長編.夢 本置き

□Ordinary fool
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それはいつもよりだるい目覚めだった。
それでいて、いつもより柔らかいベッドのスプリングや嗅ぎ慣れない消毒液の匂い。
白い……白いカーテン。
焦点が定まるまで気付かなかったが、ここはどこかの医務室のようだった。
なんだ、自分は助かったのか、とその時思った。
「目が覚めたようじゃの」
「……あ」
ベッドを囲む白いカーテンがさーっと畳まれていく。
その先に、白く長いひげを蓄えたおじいさんが立っていた。
半月型の眼鏡と茶目っ気のある瞳。
きらきらとした灰色っぽい色のローブ。
思わず身を起こして、背をしゃっ、と伸ばした。
私はこの人に会ったことがないけれど、知っている。
でもそんなはずはない、とも思った。
なぜなら、思い出した人物がある児童書の登場人物だからだ。
「よいよい、少し様子を見に来ただけでな」
「あ、……ぁ、……」
何か、何か言わないと。そう思っても口は乾いて、上手く舌も動かず、喉奥で息が上下した。
状況を理解したつもりでいたが、全く理解できていない。
ここは病院でもなければ、おそらく……夢だ、私は夢でも見ている。
「落ち着きなさい、さあ水をお飲み」
そんな私を見かねて、おじいさんは手をゆっくりと振った。
すると、右隣にある水差しが勝手にコップへ水を注ぎ、そのコップはゆったりと浮き上がった。
ぎょっとした私を見て、おじいさんはにっこりと笑った。
コップは今、私の目の前で浮かんでいる。
そっと手を添えると、ずっしりと重さを感じだ。水だ。
ちらっと、飲んでもいいかという気持ちを込めて視線を送るとおじいさんはうなずいた。
水は、普通の水だった。そして、これが夢なのか現実なのかが分からなくなった。
「声の調子はどうじゃ?」
「え、あ……大丈夫です」
「それはよかった。さて……今起きたばかりの女の子を質問攻めにするのは、こちらも少々心が痛む。じゃが、許してくれ。これからいくつかの質問をさせてもらう」
にこにこと笑いながらおじいさんはベッドのそばにある椅子に腰かけた。
笑っているが、私に不信感を抱いているようだった。
「君の名前は……あぁ、まずは私が名乗らねば。私はアルバス・ダンブルドア、今はこのホグワーツ魔法魔術学校の校長を務めとる」
「アルバス……ダンブルドア……ホグワーツ……」
 言っていることのほとんどが耳を通って、そのままもう一方の耳から出て行った。
ただぶつぶつと、言ったことのオウム返しをすることで、なんとか情報と正気を維持していた。
もう一口、手元にある水を飲んだ。
「私は、ミョウジ ナマエと言います。あ、ごめんなさい、ナマエ ミョウジです。ナマエがファーストネームでミョウジがファミリーネームです」
「ナマエミョウジ、なるほど。東洋人のようじゃが、英語が流暢で驚いた」
「……え、っと、今私、英語話してますか?」
「はて、ナマエは儂と難なく話せているが、自身は英語を話していないと」
「私は、日本語を話していますし、ダンブルドア先生の言葉も日本語に聞えます」
「アルバスでよい。なるほど……翻訳の魔法がかけられているようじゃな」
 うんうん、うなずくダンブルドアを見つめながら私は別のことを考えていた。
「ナマエ?」
「ダ……アルバス、私も混乱してて、何が何だか分からないんですけど、信じてもらえないかもしれませんけど」
「話してみなさい」
 私はまた水を一口飲んで、ここまでのことから導き出される考えを話し始めた。

