BLUE ROSE 2
□50. 7月 あふれるような
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「景吾!久しぶりー!」
「…お久しぶりです」
美沙子は玄関で出迎えた跡部にハグをして、頬にキスをした。
エーゲ海へ来て3日目の午後。
跡部の母、美沙子が別荘へやって来た。
「何嫌そうな顔してるのよ!」
「いえ、あまりにも急だったもので…」
「だって日本に帰るよりギリシャの方が近いんだもの。それにやっと仕事が落ち着いたのよ!すぐに行動しなきゃ!」
美沙子は帽子を取って使用人に渡した。
すると跡部の横にいた名前とばちりと目が合った。
名前と美沙子の初対面だ。
跡部とは似つかぬ丸く大きな瞳が名前を見据える。
若々しいテンションの高さとパワフルなオーラに、名前は圧倒されそうになる。
「お、お母様、初めまして、苗字名前です」
冷や汗をかきながら丁寧にお辞儀をする。
今朝の電話事件の後だ。
尋常じゃない気まずさで今でも逃げ出したい衝動に駆られる。
「あなたが名前ちゃんなのね…」
「は、はい」
「景吾…」
「はい…」
美沙子は名前を見ながら息子に声をかけた。
「あなた名前ちゃんになんてことしてるのよ!」
「え!?」
跡部は目を丸くして母をみると、名前の首筋に優しく触れた。
「あなた女の子にこんな、こんな目立つ場所に痕残して!紳士としてどうかしてるわ!」
「母さん…?」
「名前ちゃん、ごめんねこんな綺麗な首に、息子がほんと女の子の気持ち分かってないのよ」
「え?え…?」
美沙子は跡部がつけたキスマークのことに怒っていた。
今朝の電話のことよりも、息子の行為を咎めるとは思いもよらず、名前はひたすらに動揺した。
「でもほんと…会いたかったわ名前ちゃん。噂は旦那の景佑さんから聞いてるわ。それと、景吾から写真もらってたけど会ったほうが何倍も可愛い」
「え、写真?」
「悪いな。名前を見せろとあまりにも煩かったから、両親に何度かお前との写真を送ってる」
「えー!なんですかそれ言ってくださいよ!」
跡部との思い出の写真は沢山撮ってきたが、一体どれを送っていたのか。
しかもそれらを跡部の両親へ送っていたとは。
初めて知るその出来事に、名前は少しムッとした。
「ほんと、会えて嬉しい。……本当に可愛らしくなって」
「以前…お会いしたことありましたか?」
「ふふ、昔にね」
「昔?」
「さ、早く入りましょ。荷物はまずはリビングに置いてちょうだい」
「…」
美沙子のペースに全てを持っていかれた2人は、ただただポカンとその場に立ちすくんだ。
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「ねぇ名前ちゃん。これなんか似合うんじゃない?」
「え、は、はい」
「やだ可愛い〜!じゃあこれはこれは?」
「あの、こんなに頂くわけには」
「遠慮しないで!名前ちゃんの為に買ってきたんだから」
美沙子が別荘に入ってすぐ、名前を独占し始めた。
イタリアで買い付けたというアクセサリーを大量に持ち込んで、名前につけさせながら1人大喜びをしている。
想像とは違い、とても明るく社交的な跡部の母に、名前は随分と肩透かしを食らっていた。
「母さんもういいでしょう。名前が困ってる」
「だって本当にずっと会いたかったんですもの」
名前を見る美沙子の目は優しく、その言葉が嘘ではないことを教えてくれる。
「今年の3月に景佑さんが日本へ行ったでしょ。あの時本当は私も行くはずだったんだけど、どうしても仕事を抜け出せなくて、それでこんな時期になってしまったの」
「ああ、なんか商談が入ったって言ってましたね」
「そうよ。そしたら帰ってきた景佑さんが名前ちゃんの話ばっかりして、本当に行けなかったの悔しかったんだから」
美沙子は可愛らしく口をすぼめた。
今日まで休みが取れなかったとは、余程多忙な日々を過ごしているらしい。
