夢小説【短編】

□ペース
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「だからお前は、何度言えば締切を守るんだ」

ギリギリでなまえの原稿を印刷所へと持ち込み
関係各所に頭を下げまくった俺はその足でなまえの家に来ていた。
そして今は恒例の反省会中だ。


「ごめんなさい…」

俯いたなまえが申し訳なさそうにポツリと言葉を発する
恋人であるなまえの事はもちろん大切だが、
甘やかすだけが愛情では無い筈だ。
叱る俺だって辛いが、ちゃんと言って聞かせないとなまえの為にならない。
全く…何時からこんな母親のような境地に到ってしまったのか。


「悪いと思っているならスピードを上げろ。毎回毎回、お前は俺の胃に穴を開けたいのか?大体お前は…」





*





説教を始めてかれこれ30分。
なまえは正座をして下を向いたまま全く言葉を発しなくなった。

(コイツ…この体勢で寝てるんじゃないだろうな?)
まさかとは思ったが、お互い体力の限界まで来ているのであり得ない事では無い。
(全く…)

「おい、聞いているのかなまえ」

一際声を大きくして問えば、
なまえはビクリと方を震わせた後
恐る恐るといった感じでゆっくりと顔を上げた。
どうやら寝てはいなかったようだが、
なまえの顔を見て俺は言葉を失った。

なまえの大きな瞳からは
次々と零れ落ちる大粒の涙…。

なまえは今までどんなに叱っても泣いた事が無かったので
思わぬ反応に思わずたじろぐ。
そして俺は急激な罪悪感に襲われた。

「なまえ…」
流石にキツく言い過ぎてしまったのかもしれないと
眉根を寄せて謝ろうとすると
先になまえが唇を薄く開き言葉を発した


「トリ…私の事嫌いになった?」

「え…?」

思いもよらないその問いに驚いていると
なまえは更に言葉を続けた

「毎回迷惑かけて…今回だって私のせいで沢山の人に謝らせて…」

泣きじゃくりながら言うなまえに胸の奥を締め付けられる

その涙は、俺に怒られたからではなくて
俺に嫌われたかもしれないと流しているのか?

(反則だろ…)

思わず緩む口元を押さえながら
俺はなまえの頭に手を置いて
出来るだけ優しい声で話し始めた

「確かにこれまで幾度となくなまえの締切破りのせいで迷惑を掛けられてきたが…
それでお前を嫌いになる事なんて絶対に無いよ」

「…本当に?」

驚いた表情で俺を見るなまえに「あぁ」と短く返事をすれば
なまえは嬉しそうに微笑んだ。
その表情を見て安心もしたが、
それと同時に『甘やかし過ぎてはいけない』という理念も思い出す。
やはり、怒るべき所ではちゃんと怒っておかなければとなまえに向き直れば
なまえはおずおずと口を開いた。

「じゃあ…嫌いになってないならキスして?」

「え…」

今正に再び怒ろうとしていた所なのに
思い切り出鼻を挫かれてしまった。
怒らなければいけないとは思うがキスもしたい。
心の中で葛藤を繰り返しながらどう返事をするか迷っていると
なまえの表情はどんどん不安な表情へと変わって行き
今にも泣き出しそうな目をしている

「分かったから…」

俺は眉間に皺を寄せて小さく溜息を付き
華奢で柔らかなその体をぎゅうと抱きしめれば
甘い香りがふわりと鼻をくすぐる。


(完璧に…なまえのペースだ…)


柔らかいなまえの唇に自分の唇を重ねながら
俺は一人、幸せな敗北感に浸っていた。

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