小説その2

□ラナンキュラス(花金鳳花)
2ページ/3ページ


仕事の目処がついてほっとしたのか、草壁はやたらと早いピッチで杯を重ねていた。鍋の他に山本が用意してくれた酒のつまみはあっという間に底をついている。
「…ですから、まだイタリア支部が完成してない頃は、恭さんは並盛を基点に世界中飛び回っておられて、忙しいなりにもたまには日本にお帰りになられていたんですよ。それが、イタリア支部が完成した途端、いくらお願いしてもなしのつぶてで! 我々風紀財団委員がどれだけ苦労させられたことか! お分かりですかリボーンさん!」
着物の襟を掴んでがっくんがっくん揺さぶられても、俺は知らねぇよ、この酔っ払いめ!
「ああ、ああ、わかったわかった。」
俺は適当に返事をしながら顔をしかめた。
「それが突然、思いついたみたいに日本へ戻ってこられましてね、それと同時にイタリア支部の建物の改装工事をしたとかなんとか、どうせ殆ど職員も居なくて閑散としていますのに改装ってなんなんですか、改装って! 本当に無茶ばかりおっしゃって。突然の請求書の山を押し付けられて経理処理が大変でしたよ。でもまぁ、それはいつもの彼の気まぐれと思えば可愛いもんです。それはそれとしましてですね、この共同事業の案件を進めるように指示されて、またイタリアにとんぼ返りですよ。最初は一体何がやりたいのかさっぱりわからなくて、何だこりゃ、と首を捻ったものですが、いやぁ、素晴らしい、実に素晴らしい! 並盛にとっても我々にとっても実に素晴らしい! 恭さんが戻ってこられたのはほんの僅かな期間で恐ろしいハードスケジュールでしたが、その間の働きぶりはそりゃもう目覚しくて、やっぱり彼がいないと私どもは立ち行かないのだなぁとしみじみですね……ちょっと、ちゃんと聞いておられますか!?」
「ああ、ああ、聞いてる聞いてる。」
ザルどころかワクみたいな顔つきしやがってるくせに、こいつ、なんなんだこの酒癖の悪さは。

「草壁さんの言ってること、さっぱりわけわかんねー話だけど、楽しそうでよかったのなー。」
山本はヒバリを構うのに夢中で、ほとんど草壁の話をまともに聞いていないようだった。
ヒバリのほうも、分かっているのかいないのか、全然関心をしめすそぶりも見られない。

日本行きの話は、俺から山本に告げるから黙ってろって言ったのに…。
内容ははっきりいってギリギリな感じだったが、まぁこのくらいの漏洩は勘弁してやろう。
山本がニブいやつでよかったぜ。

早々に潰れてしまった草壁は、だらしない顔でこっくりこっくりと船を漕ぎ出した。
ずっとやきもきしていたヒバリの今後の見通しが立って、安心してタガが外れたんだろう。


机の上につっぷしていびきを書き出した草壁にブランケットを掛けてから、山本は鍋をさらえて最後の締めの雑炊を作り出した。
手際良く味を整えてから卵をほぐし入れて、半熟のとろとろになったところでさっとお椀によそってくれた。
うむ、やっぱり料理ってのは、好みもあるだろうが最終的には個人のセンスに掛かってくるような気がする。こいつは確かに天性のもんを持ってるな。

「このお鍋、やっぱり最後の雑炊が一番美味しい。」
ヒバリもかなりご満悦で、嬉しそうに目を眇めていた。
「うんうん、これは俺の一番の自信作だぜー。」
山本は嬉しそうにれんげをヒバリの口へと持っていっていた。
「きみが僕に初めて作ってくれたのと、一緒。」
ヒバリが満足そうに呟いた時、ぴた、と山本の動きが一瞬止まった。
「………うん、そう。そのときのと、一緒の鍋…だぜ。」