私は多分、交通事故で死んだ、確証はないけど。
直前のこともそれまでのことも曖昧になってしまって、はっきり事細かにとは思い出せない。
朝、家を出て私は急いでいた、多分遅刻しそうだったんだと思う。
最寄りの駅から人のごった返す駅へ、そしてまた次の電車に乗り換えようと電車を待っていた。
電車はもうすぐでつく。私は電車を待つ列の先頭だった。
あの時、スマホに夢中になっていたのがいけなかったのか。
事故防止の引かれた線より少し後ろに立っていたのに、誰かが強く私の背中を押して、そのまま……。
地面に落ちるのも電車に当たるのも、そのまま引かれてズタボロになるのも、きっと痛いから、目を閉じた。
でも痛みはなく、ただ白い場所にいたような気がする。
そこでなぜか私は何かを願った。口からすらすらと出た。
なぜ願いを言ったのか、なぜ願いの内容が思い出せないのか。
夢特有の夢の中の常識が私をそうさせたに違いない。
そして目が覚めた。
目覚めるとそこは憧れの児童書の世界で、一番大好きな世界で……。
信じられないが、いわゆるトリップをしてしまったみたいだ。

「にわかには信じがたい話じゃな」
「信じてもらえなくても……しょうがないと思います」
 私はとにかく覚えていることやこの世界は児童書で見たことがあること、物語の内容こそ語らなかったが、関係ありそうなことはすべて話した。
ただ、自分でも話していておかしいと思う点がいくつか出て来た。
自分の年齢が分からなかったし、何より父や母、友達の記憶も曖昧になっていた。
それがまた私を悩ませたし、どう説明したらいいのか分からなかった。
「ナマエ、儂にもなぜここに現れたのか……分からんのじゃ」
「はい……」
「君を見つけたのは禁じられた森の入り口じゃ。儂がたまたま散歩をしておったら、血だらけで倒れておってな……」

ダンブルドアは昼間、散歩のために禁じられた森の近くを歩いていた。
次年度の闇の魔術に対する防衛術の教師について頭を悩ませていた。
今年は何とか今いる教員で授業を持ち回りにする予定だが、来年はそうもいかない。
そう物思いにふけっていた時、視界の端に黒いものが映った。
その方向を見ると、大き過ぎる黒緑色のローブに包まれた何かが倒れていた。
起き上らせると見た目からして東洋人の少女らしかった。
顔や腕は傷だらけで血がにじみ、纏うローブの色がじゅくじゅくとさらに深い色に染まっているのが分かった。
命が危ない。だんだんと弱まる微弱な魔力にそう直感した。
その場でダンブルドアは治療を開始した。
驚いたことに少女はローブ以外身につけておらず、裸だった。
しかし、肌の色も分からないほど血に濡れていた。
どうやってこの領域に踏み込んだのか、なぜこんなにもひどい状態で倒れているのか。
そういった思いは治療に集中したことでなくなっていった。
ただ冷たく血まみれの少女に強く心が揺さぶられた。
助けなければならない、ただ直感だった。

「そう……ですか」
「申し訳ないが、治療のために君の服や持ち物はこちらでまとめてある、お返ししよう」
「はい」
 どこから出してきたのか、畳まれた黒緑色のローブとちょこんと上にのった一冊の本と赤い石の付いた指輪。
コップを側に置き、受け取ってみたが自分のものという意識もなかったし、身につけていた覚えもあまりなかった。
なんとなく指輪は左手薬指つけてみるとぴったりだった。
本は革製の表紙に中は白紙の日記のようだった。
表紙にあるかすれた金文字は何が書いてあるのか読めそうもなかった。
黒緑色のローブは自分には大き過ぎて、どう見ても自分のものではない気がした。
「私は、これからどうしたらいいんでしょうか」
「もうしばらくはここで休みなさい、ナマエ、君はもう大丈夫じゃ。儂が皆に君を紹介しよう、安全であると」
「……はい、ありがとうございます」
 自分のことでさえもところどころ曖昧で、信じるに足ることを話せているとは自負できなかった。
信じてもらえたこと、優しい言葉をかけられたこと、孤独からの不安、それらの感情が押し寄せて涙が出た。
「随分と話してしまったようじゃな……今後のことはまた一眠りした後にでも。さあ、お眠り」
 優しく布団をかけられ、私は泣きながらわずかな荷物を抱きしめて眠った。

ダンブルドアが医務室を去った後、人の形をした陽炎がナマエのとなりにたたずんでいたことは誰も知らない。

20190216執筆
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