Rinne

□夜話
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(※捏造未来)


──何かが欠けているような気がする。



それは高校を卒業した日から漠然と、少女が感じていた違和感だった。

春から始まった大学生活は楽しく、新しい友達に恵まれて、学びたいことを学んで、たくさんの自由を与えられて、のびのびと日々を謳歌していたけれど。

それでも、やはり何かが違うと少女は思っていた。

完璧に見えるパズルのピースがひとつ足りていないような、もどかしい気持ち。



欠けたピースを探すように、ある日少女は高校時代の思い出を振り返った。

卒業アルバムの写真という写真に映っているたくさんの旧友の顔を、指先で丁寧にたどっていく。



そのうち少女は気づいた。なぜか写真に映っている自分の隣に、いつも不自然にあいた空間があるということに。

ぽっかりとあいた、人ひとりぶんの空間。それはきっと、誰かがそこにいた痕跡。

アルバムをめくりながら、自分が映る幾つもの写真にその不自然な空間を見つけて、欠けてしまったものはこれだ──と少女は確信した。

ただひとり欠けてしまった人、何故か記憶から消えてしまった存在。



──ここにいたの、誰だっけ。



少女はひたすらに頭をひねった。

沢山の旧友たちの顔と名前が、頭の中に浮かんでは、ぽつぽつと消えてゆく。

けれど結局、どの顔もどの名前も、少女の心にしっくりと来なかった。

そしてそのあとも、どうあがいても、その欠けてしまった「誰か」を思い出すことはできなかった。








真夜中、のどが渇いて目が覚めた少女は、台所に行こうと起き上がったときに、部屋の隅に信じられないものを見た。

そこに、少年の霊がいたのだった。

おかしな柄の羽織を着て、腕を組み、壁に寄り掛かって少女のほうをじっと見つめている。

目が合うと彼は一瞬目を丸めて驚いた様子に見えた。が、それでもすぐに無表情になって、少女から視線を外した。



少年の霊は、年は少女とあまり変わらないように見えた。

髪と瞳の色が闇のなかでも冴えるように赤い。背が高く、顔立ちは精緻に計算されてつくられた彫刻のように端整だった。

でも、それが例えどんなに見目のいい霊だとしても、真夜中にこうして自分の部屋の中にいてただじっと見つめられているとなれば、少女にとっては不気味なものでしかない。

幼い頃から幽霊がみえる少女もさすがに薄気味が悪くなり、水を飲むのを諦めることにした。枕に顔を押しつけ、頭から布団を被る。

目覚まし時計の秒針が刻々と進んだ。

何も起きなかった。

朝、少女が目覚めると、既にその姿は部屋のどこにもなかった。








けれど翌日の真夜中、目が覚めると、またしてもその少年が部屋の隅にいたので、少女はさすがに目をむいた。

次の日も、その次の日も。夜中に目が覚めてその少年と目が合うたびに、少女は布団を頭から被って、その存在を無視することに徹した。

けれどそのうち、その少年の霊がとくに少女に害を及ぼそうとしているわけではないことが、何となく分かってきた。

そこで少女はある真夜中、初めて少年に話し掛けてみることにした。



「……あの、あなたは誰?なんで私の部屋にいるの?」



話し掛けられたことに驚いたのか、少年は目を丸めた。が、いつかの夜のようにまたすぐに無表情になって、首を小さく横に振った。

その動作の意味が分からずに、それからも少女が幾つか質問をしてみた。けれど結局、少年が返事を寄越すことはなかった。少女はようやくはたと思いついた。



「もしかして、しゃべれないの?」



少年は少し首を横にかしげた。口を開いて何かを言った様子だったが、少女の耳に言葉が聞こえてくることはなかった。



「あ、そっか。あなたがしゃべっても、私が聞こえないんだ……」



こくりと少年が頷いた。

少女が憐れみのこもった視線を送る。

少年は少し居心地悪そうに、視線をさ迷わせた。








そうして過ごすうち、少女のなかでその少年に対する恐怖感や不信感は少しずつ払拭されていった。

やがて、夜にだけ部屋を訪れるその少年に、少女は今日一日身の周りで起きたことを、夜話として語り聴かせるようになった。

本当にとりとめもない話ばかりだったけれど、それでも少年は、飽きる様子もなくじっと耳を傾けてくれた。



そして、しゃべり疲れた少女の目蓋が重くなってきて、頭がうつらうつらと揺れだすころ。

その絶妙のタイミングを見計らって、少年が口の動きだけで、そろそろ寝ろ、と伝える。

おやすみ。

と少女が言えば、少年の唇が、

「おやすみ」

の形に動き、ポーカーフェイスに微かな笑みがさす。

