小説その2

□南十字星(サザンクロス)
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僕の怪我は比較的軽いもので(もちろん常人とは感覚が違うだけかも)、骨折による発熱さえなければそんなに大変でもない(はずだ)。
この、熱にはとても悩まされた。
常になんとなく身体がだるくて、頭が朦朧とする。

僕がほとんど八つ当たりのようにきつく接しても、彼はにこにこしながら僕を抱き起こして、ずっと背中をさすってくれた。
胸にそっと頭を凭れさせてみれば、僕の髪をぎこちない、だが優しい手つきで撫でてくれて。
瞳を閉じたまま彼の胸に耳を押し付けると、とくん、とくんと規則正しい心臓の音がまるで子守唄のように心地良くて、すこし気分が良くなった。
まるで自分らしくない行動だったけれど(そうだったっけ?)、僕はどうしても彼から離れがたくて、ぎゅっと左手で彼の服を握りこんで、すりすりと身体を密着させた。

「ヒバリ?」
戸惑ったような声が頭上から降ってくる。
「どうした? そんなにくっ付いて来て…。さっきより調子悪いのか?」
返事をするよりもくっついていたかったので目を閉じて更に擦り寄ったら、彼はそれを肯定と取ったらしく、途端におろおろしだした。
「熱、上がってきたのかな。具合わるい? 吐き気とかするか?」
「違う。……こうしてると…」
僕は顔を一瞬上げてそう言うと、また目を閉じて彼の胸に顔を埋めた。
「ん? ヒバリ、なに? どうしても無理そうなら、あんた嫌がるけど、ドクター呼ぶから…」
無言で首を振って、彼の手を取って頬に押し当てた。(ほんのり冷たくて、気持ちいい)
「こう、してると…気持ち、いい。」
彼は僕の言葉を聞いて一瞬硬直したが、すぐに力を抜いて笑い出した。
「そっか。良かった。あんたが具合悪くなったんじゃなくて。」
「ん…。熱、下がった気が、する。」
「ははは、そっかそっか。」

それはただの気のせいだと、発熱して熱い僕の身体を抱きとめている彼には分かっていただろう。
でも彼はそれを指摘したりはせず、不器用な手つきでずっと僕を抱きしめては頭や背中を撫でてくれた。
僕がいつしか眠ってしまうまで、ずっと。





怪我をしたことは業腹だったけれど、彼と二人きりで過ごせるのは悪くなかった。

ここでは誰も邪魔しない。
ゆったりした時間を邪魔する電話も鳴らないし、彼を呼びにくる忌々しい部下も居ない。

僕は思う存分彼を独り占めできて、とてもいい気分だった。(怪我しているのにね、変なの)


その幸せなひとときが破られたのは、突然の来訪者のせいだった。

「よぉ、案外元気そうじゃねーか。」
その招かざる客は、ドアのところに片手を付いてにやりと笑いながら帽子に手を当てていた。
一見して只者では無いとわかる風貌だ。
僕の恋人は、その男を見るなり嬉しそうに笑ってぶんぶんと手を振っていた。

不意に胸がきゅうっと苦しくなって、息をするのが辛くなった。(どうして?)


二人とも笑いあいながら軽口を叩きあっている。
話をしている内容はどうでも良さそうなことで、正直右から左で全然興味を持てなかったが、何故だろう、とても嫌な気持ちになった。

男が彼に近づいて、額を小突いているのをみて、知らず僕は眉をひそめていたらしい。
「ヒバリ、調子はどうだ?」
男に声を掛けられても、答える気には全くなれなかった。

男は彼よりも上の立場の者らしかった。
職場の上司? 彼を、連れ戻しに来たの?(そんなの…いやだ)


彼の服の袖をぎゅっと掴んで、男の顔を睨みつける。(なんて、うっとおしい)

男は得体の知れない表情で僕を見返していたけれど、突然とんでもない殺気を放ってきて『自分の名前を言ってみろ』と問い詰めてきた。
正直、瞠目した。
もちろん気に入らなくてうっとおしいのは変わらないけれど、これだけの実力の持ち主と合間見えるのは悪くない。
僕は若干回復した気分のままに、男の質問に答えようとした。

ヒバリ。それが僕の名前。
目覚めた時から、彼がずっと僕に対して呼びかけていた単語。
さっき、この男だって僕にそう呼びかけていたくせに。
「ヒバリだよ。」
僕はあくび交じりに答えた。