「ほー。初めての鍋ねぇ。……ヒバリ、それはいつのことだ?」
「ちょ、リボ…」
何か言いかけた山本を目線だけで黙らせて、俺は再びヒバリのほうを向いてニヤッと笑った。
「うん? …ちょっと、前。」
ヒバリはかなり俺には友好的だし、鍋が美味くてご機嫌なんだろう、わりかし素直に質問に答えてくれた。
「ちょっと前ってーのは、怪我した前か?」
「んー…、そうだね。」
こくん、とヒバリは素直に頷いた。
「そりゃーおかしいなぁ。お前の『恋人』はたしか、料理の腕前は壊滅的じゃーなかったっけ?」
俺の言葉に、山本の顔色が変わった。
口を開きかけるのを再び目線だけで制して、俺はヒバリの返答を待った。

腫れ物に触るように大事大事しているばかりじゃなく、そろそろ『ほころび』を突いてみても良い頃合だろう。
この手の話をするとヒバリはすぐ切れて暴れ出すらしいが、そこは様子を見ながら騙し騙し突いてみるしかない。
ヒバリは俺の言葉にはかなり耳を傾けるほうだから、なんとかなるかもしれない。(それは多分、俺の言うことを聞けば聞いただけ、素敵なご褒美が待っていると身に染みているからだろう)
丁度おあつらえ向きに草壁は潰れているから、聞いているのは俺と山本だけ。余計な邪魔も入らないだろうしな。

ヒバリは小首を傾げて不思議そうな顔をした。
「…そう、だっけ?」
隣で心配そうにしている山本と、鍋の中の雑炊をちらちら見ながら首を傾げている。
「前はヘタでも……いまは、れんしゅう、した、から。」
たどたどしい口調で呟いて、そしてふふっと笑ってぎこちない手つきで山本の頭を撫でていた。

その仕草を見ていると、これ以上追求するのを一瞬躊躇しそうになったが、そこは見て見ぬ振りをして先を続けた。
「どこでだ?」
「それは、……びょう…いん…」
「だけど、鍋作ってくれたのは、怪我する前だったよなぁ? お前確かにさっきそう言ったよな?」

ヒバリは眉をひそめながら逡巡していたが、やがてその猫のような切れ長の瞳で俺を睨みつけて、そしてぷいっと膨れてしまった。
「…知らない、そんなの、どうでもいいよ。」
「どうでもいいこたぁ無いだろう、ちゃんと考えてみろ。」

一瞬ヒバリは遠い目をして、俺の言うとおり考え込むようなそぶりをみせた。
しかしその後つんと顎をそらせてから、まるで甘えるような仕草で山本のほうにもぞもぞと身を寄せた。

「…しらない。ねぇ、僕もうおなかいっぱい。甘いものが欲しいな。」
「おい、ヒバリ。」
「うるさいよ、赤ん坊。あなたの言うとおり、考えた。でも良くわからない。だからもういいでしょ。……ね、デザートちょうだい。」
山本は困ったように俺とヒバリを交互に見つめていたが、ヒバリに促されて気のいい笑顔を浮かべながら立ち上がった。
「ちょっと待っててな。アイス、バニラとマロンとチョコとカシューナッツがあるけどー。」
「カシューナッツとチョコ。」
「リボーンは?」
「………じゃあバニラとマロン。」
「ほいほいー。」

山本が食後のお茶とアイスの用意をしにいった隙に、俺は立ち上がってヒバリの横の椅子に座った。
「ヒバリ、こっちを見ろ。」
「…なに、赤ん坊。」
ヒバリは大儀そうにちろりとこちらを見ると、椅子に凭れてあさっての方向をむいてしまった。
「こら。ちゃんとこっち向け、このワガママっ子め。」
「…うう…」
顎に手を当てて無理やりこっちを向かせたら、悔しそうな顔をしてヒバリが俺を睨み上げた。
力量の差がわかっているのか、むやみに暴れまわることはしないが、それでもご機嫌は急降下しているようだ。

最近山本にでろでろに甘やかされまくってるから、ここらで少し厳しくしてやらなきゃな。

「あんまり我が侭し放題だと、そのうち呆れて見捨てられるぞ。いくら山本が気の良いやつでも、限度ってもんがあるだろう?」
びく、とヒバリの身体が大きく揺れた。
驚いたように見開かれたアーモンド形の瞳に、うっすらと水の膜が張る。
「い…やだ」
「だったらちゃんとおとなしくだな、冷静に物事に向き合って考えて……」
「い、やだ。…見捨てないで、側に居て。…きみにまで……られたら…ぼく、は……」

