BLUE ROSE 2
□41. 6月 負ける気なし
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屋敷に帰る車中、名前は先程の出来事を思い返していた。
兼松雅信。
噂には聞いていた男に初めて会ったが、正直多少の威圧感を覚えた。
あれが跡部景佑が代表をしている証券会社の幹部で、跡部景吾の教育係。
「お嬢様」
「え?」
「お嬢様、大丈夫ですか?」
隣に座る真木山に何度も声をかけられていたようだが、名前は今やっと気付くことができた。
それほど考え込んでしまっていたらしい。
「すみません。なんですか?」
「いや、塞ぎ込んでいるようでしたので…」
「…」
「兼松様は、ああいう方ですから、気になさらない方がいいですよ」
名前に付く前、跡部景佑の護衛をしていた真木山は、兼松の人間性をよく知っている様だった。
「真木山さんは、何年景佑さんの護衛をされてたんですか?」
「6年です。なので、景佑様の右腕の兼松様とも必然的に6年顔を合わせていました。とても頭が切れて先見の目があるので、証券会社に無くてはならない方なんです」
「会社を守ってきた人なんですね…」
会社を守るため。
名前と跡部の交際は、そこらのカップルとは違い会社の命運を分ける話なのだ。
「…大丈夫ですよ。私が苗字家の人間ってことは、色々言われるってことです」
「…」
「強くなるって決めたんですから」
名前は真木山に笑顔を見せた。
そう。強くなると、跡部に言ったばかりだ。
その言葉が嘘にならない様に、名前はへこたれるわけにはいかない。
「そうですね。それに先ほど、去り際におっしゃった言葉。とてもかっこようございました」
「あれは。景吾さんとの関係を言われて、ついムッとなって」
「流石お嬢様、天下の兼松さんに対しても肝が座っていらっしゃる」
「もう…」
「私は、お二人の味方ですから」
「…真木山さん、ありがとう」
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家に帰る頃には日が沈みかけていた。
クラシック専門店で思っていた以上の時間を過ごしていたらしい。
「…ふぅ」
自室に入って制服のままベッドに寝転がった。
サラリとした夏用のシルクのシーツの上で大の字になり、天蓋を眺める。
「不利益な事があれば、全力で排除する…か」
兼松の言葉が浮かんで、小さく口ずさんだ。
しかしそう言われても仕方がないのを名前も理解している。
兼松はそれが仕事だからだ。
だが、苗字グループが回復しているお陰で、跡部との関係を兼松に大きく反対されなかったのは幸いだった。
(そういえば楽譜も買えなかったな…)
あのクラシック専門店に行ったのもコンクール用の楽譜を手に入れる為だったが、結局楽譜は買わずに帰ってきてしまった。
また日を改めて出直すしかない。
まだなんの曲にするかは決まっていないので、部屋にある本棚をベッドから眺めた。
そしてゆっくりベッドから降りて、本棚から楽譜をごっそり取り出し、再びベッドの上に乗ってそれらを広げた。
暫くしてドアに誰かがノックをした。
コンコン!