それで満足するかと思ったのに、男は更に『フルネームは? 下の名前、言ってみろ。』と畳み掛けてきた。
そんなの簡単じゃないか。
僕は口を開きかけて、また閉じた。(何にも、思い浮かばない)

男は今度は『俺の名前、言ってみろ』と言い出した。妙に確信めいて言い放つその態度からは、答えられて当然だろう、という態度がにじみ出ていた。
僕はこの男と親しかったのかな。言われて見ればそんな気もする。だって、この男の実力は―――実に、僕好みだ。(とても、興味深いね)
でも、頭の中には何も浮かばない。

何度か答えようとしたけれど、やっぱりわからない。
「忘れた」と言って顔をしかめて横を向くと、僕の恋人は慌てて僕の身体を抱き寄せてくれた。

そのぬくもりを肌で感じた途端、先ほどの胸の痛みは跡形も無く消え去った。
ふわふわして、とても安心するね。(気持ちいい)
いつもこうやって、僕だけを見てくれたら、いいのに。(それは過ぎた望みだと、わかっているけど)


安心したら、突然目の前がぱあっと開けた気がして。
彼が耳元で囁いた、男の名前らしい『リボーン』という言葉がじわじわと胸に染み込んでいく。
リボーン。
「………赤ん坊?」
その気障な仕草も、偉そうな物言いも、いつもと全く変わらない。僕の興味を惹いて止まない、不思議な男。(もちろん彼の次に、だけれど)
どうして、忘れていたのだろう。まるで狐につままれたみたいだ。

僕が思い出したことをまるで自分のことのように喜んで、僕の恋人はずっとにこにこと笑っていた。
知らず、僕の機嫌も上っ調子になる。

「来てくれて嬉しいよ、赤ん坊」
そう、確かこの男は彼の――彼の――上司? 師匠? それとも…? (なんにも、わからない)
なぜだかそこから先は全く思い浮かばなくて、僕はすぐに考えることを放棄した。

赤ん坊はいぶかしげな表情でこちらに顔を向け、ボルサリーノのソフト帽を抑えながら軽くため息をついた。
僕を見る目つきは、とても奇妙だった。





赤ん坊の次は哲が来た。


最初、妙に腰の低い変な髪形の老け顔の男が来た、と思ったのだが。
睨みつけて追い返そうとしたら、入り口で立ち往生してしまってものすごく邪魔だった。

席を外していた彼が戻ってきて、慌てて側に飛んできてくれたけれど、その目触りな男を排除するどころか中に入れようとしたのが気に入らなくて。(どこにいってたの)
僕は盛大に膨れてしまった。
どうしてそんなに誰にも彼にも愛想を振りまくの。

僕の機嫌が急降下したのがわかったのか、彼はぽんぽんと宥めるように僕の頭を軽く叩いて、変な男の名前らしきものを連呼しだした。
その男なんて正直どうでもよかったけれど、彼に頭を撫でられていると、すうっと嘘のように怒りが静まって……唐突に思い出した。
こんなすごい髪型は、昔からの僕の側近しかいないじゃない。

「………あぁ、哲。」
(本当に不思議。僕はどうかしたのかな)

そう思ったのはほんの一瞬で。
最初、哲を認識できなかったのも、後で唐突に思い出したのも―――僕にとっては当たり前、なんの不自然も無いことのように思えた。



それなのに。
それから俄かに騒がしくなった。

どうして放っておいてくれないの? 僕はただ、彼と二人きりで静かに過ごしたいだけなのに。(そんなこと、言えないけれど)

何度も気に入らないと不満を訴えたけれど、心配性な彼は「お医者さんのいうとおりにしような?」と繰り返すばかりで。
結局長いだけで退屈極まりない検査を延々と受けさせられてしまった。
ただ、これさえ終われば退院できる、と彼が言ったから、辛うじて我慢できた。
それに、僕のご機嫌を取ろうとあの手この手で宥めすかしてくる彼を見ているのは、正直楽しかった。(ほんのすこしだけ、ね)



だらだらとくだらない質問攻めにされた割には、退院の手続きはびっくりするくらいスムーズだった。

医者の助手がわけのわからない事を言い出したときに、本気で僕が暴れようとしたことも関係しているのかもしれない。
『あ、この人ですか先生、頭おかしくなって混濁の症状を出されている人って…』
その助手はあけすけに医者に話しかけながら僕をちらちらと盗み見してきた。それはいかにも研究材料にしたい、みたいな興味津々の目つきだった。
ドイツ語だから僕には意味がわからないと思っていたらしい。(おあいにくさま、わかるんだよ)
何故だろう、言われた瞬間にそいつを消してやりたいくらい腹が立った。

