BLUE ROSE 2
□46. 7月 違う道
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夕方になっても気温は下がらずにジリジリと西日が玄関ロータリーに照っている。
不快指数の高い湿度があるというのに、跡部はまだ屋敷に入らず、その場で真木山に話しだした。
昨日のように、蝉の鳴き声が頭に響く。
「…あいつの婚約者が誰か、正之さんと別れる前に聞いたよ」
「え?」
真木山は少し目を見開いた。
「一体どこの誰なんです」
「なんでお前が躍起になってるんだ」
グイッと迫るような聞く姿勢に、跡部は軽く手を払った。
真木山はずっと婚約者の正体が気になって仕方がなかった様子だ。
「まあ、家柄は結局教えてくれなかったが、その人が幼い頃から正之さんと親しくして、苗字グループが低迷していた時も、ずっと見限らず友人でい続けてくれた優秀な若き実業家らしい。歳は俺たちより5つ上で、名前が成人するまで結婚は喜んで待つと言ってる」
「…そんな相手にお嬢様を譲ったんですか?いつもの景吾様だったら譲るわけないのに」
「ほんと相変わらず、お前は俺様に遠慮のねぇ言い方しやがるぜ」
跡部は苦笑いをした。
名前のボディーガードをしてから、真木山は名前第一主義となって跡部へはなかなかに遠慮知らずとなっている。
名前専属が解除されても、それでも気持ちはそのままだった。
詳細を何も知らない真木山が、今回ばかりは少し憎い。
「…景吾様のお父様には、今回の件、ご報告されたんですか?」
「そりゃあ、な」
跡部は昨日のことを思い出して、そして苦い顔で頷いた。
それは昨日のこと。
正之から土下座で娘と別れてほしいと懇願された直後、その部屋を出た時に父から電話がかかってきた。
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タイミングが良すぎる着信に跡部は身構えた。
そして恐る恐る通話ボタンを押す。
「もしもし…」
『景吾か?父さんだ。少し会社のことで話したいことがあるんだが…』
イギリスに居る父はいつもの調子だった。
今さっき、日本では複雑な状況になっているのに、まさか同じ地球に住んでいるとは思えないほどの温度差を感じる。
そんな中跡部は切り込んだ。
「そんなことより父さん。訊きたいことがあるんですが」
『訊きたいこと?なんだ?』
父は息子の質問に少しばかり興味有りげな声のトーンを上げた。
父の話だって仕事のことなので大切に違いはないが、跡部は正直そんなどころではなかった。
今さっき正之に聞かされた話が、頭を占拠している。
「俺と名前。将来は一緒になれないって本当ですか?」
『え?』
「跡部家と苗字家の人間は結婚出来ないって、分かってて俺達の応援していたんですか?」
早口気味に父に問い詰める声は、普段父には発しない声色だった。
父のことは尊敬してるし、信頼もしている。
名前との交際をあと押ししてくれたのも父だった。
だからこそ、別れる前提で応援していたとは思いたくもなかった。
純粋な応援だったと信じたかった。
跡部は父からの返事を待つと、状況を察したかのように景佑は落ち着いていた。
『…今屋敷に苗字正之が来ているんだね』
「はい」
『そうか…。言わせてもらえば、確かにお前と名前ちゃんの結婚が厳しいのは分かっていた。我々の家柄が大きすぎるからね』
やはり父は知っていた。
苗字正之の言うとおりだ。
「…知っていたんですね」
『ああ。交際だけならいいが、将来的には…』
跡部は目をつむった。
信じたかった父は、期待を外して、そして胸がとても重くなった。
息が詰まるほどだった。
「…先程、正之さんが名前に婚約話を持ってきました」
『そうか…実は正之から、苗字グループに似合った人を見つけたと、前から何となくだが聞いていた』
「父さん…」
『交際と、婚約はワケが違う。それに、お前たちはまだ引き返せる時期と正之は踏んでるだろう』
「引き返せる?」
『交際して4ヶ月も経ってないだろ。名前ちゃんも傷が浅くて済む。それにまだ若い』
傷が浅い意味を察して、跡部は眉間にシワを寄せた。
『苗字家の婚約には、流石の私も口出し出来ない。我々の結婚は、恋愛の延長線上にはないからね』
「…」
「その人と結婚した方が、名前ちゃんの演奏活動も、やりやすいってことなんだろうな」
信頼していた父でさえ、遠回しに別れた方がいいと言われている様に感じてしまう。
頭が重い。
「…分かりました。結局、何も知らずに俺達だけが舞い上がって付き合ってたってことなんですね」
『景吾待て。それでもお前は…』
「俺が訊きたかったのは…それだけです」
跡部はそれを言うと、父の返事を待たずに通話を切った。
電話を切ると、屋敷の廊下がとても静かに感じた。
まだ夕方前。
この階段を上がって少し行くと名前の部屋だ。
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あれから間もなく名前と別れた。
昨日一日で起きたこととは思えなくて、随分遠い日のように感じる。
「景吾様?それで旦那様はなんと」
「あ…いや」
昨日のことを思い出して、少しぼーっとしてしまったようだった。
真木山の声で我に返る。
「何てことない。いつも通りの父親だったさ」
ここ最近で親子としての距離が少し近付いたと思っていたのに、いくら財閥から出て行ったとしてもやはり彼も、その人間の血筋だったようだ。
それでも、今回のことは父のせいではない。
昨日起きたこと、決断したこと。
今考えても過去は変わらないことを、跡部は身を持って知っている。
自分なりに出した精一杯の答えだ。
「俺はいつだってベストな選択をしてきた。今回だってそうだ」
跡部はそう言い切ってから、屋敷の中へ入って行った。
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