小説その2

□大反魂草(ルドベキア)
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南十字星(サザンクロス)の続き



翌日から、彼は僕を仕事場に連れて行ってくれるようになった。
暫くは僕に会いたがる者や、様子を見にきたがる者などが居て煩わしかったが、彼が一生懸命対処して、僕からなるべく遠ざけてくれた。
彼は僕の我が侭を叶えるために色々と心を尽くしてくれて、かなり大変だったのではないかと思う。

確か、僕は彼の仕事関係の上層部からあまり良く思われていなくて。(詳しくは…覚えていない)
僕に好意的なのは赤ん坊くらいで、後の古株たちはかなり失礼なことを僕に頻繁に言って来ていた気がする。(殆ど相手にもしなかったから、記憶に残っていないんだろう)
その連中から横槍も入ったのだろう、彼は初日にかなり訳のわからないことを言い出したり、ため息を何度もついていたと思ったら突然泣き出したりしていた。


初日の昼間に、僕に馴れ馴れしく声をかけてきた茶髪の男も彼の仕事関係の人間だったのだろうか。

その男に「ヒバリさん!」と呼びかけられたとき、何故だろう…両手で耳を塞いで蹲ってしまいたくなった。(この人の声…聞きたくない)
実際は、僕は怪我をして自力では動けないから、相手をただ睨みつけるだけしか出来なかったけれど。(思い…ださせないで)

彼はその人の登場にとても喜んで(気に入らない)、嬉しそうに男と話をし出した。(僕を放置して!)
その上、僕にまでその男に愛想良くしろといってきたのだ。(どうして僕が?)
――あんまりだ。

僕は彼の気を惹こうと、服の袖を引っ張りながら「おなかすいた」と主張してみたのだけれど、それは失敗に終わってしまった。
なんと彼は「ちょっとだけ、待っててな、な?」と僕よりも男を優先した挙句、その人に僕の食事の世話をさせようとしたのだ。
これには全くもって驚いた。
「どうしてきみが食べさせてくれないの!」と僕は口を尖らせながら不満を訴えた。
そうでもしないと、どうにかなってしまいそうだった。(彼が、僕を、蔑ろにするなんて!)

男は彼よりも上の地位の人間なのだろうか、『彼の代わりに介護専門の者を手配する』などと言い出した。
僕から彼を取り上げようなんて――いい度胸してるじゃないか。
僕は俄然やる気になった。(おとなしくしてるなんて、柄じゃない)
腕や足が砕けようが、使い物にならなくなろうが、そんなこと知るものか。

起き上がろうともがいていたら、彼が慌てふためいて『俺がする、今まで通り俺がするから、頼むから暴れないで! 傷にさわるから!!』と僕の身体を押さえに来た。
押さえつけられて不満だったけれど、内心ちょっと小気味良かった。
やっぱり、彼は僕を優先してくれる。

彼は尚も男とごちゃごちゃと揉めているようだったが、僕は殆ど聞いていなかった。
ただ、彼が時折ちらちらと僕に向ける心配そうな瞳の色、それをもっと向けて欲しくてずっと彼の顔ばかり見上げていた。(僕だけを、みて)


幸いなことに茶髪の男はとても忙しいようで、結局すぐに僕たちの側から離れていった。
去り際に僕の名前を馴れ馴れしく呼んだかと思うと『すぐ戻ってきますから』とか『ゆっくりお見舞いしますから』などと言っていたが、僕はあさってのほうを向いて無視してやった。(なんてずうずうしい!)

部屋に連れ帰ってもらった後、僕はその男が消えてとても気分が良くなったので、彼が差し出してくれる食事を心ゆくまで堪能できたのだけれど、彼のほうはとても気持ちが沈んでしまったらしい。
何度もため息をついては暗い表情をしていた。
どうやらその男と、この僕が『恋人』関係を結んだと、上層部あたりから吹き込まれたらしい。(なんてでたらめを!)
最近は同性でも縁故を結ぶために形式上の政略結婚をするのが流行っているし、何故か彼は『僕がその男の恋人になった』と思い込んでいて、それはそれは気の毒なほど動揺していた。

きみがいるのに、仕事上のつきあいでも僕が『お見合い』なんかすると思っているの?

