Harry Potter

□あなたを待っていた
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その少年は生まれ落ちたときから、恵まれた部類に入る人生を送ってきていただろう。

心優しき父母、整った容姿、不自由のない暮らしぶり、誰もが羨むその人生に、欠落しているものなどありはしないかのように思えていた。

少年自身もそう思っていた。否、そう思うことを、物心ついた頃から自分自身に強いてきていた。

──その少女に邂逅するまでは。









夕暮れに染め上げられた無人の公園で、その出逢いは予知の囁きすらなく唐突に訪れた。

愛犬の散歩の道すがらそこを訪れた少年は、誰もいないと思っていたはずの公園に誰かが取り残されているのをふと目にして、不意に歩みを止めた。

赤の塗料の塗られたブランコのうちのひとつに、年の頃は大体同じくらいに見える少女が腰掛けているのが、遠目から見て取れた。



ゆっくりと近づいていくと、少女の輪郭が沈みかけの太陽のもとで露わになってくる。

長く伸びた赤毛はさほど手入れをされているようには思えず、ごわついているように見えた。

纏っている少し長めのオフホワイトのワンピースは洗濯を重ねたせいかくたくたで、誰かのお下がりであることが一目で分かってしまう。

うつむく顔もお世辞にも美少女と呼べるものではなく、良くて平凡なそれか、はたまたそれよりも見る者によっては下か。

どこにでも一人はいそうな、除け者の典型のような少女だった。



「─…おうちに帰らないの?」



気遣わしげにそっと少年が問うと、少女が過剰に肩を揺らして瞬時にして顔を上げた。

やはりお世辞にも愛嬌のある顔とは言えず、目をそらせば一秒後にはきっともう覚えてすらいないような、そんなつまらない顔立ちをしていた。

だが少年はなぜか目をそらすことができない。根が生えたようにその場に立ち尽くし、彼は息をのんだ。

──その、透き通ったエメラルドの瞳は。



「放っておいて。どうせ、帰っても誰もいやしないわ」



強がって言ってみせるも、少女の言葉の端には落胆の色が垣間見えた。

自分で言って自分で気分を害したようで、少女は小さく嘆息して気を紛らわすかのように脚をぶらぶらとさせ始めた。

エメラルドの瞳は目の前にのびる自らの影法師を辿り、鬱々として失望に沈んでゆく。



「誰も私のことなんか待ってないもの。パパもママも、お姉ちゃんも」

「──そんな悲しいこと、」

「言わないで、って?あなたに何がわかるのよ」



矛先は突如として沈んだ思考に割り込んできた少年に向けられる。

少女は怪訝に眉をひそめて少年の顔を仰いだ。

些か衝撃を受けた様子で目を見開く少年の顔立ちは、夕焼けによく映えてとても端整な造形をしており、纏う洋服も寸分の乱れすらなく。

リードにつながれたふわふわの毛をした真白の犬ですらも丹念に手入れをされていて、この犬のほうが自分などよりも余程良い扱いを受けていることだろうと思うと、少女は悲しくなった。



「─…放っておいてよ。私はあなたみたいな人とは違う。私の気持ちがわかるはずがないわ」



半ば八つ当たり気味に言って、視線を再び影法師へと落とす。

そうして影だけを見詰めて、自らの闇に沈むのだ。

長いことそうやって、少女は孤独を紛らわしていた。

今更誰に邪魔されるいわれもない。










「でも僕──、わかるような気がするよ」



静かな声に少女の肩がまたひとたび、小さく震えた。

少年は犬のリードを手放すと、少女の背後にそっと歩み寄ってゆく。

エメラルドの瞳の見下ろす先、ずっと見詰め続けてきた孤独な影法師にはじめて、もうひとつ別の影法師がゆっくりと重なった。

少女は、思わず息をのむ。



「……僕にはわかる。帰る場所のないつらさも、さみしさも」



背後から自分をそっと抱く少年の、決して重みをかけまいと気遣わしげに肩に回された優しい腕の感触がどうしようもなく、かつえた心に響いた。

わななく唇で、少女はもうひとつの影法師へと問う。



「…どうして、そんなことがわかるの。あなたみたいな恵まれた人に─…」

「今は恵まれてるかもしれない。でも──、そうじゃないときも、あった」



言葉にしてみてからはじめて、そうだったのかと少年は自覚する。

それは「そうだった気がする」という程度のもので、はっきりとは知覚できないおぼろげな過去のこと。

何が見えるわけでも、何を覚えているわけでもないのに。

少年には、その言葉が真実であるかのように思えてならなかった。

──そうでなかったら、この憐れで孤独な少女に、こんなにも心が共鳴することなどなかっただろう。



「私─…、誰もわかってくれやしないと思ってた──」



パタパタと、指の間から溢れた涙が影法師に向かって落ちていく。

か細く震える小さな肩を抱く腕に、かすかに力をこめて。

貰い泣きを堪えながら、影法師の頭が何度も頷いてみせた。



「──僕はきみを待ってた」



かすれた声で、少年が囁いた。

振り返った少女のエメラルドの瞳の端に浮かぶしずくを、指の腹でそっとぬぐって。



「……待ってた?…私を?」

「うん。きみを」

「どうして──?」

「どうしても」



なにそれ、と少女は擽ったそうに瞳を細めてみせた。

少女が初めて笑顔を浮かばせた瞬間だった。










幾重にも時を重ね、いつの日かとは立場を変えてしまっても。

またどこかで巡り逢おう。



──きみにまた、逢えますように。

今度こそきっと、誰よりも大切にするよ。








end.

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