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□Panorama
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コンパスで真円を描いたような月が夜空を渡りながら、人工的な光の粒子にあやどられた夜景を見下ろしている。
僕は父さんと母さんに挟まれるかのように、二人の間に立って、幾千もの星が地に舞い降りたかのような景観を眺めている。
母さんの手編みの手袋を着けていても、冬を門前に迎えたイングランドの街は凍てつくような寒さのため、手が悴んで指先が痛かった。
手を擦り合わせて、白い息を吹き掛ける僕を両脇から見下ろして、父さんと母さんがくすっと笑う。
「寒いのか?」
「寒いなー凍え死んじゃいそう。ねえ、パレードはまだかな?」
「そうねえ…あとほんの少しの辛抱よ」
僕の片方の手を父さんが取って、襟を立てた黒いロングコートのポケットの中に入れた。
それを見た母さんが、僕のもう片方の手を握って、白いフレンチコートのポケットの中に収める。
僕は、顔から火が出そうになりながら、二人の顔を交互に見上げた。
「父さん、母さん…僕だっていい年なんだし、こんなの恥ずかしいんだけど……」
「でもさっき、寒いって言っただろう?」
「そうよ。それにこうしていればあったかいでしょ?」
互いに同意を求めるように、父さんと母さんが顔を見合わせて、にっこりと笑った。
ふたつのポケットにそれぞれすっぽりと収まった手は、薪を焼べたばかりの暖炉の火元に翳した時のように温かい。
僕は、周囲に僕達三人家族がどう思われているかを気にして気恥ずかしく思いながらも、二人を見上げてそっと笑った。
父さんの、僕と同じストーングレーの瞳の表面は、水で洗ったばかりであるかのように、きらきらと輝いている。
そこに吸い込まれたイルミネーションの光が、散りばめられて瞬いていた。
「──魔法が無くても、こんな景色が観れるなんてな…」
「……素敵でしょう?…ルーモスの呪文なんて無くてもね、人はこんなに綺麗な景色を生み出すことができるのよ」
二人のひそやかな囁きは、まるで遠い追憶に耽っているかのように、優しさと懐かしさに満ちていた。
父さんと母さんが魔法使いだったということを初めて聞いたのは、僕が学校に入る前の年のことだった。
魔法界や魔法使いなどという、御伽噺や童話の中に出てくるような突拍子もない単語に、僕は初めは、二人にからかわれているのかと思った。
けれど、そのあまりに綿密な追憶の描写と、手渡された手紙を読んだとき、僕は漸く二人の話を信じることが出来たのだった。
差し出された手紙は、ホグワーツ魔法魔術学校というところからのもので、それは父さんと母さんが通った学校なのだと聞いた。
その学校への入学許可を伝える手紙を、しげしげと読み返していた僕に、二人は胸の裡に秘めていた過去を、掻い摘んで話して聞かせた。
元々、父さんと母さんは互いに敵対し合っていたもの同士だった。
けれど、自分たちの知らないところで想いは募り、離別を経験したときに、二人ははっきりとその想いを自覚した。
それでも添い遂げることは叶わないまま、時は無為に流れ、そのうち魔法界を揺るがす壮大な戦いが起こった。
戦いの終焉に、闇の頂点に君臨していた魔法使いが、因縁によって繋がれた一人の勇敢な魔法使いによって、無極へと葬り去られた。
世界がまだ混沌とした状態にあったさなか、それに乗じて母さんのもとを訪れた父さんは、母さんに、一緒に生きてくれと頼んだ。
その時既に将来を誓い合った男性がいたために、懊悩する母さんの目の前で、父さんは杖を真っ二つに折り、窓の向こうへ投げ捨てた。
父さんは、魔法を捨ててただの人間として生きよう、と母さんに言った。
純血を重んじる魔法一族の末裔として生まれた父さんが、非魔法族の生まれである母さんとの未来を生きるということは、そういうことだった。
一族からの追及を避け、一切のしがらみを振り切るために。
そのために、父さんは魔法を捨てて、下賎の生き物と見下していた非魔法族の住まう世界で、母さんと共に生きていきたいと言ったのだった。
その行動により、父さんの覚悟の程を知った母さんもまた覚悟を決め、その場で杖を折った。
そして差し出された手を取り、何も持たずに父さんについて行き、そうして二人で魔法界を永久に去った。
それからロンドンから少し離れた街に家を構えて、結婚をして、数年後には僕が生まれた。
一連の話を聴き終えた僕は、手紙を真っ二つに破ってごみ箱に捨てた。
二人は、好きな道を選びなさいと言ってくれたから、僕は自分で自分の歩く道を決めたのだった。
決して、魔法を捨てた二人に、気を遣ったというわけではない。
二人が生きることを選んだこの世界で、魔法など知らないまま、生きていきたいと思えたからだった。
「あっ、見て!パレードが始まったみたいよ」
母さんの少女のようにはしゃいだ声に、僕の意識は追憶から現実へと戻された。
母さんが指さす先で、星のようなイルミネーションに点された街路を整然と闊歩する、演奏隊の列が見える。
目に焼き付いたそのパノラマはきっと、永遠の一瞬。
「今年もまた一段と綺麗だな…」
感嘆の声をこぼした父さんが、不意にポケットの中で僕の手を離したかと思うと、両手を大きく広げた。
パノラマごとかき集めるかのようにして、僕と母さんを、力いっぱい抱き締める。
「父さんっ、狭いよ!」
「そんな寂しいこと言わないの。あったかくていいじゃない。──ねえ、また来年も来ましょうね?」
父さんの腕の中で押しつぶされそうになりながら、母さんが幸福そうに表情を綻ばせて、そう言った。
母さんの頭にキスをして、父さんはそっと微笑みながら、小さく頷いた。
end.
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二十万打・花夏様
(結婚して子どもがいるドラハー)