RinneU
□13時13分13秒、13階段にて
1ページ/1ページ
昼休み中に体調不良を訴えた友人のリカに付き添って保健室に行っていた桜は、腕時計に視線を落としながら、足早に教室へ向かっていた。
授業開始のベルが成り終えてから既に数十分が経過しているため、長い廊下には生徒も教師も誰一人いない。
通り過ぎる教室の全てが隙間なく戸を閉めているためか、教師たちの声が微かに漏れ出している程度で、辺りは閑散としていた。
昼休みの生徒たちの笑い声や足音のざわめきを、耳が懐かしく感じているような気分を覚えながらも、桜は更に歩みを速める。
上階へとゆくため、桜が階段の一段目のステップに足をかけようとした時だった。
夥しい光が上階から降り注いでいたはずの明るい階段が、突然彼女の目の前で夜の帳が下ろされたかのように、闇に包まれてしまった。
驚いた桜が目を丸めながら一歩後ずさると、階段のステップがぐにゃりと、子どもが粘土を手の中で弄ったかのようにいびつな形に歪む。
「な、なに?」
『……おいで』
自らが発した声に、此の世ならざる者の寒々しく手招きするかの声が被さったかと思うと、桜は小さく悲鳴を上げて頭を抱えた。
金槌で頭蓋骨を殴られているかのような、眦に涙が滲む程に激しい頭痛がした。
──十三階段をおのぼりなさい。
薄ら寒い声が繰り返し繰り返し、頭を振って頭痛と声とを振り払おうとする桜の耳元に呼び掛ける。
そして、突然ふつりと糸が切れたかのように、彼女の身体が床に倒れた。
意識を失った桜の身体は、しかしひとりでに起き出したかと思うと、ふらふらと覚束無い足取りで階段の一段目のステップに足をかけた。
「──いち…に……さん…」
目を閉じたまま、桜は自らの意識の届かない身体を操られて、一段一段を踏み締めながらゆっくりと上り詰めていく。
深く暗い靄に包まれた階段を纏う冷気が桜の頬を撫で、彼女の顔色は蒼白になっていく。
「─…はち、きゅう…じゅう……」
桜は閉じた目蓋の裏で、闇の中に仄かな明かりを纏って浮かび上がる「何か」を捉えた。
天から吊るされているそれは、絞首に用いるロープだった。
電車の吊革にも似た、銀色に淡く光る縄を綰(わぐ)めたそれは、風もないのにゆっくりと、桜を誘うかのように揺れている。
「じゅういち、じゅうに……」
桜は恐れも哀しみも忘れ去り、一切の感情を意識の遠くに追いやったまま、ゆっくりと手を伸ばした。
耳元で冷めた声がくすくすと愉悦の笑みを零している。
「──じゅう、さ…」
「真宮桜ーーっ!!」
掴みかけたロープが、指先が触れるほんの少し先で、白銀色の靄になって消滅した。
虚空を掴んだかと思われたその手を、温かい手が力を篭めて握り返す。
放物線を描いて後ろに傾きかけた桜の背を、もうひとつの手がすかさず伸びてきて、しかと支えた。
「しっかりしろ、真宮桜っ!お前、死ぬところだったんだぞ!!」
桜は冷や汗が一筋、つうっと流れ落ちる感覚を背に覚えた。
蒼白になって彼女を見下ろすりんねの瞳を、未だ夢から覚めていないような虚ろな目で見上げる。
ゆっくりと振り返れば、いつもと同じ学校の階段が、上階から差し込む陽光を燦々と浴びて、そこにあった。
「──十三段目…」
二人の足元を見下ろして、桜は小さく震える声でつぶやいた。
数えて丁度十三段目のステップに、二人はいた。
「…お前は十三階段に引き込まれてしまったんだ。遅いと思って駆けつけたんだが……俺が来るのが、あと一歩遅かったら」
りんねは益々表情を曇らせて、血の気のない顔色をして握り締めた手を見下ろした。
桜は恐る恐る、その手首にある腕時計に、視線を落とした。
ちょうど、13時13分13秒を指したまま、針の動きが凍り付いていた。
end.