小説その3

□こっそり『ねこ』裏話 〜雲雀さまは苦労性? その2〜
2ページ/16ページ




草壁に教えてもらった場所は、駅近くの便利な場所に最近建てられたマンションだった。
セキュリティもしっかりしている物件で、『貧乏な留学生』には不釣合いな場所に思えた。
本当に、この場所で合っているのかな。
一瞬間違ったかと思いつつ、草壁にもらったメモ用紙を今一度確認してみる。
…うん、合っているみたい。

オートロックの扉をするりとすりぬけて、男の部屋の様子を外の廊下から伺うと、生憎と男は外出中のようで、全く人の気配が感じられなかった。
特に急いでいるわけでもないから、一旦マンションを出てエントランス付近にある植え込みで男を待つことにした。
戦うのなら、外で待っていたほうが都合が良い。
建物の中だと何かと暴れるのに支障が出るからだ。

僕は住所の下の『白蘭』という文字をそっと指でなぞった。
これが、あの男の名前。戦うだけなら別に必要ない情報だけど…。

僕は人の名前を覚えるのが苦手だ。
跳ね馬のことを『あの金色の』だの『まつげの外人』だのと呼んでいたら、草壁がため息をついていたっけ。
『貴方のそれは、覚えるのが苦手なんじゃなくて、覚える気が無いってことなんでしょうけどねぇ…それにしても酷すぎますよ』と注意されてから、辛うじて跳ね馬と呼ぶようになった。

「びゃく、らん」
読み方は草壁が教えてくれた。
何度か顔を合わせているのに、その度に初めて会うみたいな態度を取られて。
わざと存在を無視されているみたいで、ちりちりと胸の奥が痛む。
これは……単に男の態度に腹が立っているだけ、なんだから。

マンションの脇の樹に凭れて待っていたら、空気がなんだか湿った感じがして、空がどんよりしてきた。
確かこの連休の天気は下り坂で、この季節に珍しく大荒れになるかも、みたいなことを草壁が言っていたような。
そうなる前に、適当に見切りをつけて帰ればいいか。
僕はそう勝手に決めると、もう少しだけ男を待ってみることにした。



「えっと……。ひばり、ちゃん…だっけ?」
肩を軽く揺すられて、思わず眉をしかめる。

――うるさいな、放っておいてよ。
何故だか身体が鉛のように重くて、沈みこんでいくような感じがする。
再度肩を揺すられたけれど、それを払いのけることすら億劫で、僕は呻き後を上げた。

「ほら、こんなところでうたた寝しちゃだめだよ。雨が降ってきてるし、気温もこの季節にしては下がってるんだよ? ……ああ、ちょっと濡れちゃってるねぇ。樹の下にいたから、まだマシみたいだけど」
そんな声と共に、いきなりふわりと身体が宙に浮いた。
何が起こったのかよく分からなかったが、全体的な雰囲気と口調から、何となくそれが僕が待ち望んでいた男のような気がした。

――やっと帰ってきたの。さぁ僕と闘(や)りなよ。
そう言って戦闘態勢に入ろうと思ったのに、ひどく身体がだるくて指先ひとつ動かすことが出来ない。
それから先は意識がふっと途切れて―――闇の中だ。
 
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