小説

□こっそり『ねこ』裏話 〜草壁さんの憂鬱〜
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イタリアで暮らし始めたアラウディともっさんを心配する草壁さんの一人語り。
山本×アラウディですので、閲覧は自己責任でお願いします。







「どうもすいません、草壁さん。ちょっと目を離した隙に、着物引っ掛けて破いちゃったみたいで…」
目の前で済まなそうに謝っているのは、先日ひょんなことから純血の『ねこ』の飼い主に納まった青年だった。
「いえいえ、構いませんよ。これが代わりの着物一式です。念のために余分に入れてありますので」
「助かります。実はお預かりしていた着替えも、汚してしまって洗濯中なもんで困ってたところなんです」
そう言って目の前の青年――山本武はにかっと人好きのする笑顔を見せた。

「あの、折角来て頂いているのにすいませんが、ちょっと席を外しますね」
彼は何度も頭を下げながら部屋を出て行った。
いそいそと着物を持っていったから、きっと彼の可愛い『ねこ』のところへ飛んでいったのだろう。


「ふぅん。まぁ、仲良くやってるみたいじゃない」
退屈そうにあくびをかみ殺しながら、横のソファーに寝そべっていた雲雀が呟いた。
とてもお客とは思えない横柄な態度でのびのびと寛いでいて、手には殆ど無くなりかけたクッキーの欠片を持っている。
私はテーブルのお皿の上から一つクッキーを取って雲雀に手渡してやりながら、そっと安堵のため息をついた。
「ええ。本当にあの方にふさわしい『飼い主』が見つかって良かったです」


雲雀の親戚筋の、まだまだ年若い『ねこ』のアラウディが、山本という『飼い主』と一緒に暮らすようになって早数日が過ぎていた。
彼等はイタリア、我々は日本とかなり離れてはいるのだが、私は雲雀の『元』飼い主の一人なので、雲雀と一緒ならばまるでお散歩のついでのようにイタリアの彼等の様子を見に来ることができる。

ただ、雲雀は「めんどうくさいよ」と言ってなかなか腰を上げてはくれないのだが。
仕方が無いので、普段はメールや電話で山本と連絡を取ることにしている。

山本は『ねこ』の飼い主としてとても熱心に、「この食べ物は与えても大丈夫ですかね?」とか「今朝ちょっとくしゃみしてたんですが放っておいて構いませんか?」などとアドバイスを求めてくる。
その様子から、彼は本当にアラウディの事を気にかけていて出来るだけ快適に暮らせるように配慮してくれているのが伝わって来て…私はそのたびに感極まって泣きそうになってしまった。

いかんいかん、最近どうにも涙もろくて困る。

はじめのうちは「どうせ強制的に意に沿わぬ人とお見合いをさせられるくらいなら…」と、(山本とアラウディが結ばれればいい、彼の初恋を応援しよう!)―――などと思っていたものだったが、いざお見合いが御破算になり、無理やり既成事実を作らされることも無くなったとたんに、応援しようなんて気持ちはどこかに飛んで行ってしまった。
それよりも、まだまだ精神的に幼くて、甘えることが不得手なアラウディが無条件に『飼い主』に可愛がってもらえれば……それだけで私は満足だ。
幸いなことに山本はとても純朴な青年のようで、無理やりにでもアラウディのパートナーに納まろうなどとずうずうしい態度は一切見せてこない。
それを良いことに、私は最初に山本を応援するなどと口走ったことは忘れたふりをしていた。

なにもそんなに焦って幼いアラウディに無理やりパートナーを決め付けることも無いだろう…という胸中を知ってか知らずか、私のことを雲雀が軽蔑しきった目つきで流し見た。

「どこがふさわしいのさ? 呆れるほど鈍くてデリカシーの無い男だよ。おままごとみたいな『飼い主さんごっこ』なんてしてないで、さっさと押し倒して手篭めにしちゃえばいいのに。あ〜ぁ、あの男、不甲斐ないったら」
「きょ、恭さん! それはあんまりといえばあんまりです。あの方は『ねこ』としてはまだまだ精神的にも幼いわけですし…」
「いくら世間知らずのぽやぽやな箱入りでも、身体のほうは立派に成長期を迎えて発情しちゃってるじゃない。は・つ・じょ・う!」
ぱりん、と小気味よい音を立ててクッキーを齧りながら、雲雀は一言一言区切るようにはっきりと言い放った。

な、なんというはしたない!
私は口から泡を吹いて倒れそうになった。
あの綺麗でしとやかで立派に風紀委員長なんぞをしていた恭さんが、こ、こんなにいやらしい発言をするなどと…一体私はどこで教育をまちがったんだろう。

