小説その2

□花浜匙(スターチス)
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大反魂草(ルドベキア)の続き





その日も、僕は相変わらず彼の仕事場についていった。

黒い着流しの着物を着た僕を、彼は軽々と抱いて中庭を突っ切っていく。
それはもうすっかりおなじみになってしまった光景で、すれ違う職員たちも驚くことも無く普通に僕たちに軽く会釈をして通り過ぎていく。
僕はそれに答えて軽く会釈を返す術を覚えていた。

どうも僕は以前はとんでもなく無愛想というか、周りに無関心だったようで、最初そうして彼に合わせて会釈をしていたら、相手が腰を抜かさんばかりに驚いていた。

腕に抱かれたままそっと彼の顔を見上げてみる。
不思議だね。ただ側にいてくれるだけなのに、とても沢山のことを君から教わっている気がするよ。
くすくす笑いながら彼の腕にすりすりと頬を押し当てると、「ん? どうしたー、えらくご機嫌さんだなー」と言われてぽんぽんと頭を撫でられた。

僕はそんな関係がずっと続いていくと思っていた。
当たり前みたいに君がいて、僕の側でずっと笑っていてくれる。明日も明後日もその先も、ずっと。



赤ん坊が泊まりに来た後の哲からの報告によると、彼の日本行きはほぼ確実になったとか。
「当然、恭さんも日本へお帰りになってくれるんですよねっ!」と緊張しながら尋ねて来る哲に、僕はこくりと一つ頷いた。
僕にとってはアラスカだろうが南の孤島だろうが、そしてこの異国の地だろうが、彼がいるならどこでも一緒のことだ。
どこへだって付いていくし、場所なんてどこでもいい。そう思っていたはずなのに、やっぱり日本に帰れる…と思ったらすごく楽しみになってきて嬉しくなった。

「そうですか! いやぁ良かった。山本さんの話を球団にしたところ、出来るだけ早くお会いしたいということでして! もう、この支部の事後処理などは後回しにして、とにかく日本へ帰国の準備を先に整えてしまいましょうね!」
哲はやたらと口早にそう捲し立てると、それからバタバタと忙しなく走り回っていた。
僕はもうその件に関しては哲に一任しているから、いちいち細かい説明も求めなかったし、好きにすればいいと思っている。

「日本は今とても紅葉が綺麗ですよ! 仕事の打ち合わせがお済みになったら、お二人で温泉ででもゆっくりなさってください」
そう言ってどっさり渡された温泉のガイドブックやパンフレットは、確かに退屈しのぎに見るには良いものだった。



彼が仕事をしている横でぱらぱらパンフレットを捲っていたら、一段落付いた彼が興味深そうに僕の手元を覗き込んできた。
「なに? ヒバリ、温泉行きたいのか」
彼は僕の隣にくっつくように座って、一緒に本を眺め出した。

「へえー、俺こんな豪勢な旅館、行ったことねーなぁ。修学旅行の時の旅館とかしか知らないや」
「ふぅん」
「こういう高級旅館って、何して過ごすんだ? 飯食ってごろごろしてまた飯食って終わりなのか?」
「……温泉で療養するんだよ。打ち身や骨折にいいからって哲が…」
彼はあーっという顔をして、温泉の効能の欄をしげしげと眺め出した。

「なるほどなぁ、温泉でも微妙に効果が違うのな。へぇー、ここなんか飲める温泉ってのがあるんだって」
「ここ、気になる?」
「そうだなー、外湯の施設も町中に色々あるんだって。楽しそうな温泉地だよなぁ」
「…じゃあ、そこ行きたい。日本に帰ったら、連れてって」
そう言うと、彼は何故か一瞬息を詰めて、そのあと苦笑いをしながら僕の頭をぽんぽんと撫でた。

