Rinne

□ウンディーネ 1
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 つかの間に思えた夏季休暇もとうに過ぎ去り、風がほんの少しつめたく感じられるようになった九月のこと。赤々とした夕日が照らす百葉箱に、とぼとぼと歩み寄る少年の姿があった。黄泉の羽織を纏った少年は人の目には見えないため、そばを通り過ぎていく部活上がりのサッカー部員たちは、彼を振り返ることすらしない。
 通り過ぎていった彼らを振り返り、少年は一瞬立ち止まる。彼らの駆け足に続き、影法師がゆらゆらと揺れていた。
 差し込む斜陽の赤に負けずおとらず、さえた赤髪をゆるやかな風に流しながら少年はぶるりと身震いをする。
「そろそろ、秋だな」
 うだるような夏の暑さは拷問にも等しかったが。これからじきに訪れるだろう凍てつくような寒さもまた、極貧生活を送る彼にとっては苦行に違いなかった。生まれたての秋風の向こうに、早くも冬の気配を感じた少年は重く息をつく。
 百葉箱を開け、中をのぞき込む。だが、暗く湿っぽいそこには虫一匹いやしない。
 本日二度目のため息をつき、少年はがっくりと肩を落とした。
 その肩を、ふと誰かがたたく。
 のろのろと顔を上げた少年の目に、やわらかく微笑むクラスメートの少女の顔が映った。
「仕事の依頼だよ。六道くん」
 はい、と白い便箋を差し出してくる彼女。どんよりと沈んでいた赤い目に、輝きが戻った。それまではどん底だった気分が、一瞬にして高く跳ね上がる。
 もちろんそれは、ここ数日待ち侘びていた仕事の依頼が、思いがけなく舞い込んできたせい、だけではない。
 みじかく礼を言うと、死神の少年──六道りんねは、以来の手紙をそっと受け取った。


「水に棲む霊、か」
 依頼内容を読み終えると、りんねはぽつりとつぶやいた。
 あかね色に染まった日暮れの公園の木製ベンチに腰掛けるりんねと桜。その背後で噴水が勢い良く飛沫を上げている。天に向かってあがる水柱から、きらきらと弾ける水飛沫を、振り返った桜は目に映した。
「水に棲む霊?」
「ああ、恐らく。……もっとも、あまり詳しくは書かれていないが」
 ほら、とりんねが便箋を差し出そうとするより前に、桜は開けていた距離を縮めた。鼻先を掠めるあまいシャンプーの香りに、少年の思考が一瞬浮ついてしまう。
「へえ、池に棲み着く悪霊。女の人の姿をしていて、池に近づいた男の人を惑わす──だって」
 ちらりと一瞥され、赤い瞳は咄嗟にあさっての方向をむいた。桜はたいして気にする素振りも見せず、また手紙に集中する。
「それで、惑わされたらどうなるんだろう。池に引きずり込まれる、とか?」
「──さあな。文面からして依頼主も同じ目に遭ったようだが、どうやらあまり語りたくないらしい。これ、誰から受け取ったんだ?」
 桜は首をひねった。
「わからない。日直で黒板消しの掃除をしてたら、いつのまにか六道くんの机の上に置いてあったの」
「そうか……」
 その霊が出るという池は、ここからそう遠くはない。黄泉の羽織を着て飛んでいけば、さほど長くはかからずに着くだろう。りんねは手紙を握り締めて、背後の噴水を振り返った。
「よし。早いところ、片付けてくるか」
「今から行くの?」
「ああ。じきに夜になるから、今行けば霊に遭遇する可能性も高いだろうしな」
 桜も彼にならって、噴水を振り返った。
「私も着いていこうか?」
「いや、今日はいい。遅くなったら家族が心配するだろう」
「そうだけど、でも大丈夫?」
 なにが、とりんねは視線を横に流す。思ったよりも、桜がすぐ近くでまじまじと彼の顔を見つめていたので、一瞬息がつまった。
「だってその幽霊、男の人を誘惑するんでしょ。六道くん、大丈夫なのかなと思って」
「俺は、そんなのに惑わされたりしない」
「そう。なら、いいけど」
 あっさりと頷いて、桜は鞄を持ち直しつつベンチから立ち上がった。けれど、立ち上がったあともしばらく何か考えあぐねている様子。りんねは手紙をジャージのポケットにしまいながら、こっそりと様子を窺っていた。
「あ、思い出した!」
 桜がぽん、と手を叩く。りんねは視線で先をうながした。
「その幽霊って、ウンディーネみたいだね」
「ウンディーネ?」
「うん。昔、絵本で見たんだけど。今回の依頼の幽霊とそっくり」
「そうか。──で、どんな霊なんだ?そのウンディーネ、という霊は」
 うーん、どんなのだったっけ。桜が首をかしげると、りんねは苦笑いを浮かべた。
「とにかく。俺は今からその霊のところに行ってくるから」
「本当についていかなくて平気?」
「ああ。真宮桜、お前もそろそろ家に帰れ。日が沈むと、帰り道が物騒になる」
 じゃあ、また明日。
 うん。六道くん、気を付けて。
 彼の運動靴が、グラウンドの土を蹴る。砂埃に閉じた目を、桜が開けて空をあおぐと、彼の姿はすでに遠い。
「何かあったら、すぐ行くから!えーと、例えば、お金が足りなくなったりとか!」
 手でメガホンをつくって呼びかけると一瞬、上空でりんねの肩ががくっと下がった。桜はその姿が夕日の中に完全に消え去るまで手を振り続けた。






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