「僕のどこがおかしいっていうの!」
僕は怪我なんて気にもせずに、そいつを排除しようとした。
派手な音を立てて椅子が蹴倒され、テーブルの上の書類が部屋中に飛び散った。
看護婦の悲鳴やら医者の叫び声から助手の泣き声やら……とにかく一瞬あたりは騒然となったのだが。

「ヒバリ! あんたなにやってんの!」
大慌てに慌てた彼が飛び込んできて、僕をぎゅっと抱きしめた。
「だって。……僕のこと、『おかしい』って……」
「ない、ない、そんなことないから! だから頼むから暴れないで? 怪我が余計酷くなる!」
抱きしめる腕に力が篭ったのがわかる。その手は細かく震えていた。(…僕のせい?)
先ほどまでの訳の解らない怒りは驚くほどすうっと雲散霧消して、ただ抱きしめられた身体に触れる彼の心地良いぬくもりだけが残った。

「あんま、心配、させないで? なぁ……」
「………ん…。」
僕は頷いて力を抜いた。
じろりと医者たちを睨むのは忘れなかったけれど。





退院した僕を彼が連れてきたのは、日本風の大きなお屋敷だった。(ああ、そういえば、そうだったね)
先に哲が到着しているはずで、幾重にもかけられたセキュリティは解除しておくと言っていた。

「恭さん! 山本さん! どうぞこちらへ。お疲れだったでしょう。」
出迎えた哲の後ろから、黄色い弾丸のようなものが飛び出してきた。
「ヒバリ、ヒバリ!」
小さな小鳥がぱたぱた羽ばたきながら、一生懸命そう囀りながら僕の周りに纏わり付いてきて、ちょっとびっくりした。
そういえば、哲も『恭さんの鳥を…』と言っていたし、彼も『ヒバードが来てるなら、あんたすぐにでも帰りたいよな?』と念押ししていた。(この子のこと?)
すいっと手を出せば、指先にちょこんと止まってきて、くりんとした愛くるしい瞳で僕を見つめてくる。(可愛い)
その瞳は僕だけを見つめている。そう、ずっと前から…(どうして忘れていられたんだろう?)

日本にいたときに懐かれてから、ずっと僕の側を離れなかった黄色い小鳥。
どうして僕はこの子を置いて、こんな異国の地に来たんだっけ。(そう、ここは日本じゃない)
それは……彼はとても忙しいひとで、僕がこの地に追いかけてこなかったら、きっと関係は始まりもしなかったからで……。

ぼんやりと考えながらも、手から肩に誘導してやれば、小鳥は肩の上で嬉しそうに歌を歌い出した。
僕も懐かしくて嬉しくて小鳥をずっと構っていたら、いつのまにか男たち二人が消えている。
まさか、退院したから側に居なくても構わない…と思われて、また仕事に行ってしまったのだろうか。

俄かに襲ってくる不安。(ひとりは、いや)
探しに行きたかったけれど、一人では立てない今の僕には、何もなすすべが無くて。
ただソファーでぽつねんと蹲っていることしかできなかった。

僕の不安を感じ取ったのか、小鳥がすりすりと頬に頭をこすり付けてくる。
「ん…。大丈夫だよ、だいじょうぶ……」(…じゃ、ない、かも)
底なし沼に落ちたかのような、例えようもない不安が襲って来て、ぞくぞくと背中が震えた。

どうしようもなくて固まっていたら、向こうからドタバタと忙しない彼の気配が近づいて来て。
人好きのする笑顔を浮かべて僕に近づいてくる彼を見た瞬間、安堵のあまり意識が遠くなりかけた。

良かった。まだ、僕のそばに…いてくれるんだね、きみ。

でも、僕はそれを態度にも言葉にもうまく出すことなんて出来なくて。(素直になんて、なれない)
「…ちょっと、どこ行ってたの。」と嫌味みたいな言い方が精一杯だった。


――僕にもうちょっと、可愛げというものがあったなら。
きみとの間に起こしてしまった軋轢やすれ違いの数々も、少しは減っていたのだろうか。(…すれ違い? なんのこと?)


でも彼はちっとも気にしてないようで、にこにこ笑って『飯つくるから、もうちょっと待ってて』と言って僕の頭をぽんぽんと撫でてくれた。
その懐っこい仕草に、僕がどれだけ救われたのか――きっときみは、知らない。
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