「……駄目なの? ここ、嫌い?」
「いや、そんなことはねーけど…」
彼は困ったように視線をうろうろと彷徨わせながら言葉を濁した。
「きみが気に入らないなら別のところでもいいけど」
「あ、いや、そこ良いと思うぜ。ほんとほんと。だけどなぁ、ヒバリ、そういうのはちゃんと体調が万全になってから決めよう、なっ?」
「万全じゃないから療養がてら行きたいのに…」
そう言ってツンとそっぽを向いてみたら、彼は大慌てで僕のご機嫌を取り出した。
「いや、そーいやそーだな。でもさ、だけどさ……じゃあこうしよう。あんたの身体がもうちょっと良くなって、それでも覚えてたら、その時また話しよ、なっ?」
「……どうして今、ちゃんと約束してくれないの?」
首を傾げて彼の顔を覗き込むと、ぐっと押し黙られてしまった。

「……できるかどうかわかんねー約束は、したくないんだ。あんたそういうの、嫌いだろ?」
「それは、そうだけど…」
僕は内心首を捻った。
彼って、そんな性質だったっけ?

あそこに行きたいあれを見たいこれを食べたいと大騒ぎしては、結局肩を落としてしょんぼりして『すいません、時間作れませんでした。この埋め合わせは後日必ず!』と言うのが口癖だったじゃない。
きみの夢物語みたいな願望を聞くのは、僕も嫌いじゃなかったよ。
……せめて僕と誓ったたった一つの約束事くらいは、守って欲しかったけどね。(…約束? なんだっけ?)



「あはは♪ 山本クンらしいね〜。雲雀ちゃん、どうせ覚えていられるかどうかわからないんだから、口から出まかせでもいいから適当に約束してあげればいいのに〜♪」
いきなり現れた男が、にこにこしながら僕の顔を覗き込んだ。
テラスの引き戸が開いてカーテンがひらひらしていたから、多分そこから入ってきたんだろうけれど……全く気づかなかった、この僕が。

一瞬息を詰めていると、となりの彼が「白蘭、ずいぶん早いな。わざわざ来てくれてありがとな」と慌てて立ち上がった。
「いいよいいよ〜♪ 僕もこの世界の雲雀ちゃんの顔見たかったし、丁度いいからね」
銀の髪をしてちょっときつい顔立ちの男は、にこにこ笑いながら彼と握手を交わしていた。

「あ、ヒバリー、紹介しとくのな」
彼はその男の名を『白蘭』だと言い、中学のときに怪我を治してもらった恩人なのだと説明した。
僕は彼に身体を寄せながら、ちらりとその男のほうを見た。
彼との時間を邪魔する闖入者なのに…あんまり嫌な感じはしない。どうしてだろう?(あの茶髪の人のときはあんなに嫌だったのに…)

「う〜ん、ここの雲雀ちゃんは山本クンとらぶらぶなんだねっ。初々しくて可愛いなぁ」
男は面白そうな目つきをしながら、僕と彼を交互に見て笑っていた。


「えっとなー、白蘭はパラレルワールドの自分と記憶と情報を共有できんだよな。それで昔、パラレルワールドで得た知識で、俺のこと助けてくれたっていうかさー。う〜ん、俺って本当に説明下手だなぁ。こんなんじゃヒバリ、訳わかんねーよなぁ」
彼はそういって僕の隣に腰を下ろして僕を抱き寄せてくれた。
彼の腕に抱きこまれてほっと安心できたので、ゆっくりと身体の緊張を解いた。
…僕の怪我の治療で、この男を呼んだのかな?

「アレは適当にやったらなんか成功しちゃったってかんじだからねー♪ もっかいって言われても良くわかんないや」
男はけらけらと笑いながら、彼とは反対側の僕の側に腰を下ろした。
…あんまり気にならなかったので、そのまま放置しておく。(ちょっと、珍しい?)

でも男の言い分を信じるなら、僕の怪我の治療で呼ばれたわけでは無いみたいだ。
じゃあ一体何しにきたんだろう…?

