小説その3

□こっそり『ねこ』裏話 〜今夜はカレーの日〜
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「僕、今日の夕食はカレーにしようと思うんだ」
ソファーに寝そべっていたアラウディが突然そう言い出して、山本は一瞬何を言われたのか理解できなかった。


アラウディは、全く、全然、料理はできなかった。
これはつまり、山本にカレーを用意しろ、という『お願い』なのだろうか?
そもそも、刺激物がダメな『ねこ』であるアラウディは、カレーを食べることができるのだろうか?
山本の頭の中で色んな疑問が渦を撒いた。
せめて昨日言ってくれていれば、色々調べたり準備したりも出来たのだが。
山本は急な仕事で出かける準備をしていたところで、もうあまり時間が無かった。
アラウディはねこみみとしっぽが仕舞えない状態のため、本来なら飼い主の山本は片時も側を離れることが出来ないのだが、これにはある出来事が関係していた。

山本とアラウディが、イタリアの屋敷で暮らし始めて程なくして、屋敷の持ち主であるジョットがちょくちょく滞在するようになった。
ある日、いつものようにアトリエで絵を描いていたジョットに、アラウディがおずおずと尋ねたのだ。
「ジオ、あなた、僕が絵のモデルになったら、何でもひとついう事聞いてくれるって、言ったよね?」
ジョットはにっこりと微笑んで「もちろんだ」と請合った。
「可愛い小鳥のためなら、ひとつと言わずいくつでも」
「いや別に1つでいいんだけど」
アラウディはややそっけなく返事を返すと、もじもじとためらいながら先を続けた。
「あのね……その…あなた、ぼ、僕の、飼い主…になってくれない?」

丁度お茶の用意をして部屋をノックしかけていた山本は、それを聞いてティーセットを全部床に取り落としてしまった。
ガシャーンという派手な音が家中に響き渡り、丁度遊びに来ていたアラウディの同僚、ヴィートが驚いた顔で駆け寄ってきた。
音に驚いたジョットとアラウディも部屋から顔を出している。
山本は慌てて皆に、何でもない、ちょっと躓いてお盆を取り落としただけだと説明した。
そして無理やり三人を部屋に引っ込めさせると、黙々と後片付けをした。

その後、代わりのお茶を山本が持っていく頃には、話は全てついていた。
どういう訳だか、その場にたまたま居たヴィートまでもが、アラウディの飼い主の一人に納まるというオマケつきで。
『飼い主は一人ではなく、複数持つこともある』と前々から聞いてはいたものの、山本の心は穏やかでは無かった。
今まで『飼い主』だからと許されていたあれやこれやが、自分だけの特権では無くなってしまうのだ!
特に、山本が仕掛けている不埒な『毛づくろい』を、アラウディが無邪気にジョットやヴィートにおねだりしたら、一体どんな恐ろしい事態になるか…と思うと、ひやりと肝が冷えた。
ジョットもヴィートも、アラウディの『パートナー』になることを諦めたわけではないのだ。
山本が勝手に一人で『美味しい』思いをしているのを、黙認するとはとても思えなかった。
バレたら袋叩きにされるか、それとも『俺にもやらせろ』と言ってくるか…。

既に草壁と雲雀にはバレてしまっているのだが、草壁はともかくとして、山本は雲雀にはほとほと困惑させられていた。
雲雀は本物の猫のように忍やかに近づいて来ては、山本に思わせぶりにしなだれかかってきた。
「毛づくろいって、いいよね」
そして鈴を転がすような笑い声を立てては、意味深な目つきで山本を一瞥しては去っていくのだった。
アラウディはそんな雲雀の態度がお気に召さないらしく、雲雀が山本にちょっかいを掛けるたびにご機嫌斜めになった。
しかし、心の機微というものに疎い山本には、雲雀の意味深な行動の真意など全然わかっていなかった。


さて、アラウディがなぜ飼い主を増やしたかったのかについてだが、
「こ、これで僕にずっとつきっきりじゃなくて良くなったでしょ。お仕事にも行けるよね」
後でアラウディがいくぶんツンと澄ましながら山本にそう宣言してきたところをみるに、どうやらアラウディなりに山本の立場を思いやっての行動だったらしい。
それが山本にとって手放しで喜べることだったかはともかく。
とにかく、これでアラウディには三人の『飼い主』がつくことになり、常に山本がべったり側に控えている必要は無くなった。



そして話は冒頭に戻る。

「カレー?」
山本は片手に靴下を握り締めたままそう呟き、慌ててそれを履いた。
「カレーだって?」
別の方角から声が上がった。それは山本の代わりにアラウディの側にいるためにやってきた、ヴィートだった。
「こねこちゃん、カレー好きだったのか? だったら今度、職場の近くにある店に一緒にランチしにいこーぜ」
「ちょっと、もう僕は仔ねこじゃないんだからね、ちゃんと『いちにんまえ』なんだから」
そう言いつつも、アラウディは明らかに興味を惹かれた様子で、ヴィートのほうへと身を乗り出した。
「職場の近く?」
「うんうん、そーそー。車でちょっと行ったところに、安くて美味い店があるんだぞ〜」
魅力的な笑顔を振りまきながら、ヴィートはアラウディに向かって頷いた。
彼は、アラウディが『仕事』関連の言葉に弱いのを承知の上で、『同僚』という特権を最大限に利用していた。

「そうか、それは是非ご相伴に与からねばならんな。なぁ、山本」
向かいのソファーに優雅に座っていたジョットが、にこやかに微笑んだ。
もちろん彼も、山本不在の間にアラウディの側にいるためにやってきていた。
「ええ…あぁ、そ、そうっすね」
山本は生返事をしながら必死でもう片方の靴下と奮戦中だった。
心の中では(あんたカレー食えるの? それって子供用のなんとかの王女さまとかそんなやつ?)とか(誰が作る気なんだよ、料理できるやついたっけ?)などという質問が渦巻いていたのだが、どうにかそれを口にするのは押し留まっていた。
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