長編.夢 本置き

□Ordinary fool
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結論から言うとリドルはとんでもないスパルタ家庭教師だった。
「魔法界の常識や知識を教える」と言ったリドルは、ありとあらゆる質問を投げかけてきた。
英国の魔法界の歴史から有名な魔法使い、魔法使いの慣習や基本的な呪文、薬草のこと魔法薬のことなど。
知っているか知らないかから始まり、それはどういう意味かどんな経緯で起こったものなのか、作るものならどうやって作るのか、知っていることを答えさせた。
しかし、映画の知識や少し調べた程度の知識しかない私は聞かれたことにほとんど答えられず、ただただリドルの解説を聞いてうなずくことしかできなかった。
リドルのつっかえることもなくすらすらと説明する様は、眉目秀麗な優等生だ。
クラスメイトにいたら、聞き惚れるし尊敬してしまうだろうな。
普通ならありえないようなファンクラブなんかも出来ちゃうんだろうな。
嫌味のない声を聞きながら、私は顔を見ないように視線を彷徨わせているとリドルから舌打ちが漏れた。
「ナマエ、僕を見ろと言ったはずだけど?」
「あんまりじろじろみるのもよくないかなって思って」
 否、本当は見ているだけであがってしまうからだ。
このことも全部リドルにはお見通しかと思うとさらに恥ずかしい。
しどろもどろになりながらナマエが答えると、リドルは意味ありげに目を細めながら薄く笑った。
「ふーん……別のことを考えてるようだけど」
「あ、えっと、呪文の練習とかしない?」
「いや、君の読み書き、会話の能力を計る……いや、翻訳呪文の機能とその範囲を計るといった方が早いかな」
「つまり……え、えいご……りょく」
 ついに来てしまったか、と嫌な汗が流れる。
私自身、英語に自信があるかと言えばそこまでではなかったし、まして魔法界の英単語など、知っているわけもなかった。
しかし、どうやらトリップ特典だといわんばかりの翻訳魔法によってこの世界の人々と会話もできるし、壁にかかる広告も今手元にある基本呪文集も日本語を読むようにすらすらと読めた。
ただし、魔法界の用語がわかる訳ではないのでそこは映画の知識でなんとか補ったが、それではこの先、到底足りないと想像に難くなかった。
目下、ナマエにとって一番の問題であり不安要素は「書く」ことだった。
元の世界なら、そもそも文字を書くことすら少なかった。
スマホで文字を打つだとかパソコンで文字を打つだとか、多くの場合、文書は全部画面上で済んでいた。
実際に羽ペンで羊皮紙に文字を書く行為に興奮しないわけではなかったし、映画でハリーが文字をかりかりと書く姿を想像すると言葉にできない感情が湧き上がっていた。
私の部屋だとあてがわれた部屋の勉強机につくようリドルに促された。
手に取れという意味か、目の前に備え付けてあった羽ペンとインク、羊皮紙をどうぞ、と手を向ける彼にそそのかされ、ゆっくりとそれらを手に取った。
リドルは何か書けと言わんばかりの目と態度で勉強机に寄りかかっている。
そうだ、ダイアゴン横丁で買い忘れがあるとすれば、羊皮紙と羽ペン、そしてインクだ。
そんなことを思いながら、物は試しと自分の名前を書いてみると書き慣れないせいか変に歪んだ名前ができあがる。
握りなれない細い羽ペンとごわごわとした羊皮紙の感触にナマエは鉛筆やシャープペンシル、ボールペンを恋しく思った。
その字を見るなり半透明のリドルは不快に思ったのか少し眉間に皺を寄せ、皮肉をナマエに浴びせる。
「随分と素敵な字だね」
「しょ、しょうがないでしょ……初めて羽ペンで字、書いたんだから」
 恥ずかしい。私だってこんな字を書きたいわけではないのだ。なんだったら、ボールペンとか鉛筆でならもっと綺麗に書けたはずだ。
そんなナマエの気も知らず、リドルはさらに文字を書くことをせかした。
「次は文章を書いて」
「文章! 私、書けないよ、そんなの……」
 冗談を、と思い、ばっとリドルの方を見ると「そんなこともできないのか?」というように右の眉を少し上げた顔でただ彼はふんわりと漂っているのだった。
 そう、文章が書ける気がしない。
今喋っている言葉は私にとって日本語で、でも周りの人には英語をしゃべっているように聞こえているらしい。
しかも、ダンブルドア曰く流暢な英語だ。
普通、喋れるならそのまま文章も書けると思うかもしれない。
私にはそうは思えない。
おそらく、今私が書けるのはへにょへにょな字の日本語の文章だけなのだ。
しゃべりも読み聞きもできたところで日本語しか頭に浮かんで来ない。
このままではいざ学校が始まった時に困るのは間違いないだろう。
魔法は使えなければ意味がないが、学校の中ではそれに加えてレポートが書けなければ成績は地の底どころか落第だ。
実技も筆記もどちらも求められる環境で私は窮地に立たされることだろう。
インクに浸したペン先をぼーっと見ながら無意識に羊皮紙をぎゅっと握った。
日本語でレポートを出してもいいなら、きっと大丈夫なんだけどな。
「ホグワーツでは特別な指定がない限り英語でレポートを書くものだけどね」
すかさずナマエの思考を読んだリドルが話し出したのでナマエはばっと背筋を伸ばしてペン先を羊皮紙に置いた。
何か……書かないといけないけど、何を書けば……。
ぐずぐずとしていると不意にペン先からぽたりとインクが落ちる。
きっと日本語の文章しか書けない。
だったら何を書いてもきっとリドルにも誰にも分らない。
ふと、なんとなく書きたいセリフがあった。
昔見たドラマか映画のセリフだったか、小説のセリフだったのか、忘れてしまったが。
とにかくそれを書いてみることにした。