「名前、居るか?」
ガチャリと返事を待たずドアが開けられた。
案の定、今帰宅した跡部なわけだが、名前の部屋に入るとその光景に少し驚いた。
「…お前ベッドの上凄いことになってるぜ」
「あ、景吾さんおかえりなさい」
「ただいま。…楽譜か」
キングサイズのベッドの上は広げられた楽譜が散乱し、名前は楽譜をペラペラとめくっていた。
「コンクール用の曲に迷ってて」
「ふーん、もうそういう時期なのか」
「そろそろ決めないと焦っちゃいますから。あ、何か用でもありましたか?」
見終わった楽譜を閉じて、ベッドのすみに重ねて置いていく。
跡部は制服のネクタイを緩めながら、ベッド横に置かれたデカンタからコップに水を注いで飲んだ。
「別に。ただ名前に会いたかったから」
「つい数時間前にも学校で会ったじゃないですか」
「二人きりになれねぇだろ」
ネクタイを解いて名前の座るベッドに放り投げた。
その無造作な扱いのネクタイを名前が拾って、丁寧に巻いて小さく畳みながら跡部を見上げた。
「ねぇ景吾さん」
「ん?」
「…今日の帰り、兼松さんに会いました」
「ごふぉっ!」
もう一杯水を飲んでいた跡部が名前の言葉にむせ返った。
口元に溢れた水を手で拭き取って、コップを机に置いた。
「兼松って、ウチの幹部の兼松さんのことか?」
「はい。クラシック専門店でバッタリ。私は初めましてだったんですけど、向こうは私を知ってたみたいで。それに真木山さんも元は景佑さんの護衛でしたからお互い顔見知りで」
跡部はたいそう苦い顔をしていた。
兼松に会って欲しくなかったかのようだ。
「…景吾さんのお仕事の先生なんですよね?」
「まあな。仕事を色々と教わってる。だがまさかお前と接触するとは」
「そんなに嫌ですか?」
「…俺達のこと、言われただろ」
兼松がどういう人間かを知っている跡部は、名前と接触した際に何を話したかは大体見当がついているようだった。
名前自身、兼松の言葉にさほどダメージはないが、跡部にとっては大事な先生だ。
そんな先生の言葉を言いづらくて、名前は口ごもる。
「…と、特に何も」
「…」
名前が僅かに視線を逸らすと、跡部から強い視線を感じていたたまれなくなった。
逃がしてはくれなさそうだ。
「…えっと…私達は普通じゃないから、私達の交際はみんなの注目の的だって。それに、兼松さんは跡部側の人間だから、もし不利益な事があれば、全力で排除するっておっしゃってました」
「はぁ、あの人は…」
兼松が合理的で、会社を1番に考えてくれているのは長所でもあるが、それは跡部グループから見たらの話で、他所の会社から見れば恐ろしい人間だ。
名前は他所の会社の人間なわけで、その恐ろしい面が際立ってしまう。
「悪かったな、ウチの人間が俺達の仲を口挟んで」
「いえ、私そんなに気にしてませんよ。兼松さんも会社を守るのが仕事ですし、言われたのも当然だなって」
「当然?」
「だって、兼松さんの言葉、全部真実ですもん。私達が普通の恋人じゃないってのも真実」
「…」
「でも少しムカついちゃって、景吾さんとずっと仲良くしますって大声で言っちゃいました」
へへっと笑って、片付けきれていない楽譜も全部閉じていった。
ベッドの上がだいぶ綺麗になる。
「フッ、お前もなかなか言うな」
「兼松さん怒ってなかったら良いんですけど。ごめんなさい、景吾さんの大切な先生なのに」
「そんな事であの人は怒らないし、先生だからといって俺達の仲に介入してほしくない。それよりも」
ギシリと跡部はベッドに上がり、ゆっくりと名前を押し倒してその上にまたがった。
近くに置いていた楽譜がシルクのシーツの上をサラリと滑る。
「俺とずっと仲良くするなんて、嬉しいこと言ってくれるぜ」
「…よかった。ずっとなんて、重たいと思われたらどうしようかと思いました」
「お前だから嬉しい言葉だ」
「ん…」
名前にキスをしながら両手を絡ませる。
ベッドの上というシチュエーションがそうさせているのか、普段より情熱的なキスが続き、身体の芯が火照っていく。
「…ね、景吾さん」
「ん?」
唇を微かに触れさせたまま、会話をする。
「私、景吾さんとの交際を、誰にも反対されないように頑張ります」
「フッ、どうやって?」
「分かんないですけど…今は、ピアノ、かな…」
「ああ、頑張れ。俺はそんな周りの障害があったことすら忘れる程、お前を守る男になるさ」
「もう十分守られてます」
「俺はまだ足りないんだ」
「もう」
再びキスをしながらベッドへ沈んでいく。
2人はミカエルが夕食で呼びに来るまで、ずっと側に居続けた。
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