開いてしまった諏佐との距離を埋めようと、彼の背中を追いかけるように小走りで向かう。

「あ、あの!諏佐先輩!」
「どうした、桜井」
「スイマセン!あ、あの……さっき、あそこに誰かいたんですか?」

急に諏佐の足が止まり、彼の背中にどんっとぶつかってしまった。スイマセン!と頭を下げる前に諏佐と目が合う。
諏佐の満面な笑みに、言葉を失った。

「――誰もいなかったぞ?」
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