黒子のバスケ
□臆病者たちの恋《太陽の話》
1ページ/1ページ
不器用で
情けなくて
臆病で
そんな恋をした。
***
「じゃ、また明日な」
「はい」
また明日。そう返して背中を向ける黒子を、火神は少しだけ見届ける。黒子は知らないだろうが火神は複雑な気持ちを抱えながら毎回こうやって見送っている。人混みに紛れていく黒子を見失うことはない。
ーーホント、女々しいな俺。諦めろよ。
そう自分に言い聞かせても、この想いは消えることはない。何度も、何度も。諦めようとした。けれど、結局は出来ずに終わってしまう。惚れたら負けだというが、その通りだ。勝てた試しがない。と、いうかそもそもが負け戦なのだが。
部活終わりにマジバに行って、いつもの別れ道で、いつものようにあいさつして。そして少しだけ振り返らない背中を目を細めて見つめる。
いつもなら。いつもならそうなのだ。
ただ、今日の黒子は何かが違ってた。
なにがって言われると正直言葉に詰まる。それでも何かが違ってた。おそらく、雰囲気とかそう言われるような何かだ。
その違和感が知りたくて、少しだけ呼び止めようとした。
けど、やめる。
踏み込めない。
踏み込んではいけない。
人と人の間に必ずある境界線。そのラインいっぱいに、ギリギリのところで火神は立っている。
ここまでだ。
ここから先を踏み越えることができるのは黒子が心を許した者だけ。
見つめる先でバスケ部の男子高校生としては華奢な背が、ある程度遠ざかっていく。それを目処に火神もまた、彼と反対方向へ歩きだした。
***
己以外の家族が居ないマンションの一室に帰宅した火神は鍵を開け、玄関に身体を滑り込ませる。
靴を脱がないまま立ち尽くした後、脱力したように身体をドアに凭れさせ長く息を吐きながらズルズルとしゃがみこんだ。
電気一つ付けていない今の状態で視界は真っ暗。しかし動く気にもならない。
じっと、何処ともわからない空を睨み付け、目元に力を込める。眉間には皺が寄っているだろうが、こうしてないと何かが緩む気がする。暗闇の空間の中、家電製品が作動しているヴーンという音だけが聴こえた。
しばらくそうしてから、やけに重たく感じる右手を持ち上げる。先ほど黒子の背に伸ばしかけた手。それをじっと見つめる。
その手を緩慢な動きで左胸に持っていって、ぎゅっと服ごと拳を握りしめた。
苦しい。
胸が、痛い。
この行き場のない想いをどうしたら良いものか。
こんなにも焦がれて切ない気持ちを、どうしたら。
思考の行き着く先。
頭を占めるのは先ほどまで共にいた黒子のことだ。
火神は黒子が好きだ。
恋愛の対象として。
そういう己の気持ちに気づいたときは結構すんなりと受け入れられた。自分でも意外なほど自然に。好きになったのが男だったというだけの話だと。
世間からすればそれが異常なのかもしれないが。
しかし、その黒子にも好きなヤツがいるようだ。
唯一、彼を『テツ』と呼ぶ人物。
過去の相棒。
過去の“光”を。
断言できないのは黒子の口からそれについて聞いたことがないから。
それでもわかってしまった。
そいつの話をするときの声のトーン、微笑み、何よりも空を写したようなその瞳が雄弁に語る。
そして相手も黒子のことが好きだ。こちらも直接聞いたことはないが、見てればわかる。
つまりは両思い。
けど、恋人だったとかではなかったはずだ。
これは断言してもいい。
なぜ確信できるのかと言えば、あいつらは同じ瞳をしているからだと答える。
俺もあの瞳をしてるはずだから、わかるのだ。
伝えたくて、伝えられなくて。
もどかしさと愛しさを合せ持った、そんな瞳を。
けれど、
静寂の中、喘ぐように、それでいて重く吐き出すように乾いた声が漏れた。けれど口端は自嘲の形に歪む。
どうして。どうして、好きになってしまったんだろう。こんなに辛いものならば、いっそ、忘れてしまいたい。でもそれをさせてくれない。酷いヤツ。踏み込ませないくせに惹き付けて、俺のことを離さない。
「俺は、諦められねぇよ。」
一瞬。ほんの一瞬だけ。
ピンッ、と張り詰めていた気がわずかに緩んだ。
気付いたときには、もう遅い。
“ぱたっ”
一滴。
静かに、
密やかに。
慈雨のように降ったそれ。
落ちる音がして、気がつけば頬に雫が伝っていた。
微かな音だったはずなのに、無音なこの空間では大きく聴こえる。
泣いているのか、と自覚できたのは頬を伝う温度が中途半端なあたたかさを知らせたからだ。
それを隠すように目元を右の手のひらで覆った。
自分を嘲笑ってやろうにも口角がなかなか持ち上がらない。変に歪んだ口元は、苦し気に引き結ばれていた。
「…カッコ悪ぃ」
呟いた言葉は掠れていて、普段の彼の声とは思えないほど弱い。
こんな思いまでして、それでも好きなんて。
あんなに、触れられる距離にいるのに。
どうして届かないのだろう。
――否。
火神は違う、と胸中で首を振る。
届かせる気はない。
黒子の気持ちがわかる。
同じ想いを持っているから。
だからこそだ。
だからこそ、この想いは伝えられない。
伝えるべきではないのだ、きっと。
愛しい、愛しいと、どんなにこの気持ちが己の中で暴れまわったとしても。
この先、一生この想いを知られなくても。
それでも。
ずっと俺はアイツが好きなのだろう。
それが何より苦しいことだった。
***
不器用で、
情けなくて、
臆病で。
そんな恋をした。
不毛かもしれないけど、
諦められない。
そんな、恋をしている。
堕ちる音は
止まる気配をみせない。
このぬるい温度が
俺とアイツの
関係性に思えて
やるせなかった。
――太陽は、月に焦がれる。