ぎこちなく文字を書くナマエを見ていた僕は、自分の顔からだんだんと余裕が失われていくのを感じていた。
それを悟られることを恐れて、無意識に手で口元を隠したが何の意味があるというんだろうか。
存在しないはずの心臓が脈打ってうるさかった。
「……」
「書いたよ……って、日本語だから読めないか」
 自分で書いた文字を見て、申し訳なさそうに笑ったナマエは羊皮紙の上に羽ペンを置いてつっぷした。
君には母国語に見えている文字も、全てが翻訳されて出力されている。
ナマエは気付いていないんだろう。
「どうやらナマエにかかった翻訳魔法は読み書き、話すこと聞くこと全てに作用してくれるようだから、問題はなさそうだ。喜ぶといい、君がよっぽど馬鹿者でない限り、ひとまず落第はないだろう」
僕がそういうとナマエはつっぷしたまま顔をこちらに向けて目を見開いた。
そうして、よっぽど嬉しかったのか、目を潤ませて破顔した。
「落第しない……よかった……これから、ホグワーツで本当に魔法の勉強できるんだ……」
「じゃあ、これから夏休みの間、魔法界の知識を詰め込んでいい訳だね。さて、軽く一年生から七年生までさらっと流してみようか」
「へ……」
「喜ぶといい、僕が直々に教えようっていうんだよ。君の微々たる魔力と交換にね」
「でも一年生から七年生っていうのはちょっと……」
「返事は?」
「あー……」
「ナマエの母国ではあーっていうのが返事なのかな?」
 優等生スマイルでせまってくるリドルにナマエは体を仰け反らせた。
怖い。笑ってるけど笑ってない。
涙が引っ込んだ。
「いえ、違います。ごめんなさい。わかりました。はい。ありがたくお受けいたします」
「よろしい。今日中に一年生の内容を済ませてしまおう。ナマエの時間は有限だ。僕と違ってね」
「はい……」
 急に受験生になったみたいだなと思いながら、私はハンドバッグから一年生向けの基本呪文集をたぐりよせ、表紙をめくった。

後悔はしていません、あなたに会えるのだから

変なセリフだ。
後悔も、喜びも、何も感じられなくなってしまった君なのに。
何も覚えていない君なのに。

20191230執筆
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