あたまがいたい。そう言ってヒバリは両手で顔を覆ってしまった。


「ヒバリ!?」
デザートと飲み物を乗せたお盆をテーブルの上に放り出して、山本が真っ青な顔で駆け寄ってきた。
「大丈夫か? どうした、頭痛いのか?」
山本はそのままヒバリの頭を胸に押し付けて抱き込むと、震える背中を優しく撫でさすりだした。
ヒバリはぎゅっと山本の胸にしがみついてぐったりしている。
「ちょっと横になったほうがいい。リボーン、ごめん。すぐ戻るから、アイス食っといて!」
そう叫ぶと、山本はわたわたと慌てながらヒバリを抱きかかえて座敷へと消えていった。

俺は綺麗に盛り付けられたアイスの皿を引き寄せて、スプーンを口に運んだ。
鍋で火照った身体に、ひんやりしたアイスの口当たりが気持ちいい。


まるで傷ついて怯えきった雛が親の保護を求めるように、山本に縋りついていたヒバリ。
そんなに構ってもらえなくなるのが―――見捨てられるのが、怖いのか、おまえは。


バニラとマロンのアイスを食べつくしても二人が戻ってくる気配が全く無かったので、結局チョコとカシューナッツも俺が食っちまった。
まぁ、半分溶けてしまっていたから、別に怒りはしないだろう。
うむ、濃厚なのに後口さっぱり。ボンゴレを首になったとしても、山本は料理の腕だけで食っていけそうだ。
それでもまだ帰ってこなかったから、エスプレッソとカプチーノも全部飲んでやった。



かなり経ってから戻ってきた山本はしょんぼりしていて、それはそれはなさけない態だった。
「ヒバリ、頭痛いの治らないって。ずっとしがみついて離れなくてさ…。ちょっと氷枕作って持っていくのな。リボーン、放ったらかしでごめん。」
山本は机の上に放置状態だった食器を流しに運んで水に浸けた後、冷凍庫を開けて氷枕の準備を始めた。
「リボーンはやっぱりすごいなぁ。あのヒバリが暴れ出さずに、ちゃんと話聞いてたもんな。…頭痛くなっちゃったけどさ。」
「同じこった。お前が相手だと、暴れりゃ話をやめるから暴れるだけだろうし、俺だと力じゃかなわないからしぶしぶ向き合おうとするが、結局身体が拒否して頭痛がするのさ。」

どうあっても、ヒバリは自分の記憶混濁と向き合う気が無いらしい。

俺はため息をついて肩をすくめた。
「まずいな、この状況は。とりあえず怪我が治るまでは、出来るだけ刺激しないで様子を見てたってーのが裏目にでたかもな。このままじゃ、間違った記憶がどんどん心を占めちまうかもしれんぞ。」
はっとしたように山本が振り返った。
「…それ……って?」
「ツナとのことを少しずつ忘れちまって、それとは逆にお前とのことがどんどん心の中を占めていって。そして最初からお前が正真正銘の『恋人』だったんだって思い込んで、ずっとそのままだってことだよ。」
「そ…んな……。だけど、そんなの、だめ…だろう? 俺はただ、忙しくてヒバリに付いててやれないツナのかわりに、期間限定で『恋人ごっこ』やらせてもらってるだけで…!」

『恋人ごっこ』。
自分は本物の恋人の身代わりだから。あくまでもこれはひと時の夢のような出来事なんだから。
だから気づいちゃいけない、だから期待しちゃいけない。
そう、自分に言い聞かせているようだった。

「人間の記憶なんて、案外と曖昧で不確かなもんだからな。それに本当に辛いことってのは、脳が意図的に忘れよう忘れようとするらしいぜ。でないと……生きていけなくなっちまうんだとさ。」
不慮の事故でヒバリの記憶はぐちゃぐちゃになってしまったが、果たしてそれが当人にとっては良かったのか悪かったのか。
「まぁ、記憶が戻ったほうが幸せなのか、戻らないほうが幸せなのか―――当人含めて、そんなこたぁ誰にもわかりゃしないんだけどなぁ。」
俺の呟きを聞いて、山本は唇を噛んで下を向いてしまった。
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