小説その2

□大反魂草(ルドベキア)
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病院に一度様子を見に来たきりだった赤ん坊が、仕事ついでに泊りにきた。

哲と日本での共同事業について詰めたかったらしくて、二人で長々と話し込んでいた。
哲は本気で彼と僕を日本につれて帰りたいらしく、この事業に大いに乗り気だ。
詳しいことはまだ知らされていないが、どうやら赤ん坊さえ「うん」と言えば、彼はこの事業の責任者として日本に行くことになるらしい。

彼の仕事って―――そんなに簡単にイタリアを離れることができるような仕事だったっけ? (ならば何故わざわざ僕がここに来たの?)
そんな疑問が一瞬頭に浮かんだが、彼が台所で野菜を洗っているのを見ていると、そんなことはどうでも良くなってしまった。



赤ん坊を風呂に案内しにいった後、戻ってきた彼は――なんだかいつもと様子が違っていた。
表面上は普段と変わり無く接してくれていたが、ふとした拍子にちらりと見せる表情が、何故か僕を落ち着かなくさせた。
どこがどう、とは言えないのだけれど…。
なんだか彼は覚悟を決めてそれをやりきったような、妙にさばさばした顔つきをしていた。

僕たちが風呂に入る順番になったときも、普段ならご機嫌で鼻歌を歌ったりする彼が、やけに神妙な顔つきで僕の身体をそっと抱き上げた。
ひょっとしたら食事のときに僕が調子が悪くなってしまったから、静かにしてくれているのかもしれないけれど。
どうして僕は調子を崩してしまったんだろうか…何故だか酷く曖昧なので敢えて知らん振りを貫いた。(思い出したくない)


僕の鳥は今日は風呂場まで付いてこなかった。いつもより風呂に入る時間が遅かったため、待ちきれずに寝てしまったみたいだ。
頭の上に黄色いぬくもりがないのは、ちょっと寂しかった。

その代わりに彼が僕を抱きかかえるようにして湯船に一緒に浸かってくれて、ほっと安心する。
怪我が完治して一人で風呂に入ることになれば、さぞかし味気ないだろうな……と僕はぼんやり思った。


身体がぽかぽか温まったところで洗い場に上がって、彼は普段よりもかなり時間をかけて僕の身体を洗ってくれた。
どうしたんだろう、なんだかすごく丁寧に隅から隅まで洗ってくれている。
ちらりと気づかれないように彼の姿を見たら、すごく複雑な顔つきをしていた。
どう表現したらいいのか…。まるで僕の髪の毛の先ひとつ、隅々まで全部覚えようとするような、そんな感じだった。(…変なの)

ふと思いついて「ね、背中流してあげようか?」と言ったら、ものすごくびっくりした顔をして「い、いやいいよ! あんた体調万全じゃないし!」とすごい勢いで叫びだした。
「…左手は、無事だよ?」ムスッと膨れてそう言ったら
「うーん、ありがたいけどさ。でもな、やっぱり、俺があんたを洗いたいんだ。な?」そう言ってあやす様に僕の耳たぶをくすぐった。
「もう…、くすぐったいよ」
「耳のうしろも綺麗にしような。だからちぃっと我慢な」
そう言って笑った彼は、突然後ろから僕の首根っこに抱きついて来て、暫く無言で肩口に顔を埋めていた。
「………なに?」
そう聞いても
「…ん。なんでもないのな」
彼は泣きそうな顔で笑うだけで、答えてくれなかった。



風呂から上がっていつものマッサージを始めても、彼はどことなく心あらずという感じで妙だった。
そんな彼をちらちら見ながら、あまりの気持ちよさにいつしか僕はうとうととまどろんでいた。



◇◇◇



僕は寒さでかじかんだ手を擦り合わせて、側の建物を見上げた。窓からは眩しそうな明かりと楽しそうなざわめきが聞こえてくる。

その建物の後ろに、見たことも無いような蜂蜜色をした月がありえない大きさで空を覆っていた。

そこで気がついた。
ああ、これは夢だな…と。
最近とみによく見る夢、きっと今回もそれだろう。
いつも僕はその不思議な色をした月を見て、『これは夢だな』と再確認する。
だってこんな色の月なんて、見たことも無いもの。


なぜかその夢の中では、僕の恋人は彼じゃなかった。
では誰なのか―――というと、これがいつも必ず上半身が影になっていて、どんな姿なのか絶対わからないようになっていた。
声も、その人物が喋るときはザザーという機械音に変換がされていて、言っている内容はわかるのにどんな声色なのかが全くわからない。
ただ、なぜかその人は、僕が夢の中で必ず見る月と印象が重なっていて。
夢の中の僕はその月を見るたびに狂おしい気持ちで一杯になって、ふらふらとこうしてその人に会いにやってきてしまうのだった。


この夢の中では僕はふわふわと空に浮かんだ星のひとつになって、夢の中の自分の行動をただ傍観するのみ、という…もどかしい状況に置かれていた。
夢の中の自分の心境は手に取るようにわかるのに、全く持ってその行動に一切口を挟めない。ただ淡々と見つめることしか出来ない―――まるで気に入らないお芝居を強制的に見せられているような、そんな気分だった。


シルエットの男の周りにはいつも華やかに着飾った人々が戯れていて、笑いさざめく人の中に紛れて男はとても楽しそうだった。
男は僕に手を差し出しながら誘う。
『どうぞ、ヒバリさんも一緒に来てください』
けれど、どうしても僕にはその手を取って豪華絢爛な人々の輪の中に入っていくことはできなくて。
木枯らしが吹く窓の外から、その舞踏会のような光景をただ黙ってみているだけだった。

我慢できない。どうしてそんなに群れたがるのか全く解らない。
僕が軽く首を振ると、男はいつもため息とともに苦笑いを漏らした。
僕を見るその瞳は『でも、これがオレの仕事なんです。避けては通れない、オレの使命なんです』と僕をなじるようだった。

男はいつも僕に手を差し伸べてくれるのに、僕は断固として拒否をする。そちらから来ればいいのに、とあくまでもその態度を崩さない。
僕は男にとても執着しているくせに、絶対に自分から男に歩み寄ろうとしないのだ。


そして舞台は暗転して―――ここからが笑える。
その人々の中から「ヒバリ!」と僕を呼びながら、彼が走ってくるのだ。
そう、僕の恋人は、なぜか夢の中では恋人ではなくて。
ただの僕の仕事の同僚、という設定だった。

ただの同僚なのに、彼は僕のことをそれはそれは心配して。
僕の頭よりも大きな爆弾みたいな巨大おにぎりを作ったり、大きな土鍋を頭から被って運んで来ては焚き火の上で鍋パーティを開こうとしたりした。(二人っきりなのに!)

そして―――そして。
この後はいつも同じ展開だ。
いやなゆめ、ほんとうに、いやな、ゆめ…
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