パラレル飛躯二次創作

□引きこもり女とストーカー男
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木曜の7時、また彼は私にコンビニ袋を手渡した。私は苦笑して文句を言った。
「その時欲しいものを適当に買うのが好きなんだけど。」
「行くぞ。」
 何も聞いてくれない。私の手を強く握る彼の手は、ゴツゴツしてあたたかい。
 
 川辺の土手に座って私達は秋の夕暮れの穏やかな水面を眺めていた。ふたりとも何も話さなかったし、お互いを見ることもしなかった。ずっとそうしていたかったのに、彼は急に私の方に向き直った。彼は口数が少ないけど、彼の大きな目は言葉より多くを語る。今日の彼の目は優しかった。
「名前教えてくれないか。」
「・・・教えない。」
「なぜ?」
「どうしても。」
「・・・じゃあ、なぜ外出ないのか教えてくれないか。」
 私は顔をこわばらせた。彼は慌てて言った。
「・・・いや、別に今のままでもいいんだ。1週間に15分間会えるだけでいい。けど・・・もし何か困っているなら、力になれるかもしれない。」
「困ってることなんかない。私は今の生活に満足してる。引きこもりで何が悪いの。」
「・・・そうだな、悪くはないかもな。けど俺は何か引っかかる。」
 カッとなった。
「あなたに何がわかるの!あなたなんてただの気持ち悪いストーカー男じゃない!!関係ないでしょ!!」
 彼の大きな目がさらに大きく見開かれた。
「だいたいストーカーなんてする人、相手の立場に立てない利己的な人間のクズよ!!自分のことしか考えられないんでしょ!?最低!!あなたなんて大嫌い!!」
 彼はしばらくそのまま私を見て黙っていた。ふっと私から目をそらした。




 1週間後の木曜、彼は来なかった。ひとりでコンビニに行き、マンションに戻って、私はつぶやいた。
「あのストーカー男が来なくなってせいせいした。」
 胸の痛みには気づかないふりをした。




 次の木曜に、彼はいつもの場所にいた。私を見て、きまりの悪そうな顔をした。ゆっくり近づいてきて言った。
「すまない。また来た。」
 うなだれている様子を見ると、かわいそうになる。
「俺、どうしてもあきらめきれないんだ。馬鹿だろ?」
 ・・・はっきり言ってすごく馬鹿だ。
「だけど、最近やっと気持ちが通じ合ってきたように、俺は思ってた。違うか?」
 突然で私は何も言えなくなったけど、やっと「違う」と呟いた。
「待つことは俺は全然辛くない。今日もしかしたら会えるかもしれない、それだけで良かった。」
「・・・待たないでって何度も言ってるじゃない。私があなたのこといつか好きになるかもしれないって思ってる?そんなこと絶対ない。」
「だけど俺は好きだ。」
 胸が痛くなった。
「私はあなたのこと嫌いだから。もうやめて。」
「自分でもどうしようもない。」
「いい加減にしてよ!」

 初めて私はマンションに引き返した。エレベーターの中でひとり、壁にもたれながら大きく深呼吸をした。まだ胸の鼓動がおさまらなかった。手に汗がにじんでいた。私にどうしろっていうんだろう、無理なものは無理なのに。私だって彼のことが好きだ。多分、ずっと好きだった。けど週に15分しか会えないなんて付き合いがうまくいくわけがない。彼はそれでも構わないと言うが、まだ若い彼は熱に浮かされてるだけだ。彼には何も話せない。今まで積み重ねてきたものが崩れてしまう。

