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□くるくるまわる、きらきらひかる
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自分の部屋に彼女を通すと、彼女は感嘆に近い声を上げた。

「わわ、綺麗に整頓されてますね!」
「掃除したんだよ。普段はもっと散らかってるけど……」
「あ!すごい、バスケに関する本がたくさんある!」

大坪の言葉を遮るようにリコが歓声を上げた。リコの目の付け所に思わず苦笑が漏れる。
そう大きくはない本棚に並べられているバスケの本。この部屋の掃除をしているとき、相田は真っ先にこの本棚に目を付けるんだろうなあ、と予想はしていた。案の定、彼女は目を輝かせてうずうずと体を動かしている。

「み、見てもいいですか!?」
「どーぞ」
「やった!」
「俺、下行って何か飲み物とか取ってくっから」
「あ、私も手伝いますよ」
「いいよ、好きなだけ本見てて」

そう言って促してあげれば、リコは遠慮がちにじゃあお願いします、と口にして軽やかな足取りで本棚に向かっていった。
性分なんだろうな、と実感した。真剣に本を見始めた彼女の姿を見つめてから部屋を出る。
その瞬間、大坪はへなへなと力が抜けたかのようにドアを背中にしたまま座り込んでしまった。大きな手の平で頭を抱え、今まさに目の前で起きている現状にため息を漏らす。

――まあ、こうなるとは思ってたけどな!やっぱ相田は相田だっていう話だよな!

彼氏の家に、彼氏の部屋で二人きり、という状況。期待をしていたわけではないが、微塵も期待しなかったわけでもない。だがやはり、リコはリコだ。あの様子だと危機感すら持ち合わせていないだろう。そもそも、何に対しての危機感すらもわかっていなさそうだ。

「……男は狼、とか誰が言ったんだよ」

あんな無垢な子に、手が出せるわけがなかった。
不満なわけではない。ただ、あまりにも無防備すぎるリコが心配になったのだ。彼女の周りにはいつだって男がいるというのに。
やれやれ、と肩を竦めて、立ち上がる。
今頃、本に熱中しているであろう彼女に早く飲み物を持っていってあげようと、大坪は頭を掻きながら階段を下りていくのだった。




本を何ページか捲って、はたと我に返ったのは辺りがあまりにも静か過ぎたからかもしれない。
あれ、大坪さんは?という疑問に、ああそうだ、確か飲み物を持ってくるって言ってたような……と、そこまで思い出してから、リコは声にならない悲鳴を上げた。

――ちょちょちょちょ!!私は一体何をしているのよ!!せっかく大坪さんの部屋にお邪魔させてもらったっていうのに、何バスケの本に夢中になってるの!?久しぶりのデートなのに……あれ、もしかして大坪さん怒っちゃった?私が大坪さんそっちのけで本読み始めちゃったから怒っちゃった!?

リコは慌てて本棚に本を戻し、両頬に手を添えた。血の気が引いていくのがわかる。これは、まずい。

――ああああ私の馬鹿!こういうときは大坪さんと一緒に飲み物の準備をしに行くべきで……

「って、あれ?」

頭を抱え込もうとしたときにふいに視界に映ったそれは、リコの好奇心をくすぐった。
大坪の勉強机に乗っているそれは、リコに向かってとても眩しい笑顔を放っている。

――かっ、かっ、可愛い……!!

それは、幼い大坪が満面な笑顔でボールを持っている写真だった。
シンプルな写真立てに収められている彼の写真に、吸い寄せられるように机に近付く。ドキドキと胸を高鳴らせながら写真立てを手にして、幼い彼の姿をじっくりと眺める。
無邪気な笑顔が、とても愛らしい。

「……可愛い」

思わず声に出してしまったのと、バンッとドアが開かれたのはほぼ同時の出来事だった。

「悪い、遅くなっ……」
「おかえりなさい、大坪さん」

この写真、可愛いですね!と写真立てを大坪に見せれば、大坪の顔が面白いほどに赤くなっていくのがわかった。
あ、可愛い、と素直に感じてしまうのは無理もなかった。ちょ!?何勝手に見てるんだよ!?と慌てふためきながらもコップを乗せたお盆を手にしている以上、厳かなことはできないようで、大柄な彼があたふたとしている様子は滅多に見ることができない一面である。
部屋の真ん中に置いてある小さなテーブルに一旦置けばいいのに、それすらも思いつかないようだ。そんな彼だからこそ、可愛いと感じてしまう。

「勝手に見んなって……普通にここに置いてあったんで、見ていいものかと」
「ああああ昨日片付け忘れてた!!」
「あ、こっちにも写真がある……これは家族写真みたいですね。この大坪さんも可愛いー!!」
「こら相田!!」

お盆を手にしたまま、顔を真っ赤にした大坪が大きな足取りでやってくる。こんなに取り乱している大坪はリコにとって新鮮なものだった。こんな表情もするんだ、なんてしみじみ思いながらも新たな一面を見れたことに胸を躍らせる。

「相田、そろそろ写真はやめてくれ……」

嬉々とするリコに、こっちは恥ずかしいんだぞ、とたじたじな表情を浮かべる大坪だったが、リコから写真立てを取り上げるようなことはしない。お盆によって手が塞がっていたというのもあったが、おそらくリコに乱暴なことはしたくないのだろう。

「とっても可愛いですよ?」
「んなわけないだろ」
「そんなことありますー。あ、これは何ですか?」
「――っと、それはダメ」

パシンと音を鳴らしながら、リコの手首を大坪が捕まえた。
彼女のその手に握られていたのは、赤を基調とした千代紙に包まれた筒だった。
リコは驚きを隠せないまま、顔を上げて大坪を見やる。
筒は、写真立てと同じく机の上にあったものだ。それを何気なくリコが手にした瞬間、大坪が咄嗟に反応した。
恥ずかしい、やめてくれ、と嘆いていた写真立てに触れてもこのように止められはしなかったのに。赤い筒は、大坪の手によっていとも簡単に奪い取られてしまう。お盆は器用に片手で支えられていた。
なんだ、お盆を持ってても止められるんじゃない。そう思うのと同時にふつふつと湧き上がってくるのは疑問だった。

「……ごめんなさい。それ、大坪さんの宝物でしたか?」
「あ、まあ、そんなとこ」

ずきりと胸が痛んだのは、調子に乗って彼の私物を勝手に触ってしまったこと。けれど、何よりも大きかったのは、彼が曖昧な返事をしてきたことだ。

(……私に知られたくないほどの、宝物?)

誰からか貰った物?それなら相手は誰?私の知らない人?女の人?だからそんな風に気まずそうに視線を逸らすの?

あんま人の物を勝手にいじるなよ、と優しい口調でリコに注意した大坪は、お盆と赤い筒を持ったまま小さなテーブルの方へ向かっていく。

「……ごめんなさい」

その背中に向かって、力のない、小さな声が零れていく。リコの声色に気付いた大坪が振り返った気がした。そのことに気付かない振りをして、リコは彼に背を向けてしまう。
手にしたままの写真立てを元の場所に戻した。
机に手をついて、幼い頃の大坪に目を向ける。

(……私の、知らない大坪さん)

人差し指で彼をなぞれば、ガラス越しの写真が少しだけ曇った。
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