小説その2

□憧山茶花(あこがれさざんか)
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「はい、ヒバリ。あ〜んしてくれな」
俺は慣れない手つきでスプーンを動かして、ヒバリにスープを飲ませようとした。
しかし、当然ながらそんなことをしたことも無い俺の手は不器用に震えてしまって。
ぱしゃりとみっともなくスープを零してしまった。
「……あ〜ぁ。ごめん、ヒバリ。やっぱ、専門の介護の人に代わってもらおうか?」
汚れてしまったヒバリの胸元を見ながら、俺は情け無く眉をしかめた。
「冗談。きみがしなよ」
ヒバリはいくぶんツンと唇を尖らせて、次の瞬間小さく吹きだした。
「きみの手つき、いかにもおっかなびっくりってかんじで、面白かったよ」
汚れた寝間着を取り替えようとしたら、その手を止められて
「食べ終えるまでいいよ。どうせまた汚すんじゃないの」と言われてまた笑われた。

実際、その通りだった。
しみだらけになった寝間着を見て、でもヒバリはずっと機嫌良さそうに微笑んでいた。


食事をさせるのも、寝間着を取り替えるのも、包帯を巻きなおすのも。
全部、俺がやった。
ヒバリがどうしても他の人に触れられるのを嫌がったからだ。
いちいち失敗を繰り返す俺がよほど面白かったのか
「こんなものが見れるなら、怪我をするのも悪くないね」とまで言われてしまった。


「ねぇ、きみ……仕事、大丈夫なの?」
ぽつり、とヒバリが呟いた。
なんだかためらっているような、俺の答えを怖がっているような――そんな気がした。

俺はちょっと意味が分からなくて首を傾げつつ
「………? おう、一応問題無かったぜ?」と答えた。
事故のせいで仕事が上手く行かなかったのかと心配になったのだろうか。
「匣の回収自体はもう終わって、研究所のほうに移送完了してるし、当分俺の出番は無いかなぁ」
「……すぐ、また…仕事にいくのかと、思った」
聞こえないくらい微かな声で、ヒバリが呟いた。
「はぁ? なんでー? あんた一人残していかねーよ」
そう言うと、何故だかものすごくほっとしたような表情をされた。

俺の仕事は現在、ヒバリと組むのが殆どで。
内部の仕事もあるにはあるけれど、別に少しの間放置してても構わないし。
何より俺が、ヒバリを一人置いていくのが嫌だった。
少なくとも日本から草壁さんが到着するまでは、側を離れるつもりは無かった。


草壁さんはすぐに駆けつける予定だったのだが、ヒバリの怪我が案外軽かったので、どうしても外せない仕事を軒並み片付けてから来ることになっていた。
仕事を途中で放り出してきたとバレたら、そちらのほうがヒバリの怒りを買うからだ。
「恭さんはそういうお方ですので。それまで申し訳ないですが、付き添いをお願いできますか?」
と頼まれたので、俺は二つ返事で引き受けた。

ツナからは、未だ連絡が―――無かった。





俺はバカだから、ヒバリの様子に僅かな違和感を覚えつつ、深く考えることをしなかった。
事故にあったばかりだからかな、で流してしまっていた。

その違和感を更にもう少し感じたのは―――リボーンが駆けつけた時だった。

「よぉ、案外元気そうじゃねーか」
リボーンがボルサリーノにちょいと手をやりながら、にやりと笑いつつ入り口からここちらを覗き込んでいた。
「小僧! 来てくれたのか、わざわざありがとな〜」
「ありがとな〜じゃねぇよ。事故の後始末がてら、ちょいと寄っただけだ。…ったく、この忙しいのに面倒ごとばっかり起こしやがって。それから俺はもう『小僧』じゃねーっつの」
俺がにこにこ笑っていると、側まで来て遠慮無しに額を小突かれた。

もう子供の姿じゃなくって大人に戻っているんだから、確かに『小僧』と呼ぶのは駄目なんだろうけれど、俺はついついリボーンのことをそう呼んでしまっていた。
そう、ヒバリが彼のことを『赤ん坊』と呼ぶ癖が抜けないのと同じように。

「ヒバリ、調子はどうだ?」
リボーンの問いかけに答えないヒバリを見て、初めて俺は首を傾げた。
リボーンはヒバリのお気に入りだった。
どんなに無茶な話を振っても、リボーンがちょいと口を利くだけで、ヒバリは出来るだけ譲歩してくれる。
『赤ん坊の頼みなら、しょうがないね』
これはヒバリの口癖だ。

そのヒバリが、胡乱な顔つきで、リボーンを睨みつけたまま無言なのだ。
これは、おかしいと言わざるを得ない。

「ヒバリ? どうしたのな?」
俺が首をかしげてヒバリの顔を覗き込むと、彼はむうっとした顔をしつつ、俺の服の袖をぎゅっと掴んだ。
「……うっとおしいんだけど」
「は?」
「だから、うっとおしいから、退けて」
ヒバリはいかにも憤懣やるかたないという表情で、リボーンのほうをちらりと見た。

あのヒバリが、リボーン大好きなヒバリが、彼に向かって『うっとおしい』などという台詞を吐く日が来るだなんて!

「……おい、ちょっと待て」
リボーンが幾分唖然としつつも、ずいっと身を乗り出してヒバリの顔を覗き込んだ。
「お前、自分の名前とか、言ってみろ」
「なんなの、あなた。さっきから、本当にうるさ……」
「いいから答えろ!」
瞬間、ぶわりとリボーンの身体から、とんでもない殺気が迸った。
通常の人間なら、気絶してしまっていたかもしれない。

ヒバリは小さく息を飲むと、心なしか嬉しそうな様子を見せた。
「ふぅん、気に入ったね。……名前は、きみたちが連呼してたじゃない」
ヒバリだよ、と彼は退屈そうに答えた。
「フルネームは? 下の名前、言ってみろ」
「……………」
ヒバリは口を開きかけて、また閉じてしまった。不思議そうな顔をして小首を傾げている。
「じゃあ、今度は俺の名前、言ってみろ」
リボーンはずいっと身を乗り出すと、ヒバリの顔を覗き込んだ。
ヒバリはまた口を開きかけて、そこで固まってしまった。
何度も口を開いては、ぺろりと舌で唇を舐めている。

「……忘れた」
やがてヒバリは顔をしかめて、ぷいっと横を向いてしまった。

俺は慌てて、ヒバリの身体を抱きこんで顔を覗き込んだ。
「なぁ、あんたどうしちまったの? リボーンの顔忘れちまったのかよ?」
「……リボーン?」
ヒバリは俺の顔を見返しながら、驚くほどあどけない口調で聞き返してきた。
こくこく、と俺は頷いて、リボーンとヒバリの顔を交互に見た。
「そうだよ、アンタのお気に入りのリボーンじゃねーか。まさか忘れちまったとか?」
ヒバリはじっと考え込むそぶりを見せた。

そしてゆらりと瞳の奥で何かが揺らめいた、と思ったら、ヒバリが瞳を丸くして
「………赤ん坊?」と答えたのだ。
「うんうん、そうなのな!」
俺は単純に嬉しくなって、にこにこ笑ってしまった。
ヒバリはもういつもの調子に戻っていて「来てくれて嬉しいよ、赤ん坊」と上機嫌だった。

なんだ、もう普段のヒバリじゃねーか。ちょっと混乱してただけなのかな。
俺はそう呑気に考えて、深く考えることをしなかった。
リボーンがちょっと気遣わしげな顔つきをしていることに、気づいたのに―――敢えて見て見ない振りをしてしまった。
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