「…なに、その顔。敢えて見ないように見ないようにしてるみたいだけど、現実を直視しなよ。あの子はあの男にキスされて、盛ってるの。発情しちゃってるの」
ふん、と鼻でせせら笑って、雲雀は黒い滑らかな尻尾をふるりと揺らした。
「哲も、わざとその事をあの男に伝えてないよね」
言われて私はうっと詰まった。

そうなのだ。アラウディの身体が発情期を迎えていることを、私は山本に伝えていない。

相手を誘う仕草である『指しゃぶり』のことを「可愛いけどちょっと子供っぽいもんなぁ」と笑っていた山本。
見かけは成『ねこ』であるアラウディの本当の年齢を言ったとたんに、『思っていたよりもずっと幼い』という情報がインプットされてしまったらしく、それ以後の山本のアラウディを構う仕草はほとんど親のそれだ。

しかし純血の『ねこ』の年齢の数え方は、人間とは全く違う。
『生まれてから今までの年数』で数えるのではなく、『幼年期』『成長期』などで区切られるため、後から生まれた『ねこ』のほうが早く成『ねこ』になったりすることもあるくらいだ。

それにアラウディは他の『ねこ』よりも発育があまりよろしくなく、まだまだ早いだろうと性教育を後回しにしていたのも事実だ。
何も知らない純血の『ねこ』に、手取り足取り教え込むのを楽しみにしているパートナー候補も多いので、敢えてあまり下世話な知識は教え込まないようにしている、というのもある。
つまりはアラウディ自身も、自分が発情しているなどとは露ほども思ってないわけだ。
ねこみみとしっぽがしまえない――発情してしまっている証――のは、色々あって体調を崩しているからだ、と信じきっている。
私はそれらをいいことに、アラウディが山本のことを『誘っている』状態だ…ということを、知らぬ存ぜぬで押し通してきていた。

しかし、そろそろ限界がきてしまっているのかも、しれない。





着替えが終わったのか、山本がアラウディに付き添ってリビングに入ってきた。
アラウディは「き、きみが僕の飼い主だから、だからなんだからねっ」としきりと念押ししながら山本の顔色を伺うように上目遣いで見上げている。
その頬はほんのり桜色に上気していて、瞳などはうるうると潤んでしまっていた。
「うんうん、分かってる。ねこみみ、触らせてくれてありがとうなー」
山本はにかっと爽やかな笑顔を見せると、アラウディの手を引いて我々からは少し離れたソファーへとやってきた。どうやらアラウディのお気に入りの固定場所らしい。
アラウディはツンと澄ましてそのソファーに腰掛けたものの、ねこみみとしっぽを揺らしながら不安げにチラチラと山本の様子を伺っている。
「ん? どうした?」と山本がにこにこしながら問いかけると「べっべつに、なんでも無い、でしょっ」と言いながらぷいっと明後日のほうを向いてしまった。

なんという、子供っぽく且つ分かりやすい仕草だろうか。
もしも白蘭の旦那の前で雲雀がこんな態度をしようものなら、絶対3秒で押し倒されて半日は奥座敷から出してもらえないだろう。

山本が鈍くて純朴な青年で本当に良かった、と私は安堵のため息を漏らしつつ、なんでコイツ気づかないんだ? こんなにアラウディが(無意識にだが)誘っているのに…などと理不尽な思いも同時に感じていた。
こんなに魅力的で素晴らしい『ねこ』という生きものに対して、ひれふして愛の言葉を並べ立てない男がいるなんて。まったく!


「んじゃ昼飯用意するから、ちょっと待っててくれよな」
彼はアラウディにそう言ってから、私たちのほうを向いてためらいがちに口を開いた。
「えーっと、雲雀と草壁さんもいかがですか? 日本じゃ丁度夕食時だから、帰ってから食べるならこっちでは止めておいたほうがいいのかな?」
「メニューは何だい?」
雲雀があくびを漏らしながらゆったりと聞き返した。
「んと、煮込みハンバーグなんだけど」
「ソースは何?」
「特製のトマトクリームソースだぜ〜。かなりの力作」
ぴくんっと雲雀の黒いねこみみが動いた。
「ふぅん、そう。それなら…食べていってあげても、いいよ」

おっとりと気の無さそうな様子で答えていたけれど、『今から行けば昼どきだから、絶対何か美味しいものを食べれるに違いないからね』とわざわざこの時間を選んで来たのだ。
しかも好物のハンバーグ。雲雀が断るわけが無い。
それを見越して私も厨房には『我々の夕食は用意しなくていいから』と伝えてある。

「オッケー! すぐ用意するからな」
そう言って山本は、ソファーにちょこんと腰掛けているアラウディの髪を一撫でしてから厨房へ消えていった。
アラウディは興味無さそうな表情でツンと顎を反らしていたが、山本が背を向けた途端に縋るような目つきでその姿を追っていた。
ゆらゆらと長い毛足のしっぽがぱたんぱたんと揺れていて、暗に『もっと構って』と言っているようだ。
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