Rinne

□ウンディーネ 4
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 風呂上がりの桜が、バスタオルで濡れた髪を拭きながら部屋に戻ってきた時のことだった。カーテンが空気をふくんでふわりと揺れ、わずかに開けておいた窓から、ニャア、とか細い鳴き声が聞こえてきたのは。
 カーテンをそっと開けてみると、りんねの契約黒猫の六文が必死の様相で窓ガラスにへばりついている。心もとない表情は、さながら捨てられた子猫のようだ。窓を開けてやると、すかさず桜の胸に飛びこんできた。
「六文ちゃん、どうしたの?こんな時間に」
「突然すみません。でも桜さま、一大事なんです。りんね様が、まだ帰ってきていないんです!」
 桜は目覚まし時計を見やった。単身浄霊に向かったりんねと学校で別れてから、もう三時間ほど経過している。窓の向こうの住宅街は、もうすっかり闇に暮れてしまった。
「帰る間際に依頼が来たから、六道くん、そのままひとりで行っちゃったんだよね。私も行くって言ったんだけど、暗くなると家族が心配するから、今日はいいって」
「そうだったんですね。りんね様、おひとりで──」
「……心配だよね。ちょっと、様子を見に行こうか?」
 六文がさっと顔を上げた。申し訳なさそうな表情だが、同時にありありと安堵が見て取れる。
「桜さまも、一緒に来てくれるんですか?」
「うん。依頼の手紙を読んだから、道案内なら任せて」
「頼もしいです。りんね様に限って、危ない目に遭っていることはないと思いますけど。でも一応、こんな時間まで戻らないのは心配です。迎えに行かないと」
「そうだね」
 腕の中から、六文が頭をもたげてじいっと見上げてきた。視線に気づいた桜が、きょとんとした顔になる。
「なに?六文ちゃん」
「桜さまはりんね様のことを、どう思っていらっしゃるんですか?」
「どう、って?」
「いや、その、なにかとりんね様を助けてくださるじゃないですか。厄介事に巻き込まれても、桜さまは絶対にりんね様を見捨てたりなさらないし──」
 え、と桜は目を丸めた。六文が妙に期待のこもった眼差しで見上げてくる。
「それは、クラスメートだから。困っている友達を助けるのは、当然のことじゃない?」
 クラスメート、と呟く黒猫はどこか落胆しているように見えた。
「そ、そうですよね!いやだなー。ぼく、何言ってるんだろ」
 あはは、と六文があどけない笑顔を浮かべる。ぎこちない表情に首を傾げる桜だが、黒猫は取り繕うように彼女の手を引いた。
「そろそろ行きましょうか。あまり遅くなると、ぼくがりんね様に叱られてしまいます。万が一、桜さまを夜更けに連れ出して、たちの悪い霊にでも襲われたりしたら!ぼく、きっとりんね様に一生口をきいてもらえなくなります」
「そんな、大げさだよ」
「大げさなんかじゃありませんよ!りんね様は、桜さまを大切に思えばこそ……」
 しまった、という顔をして、六文が肉球のつまった小さなてのひらで口元をぱっと覆う。桜の視線から逃げるように、窓の外にぱっと身を躍らせ、巨大な化け猫のすがたに転じた。翡翠の巨眼がぎょろり、と闇の中から桜を見すえる。
「さっ、行きましょう。あまり遅くならないうちに」
 化け猫に乗って、桜は夜空を飛んだ。
 風呂上りのパジャマ姿だったことにはたと気づくが、明かりを点けっぱなしの部屋の窓は、すでに遠のいてしまっていた。






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