「ねぇ名前ちゃん。あの時景佑さんから聞いたから少しは安心したんだけど、あの後どう?」
「どうとは?」
「あの時苗字グループのこと、ある事ない事メディアが騒ぎ立てたらしいじゃない。辛い思いしたんじゃない?今は日本のメディアは大丈夫?住みづらくない?」
美沙子は名前の手を両手で握った。
日本のメディアは海外に住んでいるとよく分からない。
名前は首を横に振った。
「今はもう何も言われなくなりました。テレビ観ないのでよく分かりませんが、周りはザワついてませんし、護衛を付けてですが街を普通に歩けるようになりました」
「そう…ならいいんだけど。護衛はあの真木山さんらしいわね。優秀よね彼」
「真木山さんをご存知ですか?」
名前は少し驚いた。
「そりゃあ知ってるわよ。だって景佑さんの護衛6年もやってたんですもの。なに?彼は今回のバカンスには来てないの?」
「日本に置いてきました。今回は出来るだけ名前と二人きりが良かったので」
跡部がそう言うと美沙子は笑った。
「なによ〜真木山さんにも嫉妬してるの?彼30歳超えてるでしょ?」
「悪いですか」
「あら可愛い」
息子の一途な恋模様が垣間見れて、美沙子はまた笑った。
「でもまぁ、真木山さんが付いててもこれからも気を付けてね。苗字グループが回復してること、まだ世の中の殆どの人は知らないんだから」
「はい」
美沙子も苗字グループの現状を知っているようだ。
それに美沙子も跡部財閥で暮らしていて危険な目に遭ったことがあるのだろう。
名前への進言がなぜか嫌に説得力があった。
資産家や大企業の親族は常に誰かに狙われるのが世の常だ。
名前の身の心配をした美沙子だったが、また可愛らしい表情が出てきた。
「ね!あと景佑さんも正之さんも酷いわよね!私抜きで昨日まで色々と面白いことを企ててたみたいじゃない」
「面白いことをって…俺達にとってはかなりキツかったですけどね…」
「はい…」
思い出すだけでも嫌な汗をかく二大当主からのテスト。
面白いの度を越していたあの事件に名前と跡部は身を震わせた。
「よく知らないんだけど、景佑さんも正之さんも、二人のことを想ってやったことなんでしょ?結果上手くまとまったから良かったじゃない!」
「それは…」
「あの人たち昔からああなのよ。考え方はただの小学生だわ」
「私の父様とも仲がいいんですね」
「そうね。貴女のお母さんとも仲が良くて、昔からよく4人で遊んでたのよ」
「母様も…」
「ええ。私達4人は中学からの友達なのよ」
懐かしそうに語る美沙子を名前は黙って聞いた。
知らなかった親同士の繋がりを、名前も跡部も初めて聞くものだった。
「だから今不思議な気持ち。私達4人がそれぞれ結婚して景吾と名前ちゃんを産んで、そしてそんなあなた達二人が今関係を紡いでいる。こんなに濃いものになるなんてあの時は思いもしなかった」
「…」
「不思議だけど嬉しい」
「母さん…」
美沙子は跡部を手招きして、名前と両隣に座らせた。
そして2人の頭を引き寄せてこめかみにキスをした。
「二人共私の子供よ」
そう言われて名前の目にじわりと涙が浮かんだ。
陽だまりのような暖かさと、優しい香り。そして殆ど記憶が掠れてしまった母を連想させる懐かしい感触に、名前は一筋涙を流した。
「名前ちゃん…?」
「ご、ごめんなさい…」
涙を流した名前の目元に美沙子は優しく触れる。
その涙の理由を察しているように、名前の背中に手を回して優しく撫でた。
「私の事、本当のお母さんと思っていいのよ。名前ちゃんが私の娘になってほしいぐらいだわ」
「母さんやめてください。俺と名前が兄妹になってしまいます」
「結婚したら私の娘になるわ」
「み、美沙子さん…!」
「…そういうことですか。それ、昨日正之さんにも言われました」
「あら、正之さん流石分かってるわ!」
2日連続で互いの親から結婚を進言され、流石の跡部も苦笑いをして頭を掻いた。
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