「はいー、頼まれてたお遊びアイテム。これはパラレルワールドのじゃなくって、この世界のだから安心して使っていいよ。でもこんなオモチャ、役に立つのかなー」
男はそういいながら何かが入った巾着袋を彼に手渡していた。
「いいんだいいんだ、お遊びアイテムで。ありがとな、白蘭」
彼は中身をちらりと確認すると、それをすぐにポケットにねじ込んだ。
なんだか三角錐みたいな金属の塊っぽかった。…変なの。


「きみたちはどこの世界で見かけても、つがいの鳥みたいに仲睦まじいね。見てて微笑ましいなぁ」
「そう…なの?」
僕は少し興味を惹かれて白蘭のほうを向いた。
パラレルワールドの話なんて本当かどうか知らないけれど、どこにいても彼と一緒だというのは――当たり前だとしてもちょっと嬉しいかも。

「あー、ごめん、期待させちゃって悪いけど、全ての世界で君たちが一緒ってわけじゃないからね」
「…そうなの」
なんだかちょっとがっかり。
「うん。色んな世界があるよー。なんだか僕が言うと嘘っぽいけどねー♪ キャバッローネのボスの愛人してるって世界もあるし、ヒットマンのリボーンとお見合い結婚してるってのもあるんだよ。うん、あそこの世界はなかなか面白くて、僕、結構遊びにいっちゃうんだよね」
「…ふぅん」
僕はつまらなくなって顔を逸らした。

彼以外の人と、僕が…? 正直、想像もできない。
赤ん坊とは、ちょっとあるかも…しれないけど、でもあんまり面白くない。

「時々夢、見るでしょ。違う場所で生活してて、違う人と一緒にいる夢」
はっと顔を上げた僕の顔を、男が覗き込んでにっこり微笑んだ。
「あんな雰囲気で、あれよりももっと鮮明な感じなんだよね、僕のパラレルワールドを視る能力って。う〜ん、うまく説明できないけど、思い通りに動けるわけじゃないけど、体感はできるっていうかさ。その世界の自分とシンクロしちゃうっていうか。こんな説明で分かるかなぁ?」


…あの、夢。あれって、ひょっとしてパラレルワールドの片鱗を覗いているの、かな?
そうだったらいいのに。別の世界の出来事なら、今、この世界の僕には何の関係もないはずなんだから。
そう思ったけれど、このもやもやした気分はちっとも晴れてくれなかった。


少し俯いてしまった僕の顎に、白蘭がそっと指を這わせて安心させるように擦ってきた。
「ふふ、拗ねちゃった? ここの雲雀ちゃんは素直で可愛いなぁ。あのねー、僕と雲雀ちゃんが結婚してるっていう世界もあるんだよー♪」
そのままゆるゆると頬を撫でられて、ちょっと気持ちが上向きになる。
「そこの雲雀ちゃんはにゃんこさんでね、僕がこうやって撫で撫でしてあげるととっても気持ち良さそうにしてくれるんだよ。それでね、僕らの間には『恭ちゃん』っていう子供もいるの。きみは、その『恭ちゃん』によく似てるよ」

にゃんこさん…? 子供…?
意味が良くわからなくて首を傾げていたら、くしゃくしゃと髪を撫でられた。
一見いい加減そうな男だけれど、さりげなく僕のことを気遣ってくれているみたいで、側にいても煩わしく
ない。
おちゃらけた言い方をしているけれど、僕をみる瞳の色はとても優しかった。


「ね、ところでさー。もうお昼時だよね? 僕、山本クンがご馳走してくれるって言うから、期待して朝ごはん抜きできたんだけど♪」
唐突に白蘭がそう言い出すと、彼は慌てて立ち上がった。
「ご、ごめん、すぐ用意するのな。最近外でよく食べるんだけど、今日も天気良いし中庭で食べてもいいかな?」
「うん、いいねー♪ 楽しみにしてるよ、山本クン。用意できるまでのあいだ、雲雀ちゃんは僕と遊ぼうねー」
「ヒバリ、ちょっと行って来るけど、白蘭と二人で待っててもらっていいか?」
ちょっと気遣わしげに彼が尋ねてきたので、こくりと一つ頷いた。

「大丈夫だよー、雲雀ちゃん僕のこと嫌じゃないもんね。それに僕、人のモノに手を出すシュミ、無いから♪」
白蘭がくすくす笑いながらそう言うと、何故か彼が石のように固まってしまった。
「…どうしたの?」
あまりに長いこと固まっているのでそう声をかけてみると、彼はぎこちない表情で引きつり笑をして僕の頭を軽く撫でてから「なんでもない、のな」と言って部屋を出て行った。
心なしか足取りがよろよろしていたけど…大丈夫なのかな。

そんな彼を、白蘭は面白そうな顔つきでじっと見つめていた。
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