パラレル飛躯二次創作

□取り憑かれ
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 あの日から俺は女の家に入り浸っている。とは言っても仕事があるし遠いので毎日会えるわけではないが、時間の許す限り睡眠時間を削っては足しげく女のもとに通う。
 女は果樹園の隣の築100年くらいは経ってそうな古い民家に住んでいる。今にも崩れそうなお化け屋敷みたいなあばら家で、天井は低く囲炉裏さえあった。家が傾いているから扉もきちんと閉まらない。ここはもともと彼女の祖母が住んでいたらしく、彼女もずっとここで育った。「建て直すか引越すかしないのか」と尋ねると、「ここでいいの。ずっとここにいるからいちばん落ち着くの」と答えた。こんなとこに女ひとりで住んでいるなんて、危なっかしくて仕方ない。俺は彼女が心配で気が狂いそうになった。
 彼女の名は躯で、歳は俺よりひとつ上だった。彼女は相変わらずいつも裸足で、俺はあの可愛い足が傷つかないかと毎日ヒヤヒヤしている。洋服だって似たような色と形のワンピースを数枚持っているだけだ。特に何かの仕事をしているわけでもなく、学校に通っているわけでもない。果樹園の手入れをし、時には収穫物を売りに行き、それ以外の時間は散歩をしたり墓の手入れをする。誰かと接することはあまりなく、高齢化した人気のない田舎の村で、そうやってひっそりと静かに暮らしている。彼女の父親は資産家だったため、遺産が相当あり生活には困らないらしい。また彼女の質素な生活ぶりでは金なんてほとんどかからないだろう。
 
 夜の彼女は素直なのに、昼の彼女は嘘つきだ。隣町の雰囲気のいいレストランを予約してやっても、ちっとも喜ばない。「今日は体調が良くなくて」なんて言って断る。ついさっきまであんなに元気そうに果樹園の中を駆け回ってたくせに。
 俺の部屋に来ないかと誘っても、一度も来てくれやしない。「遠くに行くのは気後れする」などと言う。まだそんな歳でもないだろうに、俺にはわからない。
 俺が少ない給料はたいて買った指輪だって、「ありがとう」と言って一応少し笑ってはみせたが、一度もはめずに引き出しにしまわれたままだ。
 彼女は薬を飲む。毎日決まった時間に白い錠剤を。「頭痛薬なの」と言っていたが、それが精神安定剤であることを、うすうす俺は勘付いている。
 彼女は決して笑わない。いや正確に言うと「本当には」笑わない。少し口角を上げたり目を細めたりして、笑うポーズはとる。だけど彼女の瞳はいつも悲しい色を湛えている。

 俺が会社をやめてこっちで仕事を探して一緒に住みたいと言ったとき、彼女はさすがに驚いた顔をした。きれいな目を大きく見開いて、「何で?」と喘いだ。「少しでも長く一緒にいたいから」と答えたら、「今だってこんなにいつも一緒にいるじゃない」と言う。「一分一秒でも長く一緒にいたい」と俺が言うと、寂しそうな目元が少し緩んだ。
 こんな田舎で仕事を探すのは苦労したが、なんとか建築関係の仕事を見つけて彼女の家に引っ越した。給料は幾らか減ってしまったがそれは構わない。彼女と一緒にいると俺はどうしようもなく幸せだ。
 俺達は古く陰気な和室の擦り切れた畳に、粗末な布団を敷いて寝る。肌を重ねれば重ねるほど、彼女を遠く感じた。

 何度目かのプロポーズの後、彼女は「話さなきゃならないことがある」と言った。「でも話したら、あなたは私から離れていってしまうかもしれない」、そう寂しそうに笑った。「そんなことは決してない」と俺が言っても聞いてはいないようだった。目を伏せてゆっくりと話し始めた。
 彼女は母を幼いときに亡くした。それから祖母とふたりでずっとここに住んでいた。外国で事業をしていた父親は、年に一度だけ会いに来た。彼女は父親を愛していたが、彼女が年頃になると父親は会いに来るたび彼女に「酷いこと」をした。父親は4年前に亡くなったが、彼女の傷は未だ癒えなかった。

 彼女は今俺の隣で、新しい命が宿るお腹を撫でて、幸せそうに微笑んでいる。
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