唇を震わせて泣きそうに震えているきみを見た途端、愛おしさが胸いっぱいに込み上げてきて。
そっと彼の髪を撫で付けて、頭を引き寄せて胸に抱き込んだら、彼はとても情けない顔をしながら僕にすがり付いて泣き出した。

僕はかなりの天邪鬼だから、なかなかねぎらいの言葉を掛けたり殊勝な態度をとったりすることは難しい。(どうしても、できない)
せめて泣いている彼を抱きしめて、甘やかしてあげるくらいのことはしてあげたいと思った。


大型犬みたいな図体の、いい年をした男が僕にしがみついて泣いている姿というのは、傍から見たら多分とても滑稽だったと思うのだが―――僕は内心、とても嬉しかった。
僕に甘えてくれているんだな、と思ったら、弱みを見せてくれる彼がとても愛しくて。
生来僕は気が短いほうだと思うんだけれど、彼に関してはどこまでも寛容になれる気がする。

きっと彼も、僕の怪我で予想外のことが多くて精神的に疲れているんだろう。
『名前を呼んで』などと言っては僕に縋りついてきていた。
何故だかとっさに彼の名前が浮かばなくて首を捻ってしまったんだけれど、幸いなことに鳥が『ヤマモト!』と連呼しだしたのですぐに思い出した。
そう、哲や赤ん坊が彼の事を『やまもと』と呼んでいたじゃない。

下の名前を……と請われたけれど、それはどうしてか全く思い出せなかった。
結局彼はそれ以上強くは言わなかったので、僕もすぐに忘れてしまった。
それが可笑しなことだとは―――ちっとも思わなかった。







よくわからないが、その日以来色々と吹っ切れたのか、彼は前以上に僕を甘やかし、そして甘えてくるようになった。
この僕が、ひとりでいるのが好きで群れなんか煩わしくてたまらなかった僕が――誰かとこんなにべったり過ごすなんて、信じられない。
中学生の頃の僕がそんなことを小耳に挟んだら、きっと鼻でせせら笑っただろう。

それなのに、どうだろう。
彼の身体の前に座らされて、後ろから抱きしめられると、こんなにも心が落ち着くなんて。

事あるごとに彼はそうやって僕の背中に密着しては、すりすりと頬を摺り寄せてきた。それが彼なりの『甘え方』らしい。
「ヒバリの髪の匂い、落ち着くのなー」
「…同じシャンプー使ってるんだから、同じ匂いだろ」
「そんなことねーよ。ヒバリのは…なんか、こう…さ」
彼はそれ以上は何も言わず、ただ僕の肩口に顎を乗せて顔を髪に埋めていた。
僕もそんな雰囲気が嫌ではなかったので、ただ黙って彼の心臓の音を背中越しに聞いていた。


赤ん坊の知り合いの医者が送ってくれた治療専門の匣の効果もあって、かなり早い段階で介護用ベッドが要らなくなった後は、一つの布団に包まって寝るようになった。
以前は風呂も僕を入れてから後で彼一人で入っていたのに、今では二人一緒に入っている。

怪我をする前も、こうしていつも一緒に風呂に入って一緒の布団で寝ていたのだろうか。
何となくどうだったか思い出そうとして、何故だかひどく不愉快な気持ちになったので、それ以上思い出すのを止めた。

こういうことは度々あった。
それは彼がお酒を手に取ったときだったり、彼の職場で外を眺めているときだったり。
本当に何でもない些細なことで、突然(これ以上、考えちゃいけない)という妙な気持ちになってしまって、目を背けたり聞こえないふりをしたりした。


それでも、どうしても誤魔化しきれないときも出てきた。

たまに彼は痛みを堪えるような悲壮な顔つきで、僕にあの茶髪の人の話をしようとすることがあった。(また周りから色々言われたの?)
最初のうちは寝た振りや聞こえなかった振りでなんとか誤魔化してみたが、そんな子供だましの手段はすぐに尽きてしまう。
そして、彼はとても熱心に真剣な眼差しで僕にその話をしようとしてくるので、どうしても無碍には出来なくてしぶしぶ耳を傾けようとした。(そんな話、聞きたくないのに)

ところが―――駄目なのだ。
何故だろう、その人の話をちらりとでも聞くたびに、足元が崩れ去って奈落の底へと落ちていくような気分にさせられる。
僕はそれがすごく嫌で、彼がその話を持ち出そうとするたびに派手に膨れて暴れようとしてみせた。(お願い、やめて)
すると彼は決まって酷くおろおろして、そしてすぐに謝っては僕をぎゅっと抱きしめてくれた。じっとり冷や汗をかいて荒い息をつく僕の頬をそっと撫でながら。


そんなことを繰り返すうちに、彼はその話をふっつりとしなくなり、そして僕は味を占めてしまった。
僕が無茶しようとすると、彼は殊更優しくなって甘やかしてくれる。呆れて見捨てたり、眉をしかめてため息をついたりなんかしない。
そう思うともう駄目だった。やめようやめようと思っても、どうしてもそうやって我が侭を言いたくなってしまう。

本当はもう食事だって自分で殆ど出来るのに、わざと言わないでずっと彼に食べさせてもらったり。
歩くのだってもう普通にできるのに、わざわざ彼に抱いていってもらったり。
気まぐれに彼の髪の毛を毟ってみたり、跡が残るように頬に派手に爪を立てたりもした。
そう、僕は悪い遊びを覚えてしまった。

いや―――ただ、確かめたかっただけなのかも、しれない。
どんなに僕が我が侭を言っても、彼は嫌になったりしない、そばにいてくれるんだ…ということを。
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