少女のつむぐ夜話は、その微笑みを見届けて目蓋が降りるとともに、静かな終わりを迎えるのだった。








一夜、また一夜と、いくつもの夜が穏やかに過ぎていった。

部屋の隅の壁際に背をつけてたたずんでいた少年は、ベッドに座って夜話を語る少女との距離を、少しずつ縮めていった。

ひと月にようやく一歩ぶんだけ、互いの距離が近づくような。

そんな慎重で思い遣りに満ちた触れ合いを、少女はとても心地良く感じた。



数え切れないほど逢い引きと夜話を重ねていくうち、少女はいつしか夜が来るのが待ち遠しくてたまらなくなった。

あの少年は、少女のすぐ隣に座るようになった。

時折、ふとんに置いた手と手が触れ合うようになった。

遠慮がちにそっと、少年が少女の肩を抱く夜もあった。

少年が少女のこめかみから髪に指を通して、綺麗なルビー色の目を少し揺らしながら、少女の目を切なくじっと見下ろす夜もあった。



ある夜、少年と少女の距離がゼロになった。

少女は、幽霊のような少年のあたたかさを知った。そして、自分が彼と同じ思いを分かち合っていたことを。

──不思議なことにその夜から、少女がいつも漠然と感じていたはずの、あの「何かが欠けてしまったような思い」を、心に抱くことはなくなった。








月が幾度か満ち欠けを繰り返し、雪がしんしんと降る夜がおとずれた。

少女は不意に、語っていたその日の夜話をやめた。夜話の中断に不思議そうな顔をした少年の手をとる。

そして、何も言わずに、自らの腹部にいざなった。

少年の目が、驚愕に丸まった。普段は色のない顔に、夕焼けの色がほのかに差した。



──すまん。



少年は悪さをして叱られた子供のように背を縮こまらせて、唇の動きだけでぽつりと、そう告げた。

少女は柔和な微笑みを浮かべ、首をそっと横に振った。



「謝ることなんてないよ。むしろ、すごく嬉しい。──私、この子を産むから」



少年は言葉を失い、長い間瞬きもせずに少女の意志の強い瞳をじっと見つめた。

それから、唇をふるふると震わせて、少女の身体を労わるように抱き締めた。



──ありがとう。



何度も何度も、少年の唇は同じ言葉を繰り返してつぶやいた。



四季をめぐりあの世に咲くという桜の花を手に一杯持って、少年が少女に永遠の誓いを告げにやって来たのは、その次の夜のこと。








月が満ちて、少女は無事に元気な男の子を産んだ。

その男の子は面立ちがあの少年とよく似ていたけれど、髪と瞳の色は母親から受け継いでいた。

しかし。

ある夜、むずがって目を覚ました子どもをあやしながら、少女は不思議なものを見た。

その子の瞳が、何故か夜の闇の中では、きれいなルビー色に輝いているのだった。

そう、それはあの少年の瞳と同じ──




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「ちょ、ちょっと待って!」



戸惑いに少し上擦った子供の声が、母の紡ぐ夜話をさえぎった。

そのことに別段気分を害した様子もなく、子供の母親はむしろ可笑しそうに笑いをこぼしている。



「その話って、もしかして……」

「そう。パパとママのお話」



幸福そうに弾む笑いの合間に、年若き母がこともなげに言う。

子供が円らな瞳を戸惑いに揺らした。



「……僕のパパは、幽霊なの?」

「うーん。幽霊、とはまた違うような気がする」

「じゃあ何?」

「そうね、例えば……神様とか?」



──ね、そうでしょ?

と、母が問い掛けるようないたずらっぽい眼差しを虚空に向けると、子供は思い切り首を傾げた。



「ママ、どこ見てるの?」



外には音も無く雪が降り頻っている。なのに、部屋の中にはなぜか、春の花の香りがふんわりと漂っている。

虚空を見つめて眼差しを柔らかにして、彼女は微笑む。

誰かの手がそこにあるかのように、自らの肩にそっと手を添えて。



「あなたのパパは、いつも私達の側にいるよ。今だって……ほら、ここに」

「えっ、どこ?どこ?」



きょろきょろと当たりを見回す子供の瞳が、ふと、闇の中からあざやかな赤色を放った。

──少女の隣で、少年は微笑む。








「桜」



聞こえるはずのない呼び声が、確かにすぐ隣から聞こえたような気がした。

健やかな寝息を立てて眠るわが子を見つめていた彼女は、驚いて隣を見遣る。



──今夜も、話を聞かせてほしい。



唇の動きでそう伝える彼を見つめながら、やっぱり今のは空耳だったのかな、と彼女はほんの少し首を傾げた。

確かに聞こえたような気がしたその声は──前にどこかで聞いたことのある声だったように、思えた。








end.

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