長編.夢 本置き

□Ordinary fool
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薄暗い店内にひときわ目立つ暖炉でぐらぐらと鍋が沸騰している。
漏れ鍋の一角でナマエは静かに先ほど買ったばかりの『基本呪文集T』を眺めていた。
しかし、目は滑るばかりで内容が入ってこない。

アイスクリーム・パーラーでの出来事はナマエを混乱させるばかりで、店を出た後もふらふらとダイアゴン横丁の店をうろついていた。
鍋屋もフクロウ百貨店も一応買い物のために見た。
悪戯専門店にも足を運んでみたが、店内はごった返してどうにもうまく歩けない。
売っているものをよく見てみても何が何だか分からなかった。
ただ、楽しいお店であることだけは伝わってくる。
店や道を歩いて、もやもやとしたまま地図を片手にナマエは漏れ鍋まで行くことにしたが、漏れ鍋が見つからない。
相当なことがない限り、例えば地図を見ないで歩かなかったとしても漏れ鍋はすぐに見つかりそうだったのだが。
ナマエの目の前には古いレンガ造りの壁が立ちはだかっていた。
漏れ鍋はここだと思うんだけど、なんでないんだ。
―――そんなところで突っ立ってると間抜けだよ。
ナマエの頭にリドルの声が響く。
そんないい方しなくてもいいのに……。
ナマエがぶすっとしているとリドルはため息をつく。
―――杖で壁を叩くんだ。
あ、そうだ、叩くんだった。
脳裏にハリーがハグリッドに連れられてダイアゴン横丁に入るシーンが浮かぶ。
あの時、どういう順番で叩いていたのか不思議なことにすぐ思い出された。
ナマエはハンドバッグから買ったばかりの杖を取り出し、軽快に壁を叩く。
するとみるみるうちにレンガの壁はアーチ型の入り口に様変わりした。
―――なんだ、覚えてたじゃないか。
つまらなそうにいうリドルを無視して私は漏れ鍋へ続くアーチをくぐった。

リドルの記憶の中にある自分は自分だった。
今の自分の背格好とは少しずれている気がするし、眼鏡もかけていた。
やっぱり、私の記憶を読んでこう……いい感じにこね回して私に見せたのかもしれない。
トム・リドルにとって私は多分利用価値があるんだ。
なんと言っても相手は闇の帝王の学生時代の記憶だ。
そんなこともお茶の子さいさいというものだろう。
でも正直、他人の妄想をこねくり回してキスシーンを見せるってどんだけ悪趣味なんだ。
しかも馬鹿な女って……。
―――失礼なことを考えてるな。
失礼なのはどっちなのよ!
大声で言ってやりたい気持ちを抑えて、テーブルの上に置いた日記をきっ、と睨みつけたが意味はなかった。
―――変に用心深いな。ナマエ、君は二つ勘違いをしている。一つは、僕の記憶はその当時の僕が見た景色そのものだ。多少脚色はあったかもしれないけどね。二つ目、今の君に利用価値はない。以上だ。
自由に私の考えを読めるあなたに言われても全然信じられないんですけどね。
―――一応、僕とナマエの馴れ初めなんだけどな。
どこにあんな重い馴れ初めがあるんだ。
どうすれば信じてもらえるんだろうね、というリドルにナマエは唖然となった。
あんなの恋心を利用した、闇の帝王にとってほとんど奴隷同然の契約でしょ……。
いやいや、あれは私じゃない、私にはそもそも身に覚えがない、関係ない。
記憶の中の自分は作り物だ、絶対に。
教科書を開きながらうんうんと唸っているナマエに、影がさす。
はっと見上げると歯の抜けたしわしわの男性がにこっと笑みを浮かべている。
ノクターン横丁でのこともあり、嫌な汗がナマエの背を伝った気がした。
「すみませんが、あなたはミョウジ・ナマエさんでいらっしゃいますかね」
「は、はい、そうですが」
 ぎゅっとなる心臓のせいで声が裏返る。
そんな様子にふっと笑ったリドルの声が聞こえた。
あの野郎……どうにかしてぶったたきたい。
「私は店主のトムと申します。こちら、ダンブルドアさんから預かっております手紙になります。それと、今夜は迎えに行けそうにないとのことですので、こちらにご宿泊ください」
 店主のトムがごつごつとした手から手紙を差し出した。
指には古めかしい鍵が引っかかっている。
ナマエがおそるおそる受け取ると鍵から錆臭いにおいがした。
鍵にはかろうじて部屋番号らしき数字が並んでいるのが見える。
「部屋は二階にありますのでこちらの番号の部屋をお使いください、宿泊料は事前にいただいております」
「は、はぁ」
「明日の朝食はどうなさいますか」
「……追加で料金かかりますか」
「いいえ」
「じゃあお願いします」
「それと、先ほどから熱心に勉強をなさっているので……今お飲み物を」
「あ、いえ、お構いなく」
「ほんの気持ちです」
「……ありがとうございます」
 ナマエが了承するとトムはニコニコとした顔のままバーカウンターの方へ消えていった。
ふーっと息を吐きながらナマエは席に座り直す。
やっと出て来た言葉が追加料金の確認って言うのは頭が回ってるのか回ってないのか。
どうも私はお金のことを気にしてしまう。
きっとこの宿泊料金も、ひょっとすると朝食の料金もアルバスが支払ってくれたんだろう。
お世話になりっぱなしだ……どこかで借りたお金を返さないと。
そんなことを考えながら、ナマエはダンブルドアからだという手紙の封を切った。

親愛なるナマエ
初めての魔法界はいかがだったかな?
感想を聞きたいところではあるが、今日は迎えに行けそうにない。
漏れ鍋に泊るといい。明日の午前十時に迎えに行こう。
追伸:積もる話はできたかの?

