その他彩雲

□優しさよりも、もっと欲しいものがある
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藍色の空が薄く、靄を一刷毛塗った様な時分に彼は瞼を持ち上げた。

早朝特有の澄んだ空気に冷たさを感じて我に返る。

本来隣にある筈の温もりがない。ただそれだけが彼を焦らせた。

「起きたのですか。凜」

返事はない。空虚な部屋の中に声が篭る。

不自由な脚を無理矢理動かし、彼は顔をしかめた。

馴染んだ杖を手に取り特別仕様の寝台から降りる。

朧げだった意識は既に焦燥で彩られていた。

「凜。返事をして下さい」

隣の部屋の扉を叩いても年下の妻はいない。

屋敷内を捜す足音が自然と早まる。鼓動と共に。

かつかつと杖が床をいたぶる。

「凜!」

「はい」

やっと聞こえた求めていた声の持ち主は変わった形の水差しを手に梨の樹に水滴をばらまいた。

「どうかなさいましたか、旦那様」

凛がこちらを振り向き、柔らかく笑む。
濃く流れた髪が揺れる。

悠舜は軽く唇を噛むと自分より少しだけ背の低い凜を抱きしめた。

潰さないよう気をつけながら、杖を持たない方の片腕でしっかりと。

渋い顔で悠舜は言葉を吐き出す。

「凜。好きです」

「はい」

「ずっと愛してます。何処にも行かないで下さい」

まるで子供の我が儘のような愛の約束に、凜はそっと彼の肩を撫でた。

「はい」

「側にいて下さい」

「はい。手を引いてくださるのなら、凛は何処へでもついていきます」

悠舜は答えず肩口に顔を埋めた。

背中に回った指に自分のを絡めつつ、凜が微笑んだまま問い掛ける。

「もう朝餉をお取りになりましたか。まだなら、一緒に食べたいです」

「そうですね」

優しさにどうしようもなく甘えてしまう自分が信じられない。

悠舜は温みを感じる肌にそっと唇を落とした。
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