 部屋に戻ると祖母が面白いものを見つけたという顔で嬉しそうに、ベッドの中から私を見た。いつも木曜の7時は祖母はお気に入りのテレビ番組にかじりついているのに、それさえ今はどうでもいいみたいだ。
「その顔は、男とケンカしたね?」
 舌なめずりするような声に私は青ざめた。
「最近どうもお前の様子がおかしいのには気づいていたよ。えらく上機嫌だったり、頬を赤らめていたり、ぼーっとしたりしてさ。私はすぐピンときたね、ああ、男が出来たんだって。」
「・・・違う。」
「違うもんかい。それで今度は男と喧嘩したんだろ?男なんてロクでもないって散々言って聞かせてお前を育ててきたのに、なんてザマだろうね。お前の母さんもしょうもない男と一緒になって、しまいには早死にしてしまった。お前も一緒だよ。器量のいい女は男にちやほやされて、すぐぽーとのぼせあがって、分別なんてありゃしない。愚かな女だよ、お前も。」
 体が震え始めたのが自分でもわかった。頭に血が上って、気が遠くなってきた。息が上がった。とにかくその場から逃げ出したくて、自分の部屋に駆け込んだ。
 
 深呼吸しようなんて余裕はなかった。激しい怒りの中で、私は祖母が早く死んでしまえばいいと初めて思った。本気だった。もう危ないと言われて寝たきりになった祖母は、以来8年間寝たきりだけどピンピンしていた。私は祖母のために自分の20代の人生を随分犠牲にしてきた。ずっと孤独だった。そのことを考えないように努力してきたけど・・・もう限界かもしれない。心の底から祖母が憎かった。
 ベッド脇に座り込んでいると、涙が膝に落ちた。やっと我に返って、自分を恥じた。死んでしまえばいいなんて・・・私は恐ろしい孫だ。ゆっくりと深呼吸して自分に言い聞かせた。もう考えるのはやめて平静を保とう。彼のことも・・・。
 彼と過ごした短い時間はたったひとつの幸福な夢だった。だけど私には現実がある。夢からはいつか、醒めなければならない。



 1週間後の木曜午後7時。もう11月で、だいぶ寒々しく暗かった。彼を見つけると、彼女は自分から彼に向かって歩いてきた。もちろんそれは嬉しいのだが、彼女の顔がやけに険しく緊張していて、彼は嫌な予感がした。
「話があって来たの。話したらすぐ戻る。」
「話・・・?」
「私もう、部屋から一歩も出ない。木曜の外出もやめる。」
「・・・何言ってんだ。」
「あなたに会いたくないから。・・・さよなら、飛影。」
 言い捨てて踵を返し、それきり彼女は戻ってこなかった。後には呆然と立ちつくす彼だけが残された。



 あの日以来、彼女は本当に全く姿を表さなくなった。俺は半年間は毎日待っていたが、ここ半年は行ってない。もうあの日から1年が経っていた。これで良かったんだと今は思うようにしている。彼女のことは片時も忘れたことがない。けど彼女がああしてくれなかったら、往生際の悪い俺はずっと通いつづけただろう。あきらめることなんて到底できなかったし、自分を止めることもできなかった。本当に少し狂っていたのだと思う。彼女と気持ちが通じ始めたと思っていたが、それだってストーカー男の勘違いだったかもしれない。彼女の名前さえ教えてもらえなかった俺は、彼女の苦しみも話してもらえなかった。何もしてあげられなかった。迷惑かけただけだ。
 最後に彼女は初めて俺の名前を呼んだ。悲しい目をしていた。もう終わったことだ。

 仕事が終ったのが午後6時。デスクを片付けて会社を出た。寒風が吹き始めたビルの前に懐かしい人が立っているのが目に飛び込んだ。その人は俺を見てビクリとし体を硬くしたが、震える声で言った。
「会社の名前と場所聞いたの覚えてて、それで・・・。」
 約1年ぶりに会ったその人は、白のTシャツとデニムにトレンチコートを羽織り、本当にきれいだった。ためらうように続けた。
「私の名前、躯っていうの。・・・今度は私がストーカーみたいだね。」
 こんなとき、何て言ったらいいんだろう。俺は気の利いた言葉ひとつ見つからなくて、黙って彼女の手をとった。
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