あなたの魔法界デビューを祝う
アルバス・ダンブルドア

積もる話……。
嫌な雰囲気を感じてナマエはとっさに手紙を隠すも、リドルには見えてしまっているらしい。
リドルの苦々しい声が聞こえる。
積もる話、とは私とリドルのことだったのだ。
多分、私が倒れた時にリドルに出会ったのかあるいは最初から気づいていたのか……。
―――あの狸爺が。
アルバスに感謝しなければ、返さなければと思っている時に……この日記は口が悪い。
嫌いだということは知っているが、よくしてくれている人を悪く言うリドルをナマエはあまり好ましくは思わなかった。
―――あいつは監視するために保護下に置きたがる、君も例外なくね。
例えそうだったとしても私はアルバスに命を救ってもらったし、こうしてお金も支払ってもらって、学校に入学させてもらえて、衣食住も保障するって言ってくれてるんだよ……感謝しない方がばちが当たるよ。
大体、あなたも学校に通えたのはアルバスあってのことなのではないのでしょうか、そこのところはノーカンなんでしょうか、トム・リドルさん。
―――それ以上にあいつは許しがたい。
 あぁ、そうですか……。
ふとバーカウンターを見ると店主のトムが軽食と飲み物を運んでくるのが見えたので、ナマエはそれ以上リドルとは話さなかった。

夜になると漏れ鍋はさらに活気を増した。
大人の魔法使いや魔女が酒を飲み、大きな声で話し合っている。
そんな雰囲気に押されて、ナマエはそっと二階の部屋へ行ってみることにした。
部屋の並んだ廊下はくねくねとしていて、薄暗かった。
外からの明かりで鍵を反射させながら部屋番号を確認し、部屋を探す。
すんなりと見つかった部屋は想像していたよりも清潔で簡素だった。
白いシーツのかけられたベッドに腰かけるとスプリングが不気味な音を立てる。
部屋の電気をつけなくては、とナマエはきょろきょろと辺りを見回すがスイッチらしきものが見当たらない。
「そうか、電気は通ってないんだ」
ナマエはぽつりと呟きそのままベッドに倒れた。
灯りもなく、窓から届く町の明かりをじっと見る。
今日は疲れた……買い物もしたし、魔法もたくさん……見たし……。
だんだんと瞼は重くなり、窓の光がにじんでいく。
―――このまま寝る気?
「リドルは、寝ないの?」
素朴な疑問だった。日記は寝るのかどうか。
―――僕は寝る必要がない。
「じゃあ寝れるってこと?」
―――さぁ……僕は常に思考することができる。もう寝てるのか起きているのかもわからないからね、こんな状態じゃ。
「ふーん……」
―――ナマエ?
すーすーと寝息を立てるナマエにリドルは呆れた。

ナマエが深い眠りに落ちると日記から人影がゆらりと起き上る。
その体は窓から漏れる光が透けるほどの濃さで、ゴーストのようだった。
黒く艶やかな髪、人を射抜くような黒い瞳、陶器のように白い肌……トム・リドルは音も立てず、優雅にベッドに腰かける。
隣には眠り込んでしまったナマエが横たわっている。
黒い瞳はぐっとナマエに近づき、薄くあいた唇や閉じられた瞼を観察した。
リドルはふーっとため息を吐くが、その息がかかることもなく風も起こらない。
否、息を吸って吐いているように見せているだけなのである。
「ナマエ、君の気持ちが今になって分かる……」
ぽつりとリドルが呟くが、それはナマエの耳に届くはずもなく、孤独な部屋の暗闇中に溶けていく。
僕にとっての君がまた戻って欲しいと思わない日はないけれど、間違いなく君は君で……。
そうか、この感覚なんだ。
急に笑えてきてしまう。誰にも聞こえない笑い声だ。
僕はくつくつと笑いながら、感じないはずの胸に痛みを感じたような気がした。
君は馬鹿な女だ……そして僕も馬鹿で……大馬鹿者で。
「後悔しかないんだ……」
リドルは懺悔をするかのようにナマエに語りかける。
遅過ぎたみたいだ、遅過ぎた……。
許してくれって言ったら君は許してくるんだろうか。
いや、君は許してくれているんだろうね。
あいつが後悔しなくても、僕が後悔をして、僕が君だけを見て……。
そっとナマエの頬に触れてみる。
あの時と同じ温度を感じられる気がして触れてみたが、魔力不足で必要のない感覚を切っていたことを思い出す。
今、僕が感じている感覚は記憶の中の感覚に違いない。
感じたいのは今の君の体温なのに。
「君が君であるなら、僕はずっと君を守るよ、約束だからね」
 リドルの呼びかけにナマエは寝息で返事をするのだった。

20190224執筆
20190301加筆修正
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